第8話 最後の問題

 四月を間近に控えた三月最終週。

 下礼村に本社を構えるヤエオリグループオーナーである高校一年生・谷得織丹子は春休みを満喫している同級生たちを尻目に日々の業務に追われていた。

 そんなある日──。

 「どういうことですか!」

 ニコは『ホテルウインドブック』の従業員控室の中を落ち着かなげに歩き回りながら、携帯電話の通話相手へと怒りをぶつけた。

 「メールで送った通りだよ。どうやら風本村長の復讐の為に僕らを狙っている人物がいるようなんだ。最近誰かに見られているような気がするってニコちゃんも言ってただろ? おそらくそいつだと思う。とりあえず僕が目立つように動くから、その間にニコちゃんは関係者をあたって犯人の目星を付けて欲しいんだ。間もなく協力してくれる人も到着するから一緒に行動してね──おっと、もう切るよ」

 言いたいことだけ伝えると、通話の相手である有瀬塗範が一方的に電話を切った。

 「相変わらず勝手な人ですね!」

 憤慨しながらニコがフロントへ歩いて行くと、ちょうど見知った顔がニコの居場所を尋ねている所であった。

 「恵梨姉!」

 幼馴染みであり、映画の監督を職業とする類津恵梨沙の姿を見て取ってニコが早足で近づいて行く。

 「久しぶりね、ニコ! トパンさんから連絡をもらって急いで駆け付けたのよ」

 恵梨沙はニコに気づくと肩から掛けていたバッグを足元へと置いて、近づいて来た彼女の手を取り再会を喜んだ。

 「恵梨姉、なんであんな軽薄男と連絡を取っているのです?」

 ニコが不審げに問いかける。

 「あら、勘違いしないで。ニコから盗ったりしないわよ」

 「べ、別に私のモノではありませんから! 恵梨姉の心配をしているだけです!」

 ニコは慌てて否定した。

 「そう? じゃあそういうことにしておきましょう。それよりも時間があまりないんでしょ? トパンさんが送ったメールを転送して」

 恵梨沙が表情を引き締めながら問いかけた為、ニコも素直に携帯電話を操作した。


 「最初は呉尾夫妻ね。これで姉さんが犯人だったら私がビックリするわ」

 愛車である軽車両のハンドルを握りながら恵梨沙が笑った。

 「それを言うなら、呉尾さんが犯人でも私が驚きます」

 助手席のニコが恵梨沙の意見に追従した。

 呉尾家の前に車を停めると、恵梨沙が懐かしそうに庭を見回した。

 「でも凄いわよねぇ。小っちゃい頃からこの家にいたのに、まさか宝の山の上で暮らしていたなんて。未だに信じられないわ!」

 「あら、恵梨沙にお嬢様ではありませんか? 二人揃っていらっしゃるなんて珍しいですわね」

 庭先に二人が立っていたところへ、着物姿の呉尾夫人が玄関から声を掛けてきた。

 「おひさっ!」

 恵梨沙が姉へと近づきながら軽い挨拶をする。

 「お久しぶりです。お出掛けされる処でしたか」

 ニコは丁重に頭を下げながら問いかけた。

 「はい。以前お話していた美術館の計画がようやくまとまりそうでして──」

 夫人は二人を招き入れる為に玄関から家の中へと戻ろうとするが、ニコがそれを留めた。

 「ああ、お気づかいなく。すぐに帰りますから。どうです? そのまま実現できそうですか、宝探し美術館」

 「ええ。有瀬様のあの謎解きに皆感銘を受けまして、親族からも多くの出資をいただいておりますので」

 「結構広い土地を買い占めたそうね。絵画や彫刻に秘められた謎からヒントを得て一日かけて謎を解く。ロマンはあって面白いけど、すぐに飽きられちゃうんじゃない?」

 姉の進める事業に恵梨沙が茶々を入れる。

 「出し物はお客様の動向を見て入れ替えたり増やしたりします。同様のコンセプトの美術館を運営している会社とライセンス契約も結びました。心配は要りません。それにおかげさまで儲ける必要はありませんから、運営会社が赤字にならず村の知名度向上や集客効果に繋がれば恩の字です。何よりも皆さんにあの長年の謎が解けた瞬間の感動を味わっていただきたいのです」

 「素敵なお考えですね。ヤエオリグループは経営には参画しませんが、交通の便宜などを図らせていただきます。でも間違っても『有瀬美術館』とかいう名前にしてはダメですよ。図に乗りますから」

 ニコが真顔で釘を刺した。

 「そんなに固い名前が似合うような美術館ではありませんよ」

 夫人が微笑むとニコも相好を崩した。

 「そうですよね。『ルイズ美術館』とかなら呼び易いですよね」

 「ええ。夫とは『美術館トパン』が良いのではないかと話し合っているのですよ」


 その後、『ホテルウインドブック』で勤務中の呉尾とも話したニコ達であったが、めぼしい情報を得ることは出来なかった。

 そのままホテルに宿泊した二人は、翌日次の目的地である馬飼来村へと向かった。

 「トパンさんのメールには樽振君から話を聴くように、ってなってたけど彼には次の作品の為にあちこちへ動いてもらっているから、もうしばらく待ってて。丁度今は春休みで玲ちゃんが東京から実家へと帰省しているから、馬飼来村で彼女のお父さんに話を聴くついでに玲ちゃんにも会えるわ」

 自家用車を運転しながら恵梨沙がニコへと事情を説明する。

 「別に私は安藤さんの娘さんに会いたい訳ではありません」

 助手席のニコは不機嫌そうに言い捨てた。

 「まあまあ、私の勘ではトパンさんは玲ちゃんに興味はないかな。彼みたいなタイプは自己確立した知的な女性を好むような気がするわ」

 「へぇ、そんなものですか」

 興味無さげに答えるニコがチラッとサイドミラーで自身の顔を確認したのを見逃さず、恵梨沙は笑みを浮かべた。


 「うわぁー、凄いですねぇ」

 玲の父親が経営している『&スキー場』では雪解けの季節の間はゲレンデにスノーマットを敷いて疑似雪上を滑るコースと、草の上をキャタピラ状のローラーブーツで滑るグラススキーのコースが別々に稼働していた。その白と緑の対比が遠くから鮮やかに目に映えている。

 「えっ?、監督、私聞いてないですよ!」

 恵梨沙からの連絡を受けて、二人を迎える為にロッジから出て来た玲が何事か抗議しながら近づいて来る。

 「なんか怒ってるわね──ちょっと待ってて」

 恵梨沙はニコに断って玲を建物脇へと連れて行く。そこで二言三言交わすと玲は父親を呼び出す為に先にロッジへと入って行った。

 「トパンさんがいないなら先に言って下さい、って怒られちゃった」

 ニコの元へと戻って来ると恵梨沙はペロッと舌を出しながらおどけた。


 「全く、玲の男好きには困ったもんだ」

 スキー場のレストランのテーブルに着くと、安藤が恥ずかしそうに顎を撫でながら苦笑した。玲は彼氏を待たせているからと言って同席していない。

 「その後、伍留親子はどうなりました?」

 ニコは話題逸らすと、目の前の紅茶へスプーンで三個の角砂糖を入れて掻き混ぜ始めた。

 「──それ甘すぎでしょ? 太るわよ」

 恵梨沙のツッコミに一瞬ニコの手が止まる。

 「ハハハッ! おなごはすぐ体型を気にするが玲も結構な甘党だぞ」

 「彼女はスポーツウーマンですから。この子は完全インドア派ですので比較対象にはなりません」

 「そういうもんかね。なら嬢ちゃんも一滑りしてから帰ればいいさ」

 安藤の言葉にニコは黙って頷くと、紅茶を一口啜り至福の表情を浮かべた。

 「で、伍留親子の事だっけ? まあ二人とも何も変わっとらんよ。あれだけの騒ぎを起こしたのに詫びの一言もなく、普段通りの生活へと戻っておる。尾成兄妹は──ああ元兄妹か、彼らは村外れの邸宅で一緒に暮らしてるよ。年内には挙式をする予定だそうだ」

 「最近真千明さんの姿を見ないということはありませんか?」

 ニコが一番怪しそうな人物の動向を伺うと、安藤は大きく溜息を吐いた。

 「真千明に会いたいのなら外を見るがいい。玲の隣りにいるだろうさ」


 その日一日をスキー場で過ごした二人は、翌日山を下って紋平類町を目指した。

 樽守邸へと向かって石段を昇っていると、最上段に並んで立つ丸栖莉瑠と樽守紫杏が大きく手を振りながら歓迎の意を示していた。

 「怪しい人物ねぇ」

 広々とした客間に位置取った四人は茶菓子を囲みながら近況を報告し合った。

 ニコは目の前の紅茶へ角砂糖を立て続けに二個入れた。そこでチラッと恵梨沙の表情を窺い、さりげなくもう一つ追加する。

 莉瑠は紫杏と二人で周囲の人間に関して検討を重ねていたが、これといって怪しい人物に思い当たる節は無さそうであった。

 「強いて言えば蜂須さんかな。紫杏が外柳さんと婚約したのが相当ショックだったらしいから」

 莉瑠があっけらかんと告げると、紫杏が皮肉る。

 「あら、蜂須さんは莉瑠に乗り換えたのではなくて?」

 「やめてよ、もう! 私は身長百八十センチくらいの頭の良いイケメンが好きなの」

 「奇遇ね。それってニコと同じじゃない!」

 恵梨沙のツッコミにニコ以外の皆が笑う。

 ニコは赤らめた頬を膨らませると、角砂糖を更に一つカップの中へと落とした。


 夜分に戸柄市まで戻って来た二人は『ホテルバレーゲット』へ宿泊し、明朝に地域経済組合の建物を訪れた。

 組合長の藤礼は妻を亡くしたショックで休職中であったが、事前に連絡を受けていた柄留守壇が二人を出迎えた。

 「初めまして。その節はお世話になったようで、本当に有難うございました」

 ニコへと手を差し出し、感謝の気持ちを込めて握手をする。

 「お元気になられたようで何よりです」

 ニコも親しげな壇に気圧されながらも彼の快復を祝った。

 「結局、有瀬さんと谷得織さんがお帰りになられた後、一緒にゲームをしていた皆さんが父へと事実を打ち明け返金を申し出たそうです。おかげで相当どやされましたよ。『賭け事をするとは何事だ!って』」

 壇はにこやかな笑顔のまま苦情を申し立てる。

 「なるほど。それが原因で私と有瀬さんの命を狙っているわけですね」

 いきなりニコが露骨に鎌を掛けた。

 「まさか! そんなに暇ではありませんよ。ところで有瀬さんの推理を尾張さん達から聴きましたが、一つだけ間違っているので訂正させて下さい」

 「間違い──ですか?」

 「ええ。僕は最後の勝負ではイカサマをしていないのですよ。最後の一枚は勝つも負けるも運に任せようと思い、適当に選んだのです」

 「それは相当な強運をお持ちですね。怪我の後遺症も特に無いように見受けられますし」

 ニコは素直に感心しながら答えた。

 「それに事件が起こったおかげで、あなた方のような美しい女性に出逢えた」

 壇が魅力的な微笑みを浮かべながら、目の前にいる二人を見つめる。

 「──はい?」

 それに対するニコの視線と返答は氷のように冷たかった。


 「さっきのニコの反応、面白かったわ!」

 地域経済組合の建物から出て来ると恵梨沙が堪えていた笑いを爆発させた。

 「だっておかしいですよ。愛人とはいえ彼女が殺されたんですよ? ろくに喪に服す時間すら無く、初対面の女を口説くなんて常識が無さすぎます!」

 「まあ、そんな性格だから他人の奥さんと浮気できるのよ」

 恵梨沙自身も壇の事を快くは思っておらず、言葉は辛辣であった。

 「次は誰に会いに行くのですか?」

 ニコの質問に恵梨沙がメールを読み上げる。

 「蟹丸警部ってなってるけど──」

 「蟹丸警部って警視庁の方ですよね? 東京まで行けということですか」

 「確かにそれは色々面倒よねぇ──よし! 手近な所で済ませちゃいましょう!」


 「誰かに見られている気がする、ですか」

 戸柄署へとやって来たニコと恵梨沙は森聡警部へと面会を申し入れた。

 「自意識過剰かと思われるでしょうが、周りへ目を向けると誰も私を見ていないのに凄く見られているように感じるのです」

 ニコの告白に対して森警部は大して考える時間も掛けず、あっさりと答えた。

 「心的外傷後ストレス障害、いわゆるPTSDの一種でしょう。酷い事件に巻き込まれたのですから気分転換に転地療養することをお勧めしますね。申し訳ありませんが、以前市内で起きた宝石盗難事件と類似した事案が起きた為、あまり時間が取れないのですよ。どこぞの警視庁の方とは違って地方公務員はあらゆる事件を担当しなければなりませんからね」

 それだけ言い捨てると森警部は踵を返して面会室から出て行った。

 その背中が見えなくなると、恵梨沙がニコの思いを代弁する。

 「やな感じ!」

 「そういえば森警部は風本と昵懇の仲だと言ってましたね──」

 ニコが物思いに耽りながら呟いた。

 「おっ、ここに来てやっと容疑者が現れたわね! しかも現職の警察官なんてドラマティックだわ」

 一人浮かれる恵梨沙をニコが窘める。

 「もう! 恵梨姉ったら、映画ではないのですよ。本当に警察官から命を狙われているとしたら誰に助けを求めれば良いと言うのですか?」

 「それは勿論、白馬の王子トパンでしょ!」

 恵梨沙の言葉を聞いて、ニコは重い溜息を洩らした。

 「──はぁー。いつから恵梨姉の頭の中はお花畑になったのですか?」

 「いいじゃない、ニコはまだまだ恋に夢見るお年頃だもの──ほら、トパンさんへメールを送ったわよ『ヨウギシャハモリケイブ』って」

 「なぜ、電報風にカタカナなのですか!」

 呆れるニコ。

 「だって、この方が雰囲気出るじゃない? あら、もう返信が来たわよ」

 恵梨沙が携帯電話の画面をニコへと見せる。

 『キョウカイノオクジョウデマツ』


 下礼村にある二つの尖塔を持つ教会。先の大地震で建物の大半が崩壊していたが、この教会に思い入れのあるニコはヤエオリグループの財力を投じて観光地として補修中であった。外観は完成間近ではあるが、まだ内装には取り掛かっておらず、建物の周囲には仮設の足場が設置されている。

 ニコと恵梨沙はその足場を潜り、コンクリート剥き出しの内階段を登って行く。

 屋上へ出る為に本来はドアの鍵を持っていなければならないが、まだ施錠はされておらず引き戸を動かすと扉はあっさりと開いた。

 「──待っていたよ」

 そこに立っていたのは恵梨沙の映画制作スタッフである樽振久であった。

 「樽振君? それにトパンさん──」

 樽振の足元には黒いスーツ姿のまま手足をローブで縛られ拘束されたトパンが意識を失ったまま転がっている。

 「どういうことですか!」

 身を乗り出しながら疑問を呈するニコを恵梨沙が押しとどめた。

 「簡単な話さ。風本村長が逮捕・失脚したせいで親父は仕事を失い、お袋と一緒に──。だから俺はお前たちを許さない。それだけのことだ」

 樽振は冷めた口調で淡々と告げると、ボコボコに凹んだ金属バットを握り直してトパンへと突きつけた。

 「そんな──知らなかったのです! 知っていれば何とでも出来たのに。今からでも私が何とかしますから、有瀬さんを解放して下さい!」

 「死んだ人間は戻らない!」

 感情を露わにした樽振が金属バットを地面へと叩きつける。

 「下がってろ!」

 恵梨沙に指示を出すと、樽振はニコを手招きした。

 「コイツを助けたいか? おまえが身代わりになるのならば考えてやろう」

 その言葉を聴くと、ニコは一瞬の迷いも見せることなく前方へと脚を踏み出した。

 「ダメよ、ニコ!」

 後方から恵梨沙が呼び掛ける。

 「私がここにこうやって生きているのは有瀬さんのお節介のせいですから」

 毅然とした態度で歩を進めるニコ。

 「なんだ、おまえも死にたがりか? 知ってるぞ! ここで弟が死んだんだろ? 弟のところへ連れて行ってやるよ。今日この場所で俺と一緒に死んでくれ!」

 樽振が両手を広げながらニコを迎え入れる。

 「──本当にお節介な人です。私には生きる希望も未練も何も無かったのに。今はちょっとだけ残念な気がします。でも良いんです。楽しい想い出を貰いましたから」

 ニコは樽振の足元に倒れているトパンへと向かって呼び掛けるように言葉を紡いだ。

 「──僕も同じさ」

 「えっ?」

 それは一瞬の出来事であった。

 縛られていたはずのトパンが縄を解いて立ち上がると樽振を抑え付ける為に飛び掛かった。それを振り払おうとする樽振。二人はそのまま屋上の縁へと進んで行く。

 「ダメェー!」

 走り出し、手を伸ばすニコ。

 しかしその手はトパンの手を捉える事が出来ず空を切り、トパンと樽振は縺れ合いながら屋上から転落して行った──。

 「トパァーン!」

 手を伸ばしたまま膝から崩れ落ちたニコの叫びが木霊する。

 そして周囲を沈黙が満たした。


 「ハイ、カーット!」

 恵梨沙の掛け声と共に、何処からとも無くわらわらと見知った人々が姿を現した。

 「ホント感動的だったわ、ニコちゃん!」

 状況を呑み込めず、呆然自失となっているニコの両手を莉瑠が握った。

 「──楽しい想い出を貰いましたから」

 その隣で紫杏がニコの物真似をする。そして二人声を揃えて叫んだ。

 「トパァーン!」

 ケラケラと笑い合う二人の女性。その背後に立つ外柳医師が申し訳なさそうにニコへとフォローする。

 「すみません、谷得織さん。決して馬鹿にしてる訳では無いのですよ。さっきまで彼女たちも感動して涙ぐんでいたのですから」

 ニコが呆然と周りを見回すと、今までの事件の関係者が屋上へと集まっていた。

 「──ど・う・い・う・こ・と・で・す・か?」

 ニコは近づいて来た恵梨沙へ向けて、凍えるように冷めた声音で問いかけた。

 「えーっと、詳細は彼から──」

 危険な空気を感じて恵梨沙はそそくさとその場を離れる。

 その背後、階下へと続く階段のドアを開けてトパンが姿を現した。その後ろには樽振が続いている。皆が拍手で二人を出迎えた。

 「有り難うございます! 本日はニコちゃんの誕生日を祝う為にこんなに大勢の方へ来ていただきまして、本人も言葉に出来ないほどの喜びを感じております。また記念のドキュメンタリー映画の撮影にもご協力いただき、本当に感謝の念に堪えません。迫真の演技で魅せてくれた樽振君に盛大な拍手を!」

 トパンの挨拶を受けて樽振が照れ臭そうに頭を下げると、溢れんばかりの歓声へと包まれた。

 「それから主演女優のニコちゃん。ハッピーバースデー! 僕に言いたいことがあるんじゃないかな?」

 トパンが呼び掛けると皆が沈黙してニコの言葉を待つ。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたニコであったが、事情を把握すると表情を引き締め空咳をしてから言葉を発した。

 「ええ、一言だけ──このお節介野郎!」


 教会の屋上へは食事が運び込まれ、そのまま立食パーティー会場となった。

 夕刻が過ぎ、やがて闇夜が訪れる頃、屋上にはトパンとニコしか残っていなかった。

 「まだ怒っているのかい?」

 屋上の縁に座って仄かな光を放つ村を見つめるニコの隣りへとトパンが腰掛ける。

 「別に怒っていません」

 明らかに不機嫌な口調でニコが答えた。

 「途中で気づくかな、と思っていたんだけどね」

 「言われてみれば恵梨姉が持ち歩いていたショルダーバッグがいつも不自然な場所に置かれていた気がします。誰かに見られていた気がしたのも、どうせあなたが盗撮していたのでしょう」

 「盗撮とは随分な言われようだな。まあ確かにホテルの色々な所にカメラを仕込んでは有ったけどね」

 「全く──まさかこれが八つめの冒険だというわけではないでしょうね?」

 「おっ、良く解かったね。名付けて『トパン最後の事件』かな」

 「不許可です。こんな詐欺みたいなイベントは一つにカウントさせません」

 「でも次の事件がいつ起こるか判らないしね。それにニコちゃんも生きる目的を見い出したみたいだし──」

 「いつまでも待ちますよ。それも私の生きて行く楽しみの一つになりますから」

 そのニコの言葉が終わるかどうかという瞬間、間近で大きな鐘の音が響き始めた。

 「八時だ──不思議だね。何でこの時計はいつも八時にだけ鐘を鳴らすんだろう?」

 トパンのその問いかけにニコが答える。

 「それはきっと『今から新しい八つの冒険をしろ』というお告げなのだと思いますよ」

 その言葉を受けてトパンがニコの横顔を見つめた。

 照れ臭そうにニコもトパンの方を向く。

 月明かりの下、二つの影が重なった──。


                                 おわり

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八点鐘 ~ニコとトパン~ 南野洋二 @nannoyouji

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