第3話 映画の啓示

 「あれ? もしかして泣いていたのかい?」

 すでに映画『幸福な姫君』の上映は終わり、暗闇に包まれていた館内には明かりが灯され、小休止を挟んだ後にメイキングフィルムが上映される予定であった。

 黒いスーツに身を固めた若い男・有瀬塗範は右目に掛けていた片眼鏡を外しながら、隣に座っている少女へとハンカチを差し出す。

 「な、泣く訳ないではないですか。所詮作り話ですよ!」

 そう言いながら彼から顔を背ける少女の名前は谷得織丹子。一見普通の女子高生に見えるが、実はこの映画館のある戸柄市近郊に位置する下礼村で地域最大のリゾート業を営むヤエオリグループのオーナーである。

 今回の映画は彼女のグループが出資し、下礼村にある風呂豚山周辺でロケーションが行われた縁で関係者が集まる試写会へと招待されたのであった。二枚の招待券を受け取ったニコは、たまたま戸柄市へ仕事で滞在していたトパンを呼び出し、無理矢理同行させたのであった。

 「お嬢様、わざわざ御足労いただき有難うございました」

 二人が座る席の横の通路へとやって来た若い女性が深く頭を下げながら挨拶する。

 「やめて下さい、恵梨姉。昔のようにニコで構いませんよ」

 「いいえ、ヤエオリグループに出資していただいて初めて商業用映画が撮影出来たのですから、ニコ様には幾つ様を付けてもバチが当たりませんわ」

 恵梨姉と呼ばれた女性が冗談めかしながら答えると、二人は声を揃えて笑い合った。

 「えーっと、そちらは?」

 会話に加わりそびれたトパンがニコへと問いかけると、女性本人が彼へと呼び掛けた。

 「先日は有難うございました、探偵さん。あなたの謎解きは凄くドラマティックで素敵でした。是非今度映画の一場面に使わせていただきたいですわ」

 「えっ? ということは──」

 「彼女はこの映画の監督の類津恵梨沙さん。呉尾さんの奥様の妹さんで、私の小学校時代からの先輩です。今年の春に東京にある映像関係の専門学校を卒業されたので、下礼村をアピールできるような映画を一本撮っていただくよう村長を通じて依頼してありました。私も弟も昔から恵梨姉の創るお話や自主制作映画のファンでしたから、完成を本当に楽しみにしていたのですよ」

 そう言われて彼女の顔をじっくりと観察すると、化粧をしているものの顔の輪郭や声音が呉尾さんの奥さんに瓜二つだな、とトパンは改めて見て取った。

 一方で、ニコの説明を受けた恵梨沙が不安げに問う。

 「期待に沿える出来だったら良かったんだけど──」

 「ああ、バッチリです! 何しろ感動して泣いていましたから」

 トパンがそう言い終える前に、彼の腹部にニコの肘鉄が食い込んだ。


 そのまま恵梨沙は二人の隣へと座り、一緒にメイキングフィルムを鑑賞した。

 監督自らの解説付きなんて贅沢だなと思いつつ、トパンは先程から感じていた違和感を、ニコを挟んで座っている恵梨沙へと小声でぶつけてみた。

 「あの犯人役の男性なんですけど──」

 「樽振久君ね」

 「その樽振さんって、始めから主役の予定でしたか? 僕にはどうも彼が脇役で終わるような設定だったとしか思えないんですけど」

 確かに先程から映っているメイキングに樽振は出て来ていない。映像の隅っこの方で時折カメラに引き抜かれているだけであった。

 「そんな八十年代の香港映画ではあるまいし、途中で脚本を書き換えるようなことをする訳がないではないですか。ねえ恵梨姉?」

 ニコがトパンの疑問を一蹴しようとしたが、恵梨沙は困ったように言葉に詰まっていた。

 「──本当に探偵さんは何でも解かるんですね。ええ、確かにクランクインの時点では彼は単なる殺人犯役で終わるはずだったんです。でもその演技が周りを圧倒し始めて、私もこのまま終わらせたら勿体無いと思ったんです。だから急遽彼とヒロインの恋愛物語へと脚本を書き換えました」

 「なるほど。確かに彼の演技は突出していましたね。失礼を承知で言うのならば学生が撮った映画にキャリアのある役者が入ったかのように感じました。それほど彼の殺人場面は狂気に満ちていましたし、ヒロインに寄せる想いは鬼気迫るものがありました。有名な役者さんですか?」

 「いいえ。樽振君とは専門学校で知り合ったんです。彼は裏方志望で演劇の経験は無いと聞いていました。でも、あの個性的な顔が印象深くて、台詞も出番も少ない犯人役をお願いしたんです。本来は制作スタッフとして参加していました」

 「そうなんですか──」

 トパンは恵梨沙の話を聴きながらも、フィルムに映る樽振の姿から目を離すことは無かった。樽振はがっしりとした体付きをした小柄な男で、ハンサムとは真逆のベクトルを持つ顔立ちをしている。

 「この劇場にキャストの方はいらっしゃっていますか?」

 「そんなに大規模な上映会ではないので──。若い出演者は東京に住む学生がほとんどだし、商業映画ということでベテランの方々にも参加いただきましたが、みなさん普段は劇団に所属していますので、予定を合わせて来ていただくのは難しかったんです」

 「ヒロイン役の女優さんはどうです?」

 「玲ちゃんね。彼女に関しては、ここではちょっと──」


 恵梨沙が濁した言葉の続きを聴くべく、トパンとニコは上映会終了後、彼女と待ち合わせて近くの居酒屋へと入った。

 ビールジョッキが二つと烏龍茶の入ったグラスが運ばれてくると、三人は映画の完成を祝って乾杯した。映画館では後ろの観客に遠慮して脱いでいたトパンだったが居酒屋では屋内にも関わらず、トレードマークともいえる黒い山高帽をかぶっている。すでにニコは注意するのを諦めたのか、帽子の存在をスルーしていた。

皆が飲み物に口を付けたところでトパンが恵梨沙へ話の続きを促す。

 「ヒロインを演じてもらった安藤玲ちゃんなんだけど、見ての通り、すっごい美人なのよ。実物はフィルムに映っているよりも綺麗よ」

 「ええ、隣で鼻の下を伸ばしていた男性がいましたから判ります」

 ニコは烏龍茶を呑みながら恵梨沙の話を肯定した。

 「ウ、ウン!」とトパンが喉を鳴らして受け流す。

 「でも正直、ちょっと残念なのよねぇ」

 「美人あるあるですね」

 女性二人が勝手に納得し合うのにトパンは付いて行けていなかった。

 「どういうことです?」

 「オツムが弱いというか、良く言えばすぐ男に騙される、悪く言うならかなりお股が緩いのよねぇ」

 「今何か期待しましたね」

 恵梨沙の嘆きに続いて、ニコが間髪入れずトパンへ突っ込みを入れた。

 「いやいや、ないない。じいちゃんの遺言で美人には近づかないようにしてるんだ」

 両手を振って否定するトパンをニコが蹴飛ばす。

 「なら今後一切私には近づかないで下さい」

 二人のやり取りを観ていた恵梨沙がプッと吹き出した。

 「ちょっと、恵梨姉。なんで笑うんですか!」

 それをきっかけに堪えていたトパンも釣られて笑い出す。

 「なんなんですか、二人とも。本当に失礼ですね! 帰ります!」

 立ち上がるニコを慌ててトパンが引き留めた。

 「ゴメンゴメン、ニコちゃん。ほら、未成年は対象範囲外だからね──そんなことより」

 恵梨沙の笑いが収まったのを見て、トパンは真顔に戻った。

 「樽振さんと安藤さんの所在を確認しておいていただけますか?」


 携帯電話を手にした恵梨沙が、不可思議そうな表情を浮かべながら席へと戻って来た。

 「二人とも電話が繋がらないわ。一応玲ちゃんの当時の彼氏にも電話してみたけど、とっくに別れたって言われて切られたわ」

 「撮影終了からどれくらい経ってます?」

 「クランクアップが九月十八日だったから、二ヶ月ってところね」

 「安藤さんの男性との平均交際期間は御存知ですか?」

 「さあ? 早ければ二時間、長くても二、三ヶ月じゃないかしら?」

 冗談めかして答える恵梨沙であったが、トパンの表情は真剣だった。

 「杞憂ならいいのですが、安藤さんの居場所を特定してもらえませんか?」

 恵梨沙はトパンの顔をじっと見つめると、顔を引き締めて再び電話をするために離れて行った。

 「何を心配しているのですか?」

 ニコは全く事情が掴めずにトパンへと問いかけた。

 「これはあくまで僕の持論なんだけど、楽器の演奏が出来なければアーティストは演じられないし、拳法なら形だけ模してもリアルには映らないと思うんだよ」

 「樽振さんが殺人鬼だとでも言うつもりですか?」

 ニコは呆れた様に否定する。

 「そこはまだ何とも言えないけど、少なくとも彼が安藤さんに恋しているのは明らかだ」

 「どういう論理の飛躍ですか!」

 「論理じゃないよ、観察さ。映画本編で感じた彼のヒロインへの恋慕はメイキングフィルムにもはっきりと刻まれていたんだ。君はそういう目線で見ていなかったから気づかなかっただろうけど、僕はずっと彼が映った場面で彼の視線の先を追っていたからね」

 「でも、言いにくいですけど、正直樽振さんは──」

 ニコは相手に失礼だと思って言葉を濁した。

 「そう、交際する男性に苦労することのない安藤さんには歯牙にもかけられないだろうね。彼もそう思って諦めてくれていれば、僕の杞憂で終わる話さ」

 「でももし彼が過去に犯罪を犯したことがあったとしたら──」

 ニコも心配げな表情を浮かべながら離れた場所で電話している恵梨沙の姿を目で追った。

 「欲望を叶える為のハードルは必ずしも高くはないよ」


 「玲ちゃんは当時付き合っていた撮影スタッフの学生の紹介で映画に参加していたのよ。だから知らなかったんだけど、実は東京にある小さな芸能プロダクションに所属していたの。ただ、玲ちゃんはお気に入りの彼氏が出来ると一、二ヶ月は連絡が取れなくなることがざらにあって、実質干されていたみたい。そんな訳だから誰も彼女の消息を把握していないのよ」

 恵梨沙が調べた内容を報告すると、トパンは考え込みながら訊いた。

 「最後に彼女と会ったのは誰でした?」

 「プロダクションのマネージャーね。十一月に一回打ち合わせしているわ。結局その後連絡が取れなくなって仕事はポシャッたそうだけど」

 「良かった! まだそんなに時間は経っていない。類津さん、すみませんが僕の携帯電話宛てに判る範囲で良いので樽振さんの情報を送っていただけますか? メールアドレスはニコちゃんに訊いて下さい」

 そう言い捨ててトパンはネクタイをギュッと締め上げると慌てて居酒屋から出て行った。

 その慌ただしさに取り残された二人は暫しキョトンとしていたが、気を取り直した恵梨沙がジョッキを呷ると横目でニコを見ながら薄笑いを浮かべた。

 「へぇー」

 「なんですか」

 黙ってニヤニヤとイヤらしい笑いを浮かべる恵梨沙。

 「誤解です! 恵梨姉が思っているようなことは何もないですからね!」

 「へぇー」

 その晩、ニコは恵梨沙の酒の肴となった。


 翌日、ニコがお付きの車で下礼村へと戻ると、ホテルウインドブックの前は猟銃を構えた男たちと見慣れない警官たちの姿が入り混じり、騒然となっていた。

 「何事ですか!」

 慌てて車から降りたニコの一喝を受けてその場が静まり返る。

 すると、数人の警官の中から私服姿の中年男がニコの元へとやって来た。

 「あなたがこの村を仕切っている谷得織さんですか? 随分とお若いようですが──」

 「あなたこそ、一体どなたですか?」

 ニコは機嫌を損ねてムッとしながら質問で返した。

 「ああ、これは失敬。私は戸柄署の森聡と申します。風本村長には色々と良くしていただきまして──あっ、前村長でしたね。こいつは大変な失礼を」

 言葉使いは丁寧ではあったが森警部の態度はあくまでも不遜であった。

 「それで街の警察の方が何しにこんな田舎の村までいらっしゃったのです?」

 ニコの質問の答えは別方向からもたらされた。

 「ああ、お嬢! 申し訳ございません。儂が応援に呼んだのです!」

 そこにはこの村の駐在である礼隈巡査が立っていた。

 「実は心配を掛けまいと思いお嬢には報告してなかったのですが、数日前から風呂豚山の山荘から奇妙な声が聴こえると、村人の間で噂になっておりましてな。この老人では山登りなどとても無理ですので、旧知の森警部に応援をお願いしたというわけです」

 場が落ち着くと、老巡査がニコへと状況を説明した。

 「あの猟銃を持った方たちは何なのですか?」

 「ホテルの客です。今朝狩りに行く予定じゃったらしいのですが、奇妙な声の噂を聞きつけて、そちらの方が面白いと山狩りへ向かおうとしていたのですわ」

 老巡査の説明にニコが非難の声を上げた。

 「そんなこと許可出来る訳がありません!」

 「そう思ったホテルのスタッフに儂が呼び出されて押し問答している内に、ちょうど警部たちがやって来たという訳です。警部たちに説得されて猟師たちは諦めて解散するところじゃったのです」

 そう話している間に、ホテルの前へと残っているのはニコと老巡査、そして森警部と同行している四人の警察官だけとなった。

 「それにしても、山荘を見に行くだけにしては随分物々しいですね」

 ニコは警官の装備を見定めて苦言を呈した。全員腰にホルスターを下げ、すぐに拳銃が撃てるように準備している。

 「実は──これはまだ一般には口外されていないのですが、この村から通報があった日の前日、戸柄市内で宝石盗難事件があったのです。犯人が隠れていそうな場所は全てあたったのですが、全く尻尾を掴めていません。捜索範囲を広げて行く中で、風呂豚山に関する通報が重要視されたという訳です」

 森警部は部下たちが出発準備を整えているのを横目に見ながらニコへと説明した。

 「なるほど。つまり村の為に来ていただけた訳ではなく、宝石泥棒を探しに来たという訳ですね」

 そう断定するニコの言葉を警部が笑い飛ばした。

 「同じことでしょう? いずれにせよ、奇妙な声の謎は解けるわけですから。よし、行くぞ!」

 警部の合図と共に警官隊は風呂豚山へと続く道を歩き出した。


 警官たちを見送ったニコがホテルの中へ入ろうとすると、ホテルのエントランスに一台のタクシーが停まった。客席のドアが開き、慌てた様子でトパンが降りて来る。

 「まあ! タクシーでここまで来るなんて随分リッチですね!」

 ニコが驚きの声を上げるが、トパンはそれに構わずに運転手へと声を掛ける。

 「タクシー代はフロントで立て替えるから!」

 「ちょっと!」

 ニコの非難を聞き流すと、トパンは荷台から降ろしたトランクを転がしながら警官隊の後を追う。

 「時間がないんだ。この道は映画の撮影に使った道じゃないだろう?」

 早足で歩くトパンは隣に並んだニコへと問いかける。

 「えっ? ええ、あれは裏の道です。恵梨姉がそっちの方が雰囲気が出るからって」

 「山荘へ行くにはどっちが近い?」

 「ここからなら左手の丘を抜けて裏へ回った方が若干ですけど早いと思います」

 「案内してくれ!」

 トパンの切羽詰まった深刻さに押されてニコも質問を控えて彼を先導した。

 「見えました!」

 山の裏手に回った途端に目的地である山荘の姿が目に入った。

 「映画で見た通りだ。確かに犯罪者が隠れていそうな雰囲気がある」

 山道を登りながら、トパンがニコへと問いかけた。

 「あの映画のあらすじを覚えているかい?」

 「えっ? 最初にこの山荘で醜い男が殺人を犯す。でもそれは想いを寄せるヒロインを救う為で、殺された男はヒロインの義理の父親で日々彼女に暴力を振るっていた。義理の母親から父親殺しの汚名を着せられたヒロインを守る為に殺人犯は自らの罪を世間に明かす。捕まった殺人犯が死刑になる直前、彼の救済を嘆願するヒロインの前に本当の両親が現れる。それはその国の王様で、ヒロインは実は犯罪者の夫婦に誘拐された姫君だった。殺人犯だった男は姫を救ったことで罪を許され、継母が代わりに処刑される。ヒロインと醜い男は王様から結婚を許されて、幸せに暮らしました──こんな感じでしょうか?」

 「良く出来ました。でも元々のプロットはこうだったんだ──姫様を攫った醜い男はこの山荘の主人を殺して、ここへ姫を監禁する。だが、道に迷ったハンサムな王子様が山荘へと立ち寄り、囚われた姫の姿を見掛けて一目で恋に落ちた。醜い男を退治した王子だったが、すでに姫は監禁者である醜い男の情熱に負けて彼を愛してしまっていた。山荘から王子を追い出した姫は醜い男の死体を抱いて山荘へと火を付ける──」

 「火を付けるですって!」

 初耳の内容にニコが驚きの声を上げた。

 「勿論、火事はCGだよ。つまりこの作品のテーマはストックホルム症候群と呼ばれる心的外傷後ストレス障害を扱った社会派ドラマだったんだ。映画のタイトルである『幸福な姫君』とは、皮肉を込めたアンチテーゼだよ」

 「まあ! 恵梨姉ったら、人のお金で一体どんな映画を撮ろうとしていたのですか!」

 「それは今度彼女に会った時に訊いてくれ。それよりも僕は二人が実際に元々の脚本通りのストーリーを演じようとしている気がして怖いんだ」

 「山荘にあの二人がいるのですか?」

 「他に誰がいると思っていたんだい? 君らと別れた後、安藤さんの元彼に話を聞いたんだけど、別れ話は彼女からだったらしい。しかも新しい彼氏が出来たという理由だ。彼氏が誰か、君にも想像付くんじゃないかな」

 「嘘ですよね?」

 「事実は小説よりも奇なりさ。おそらく彼女は整った男子の顔に見飽きてたんじゃないのかな。しかも大抵の男たちは彼女の中身が薄っぺらな事に呆れて彼女の元から去って行く。そんな時、情熱を持って彼女を愛してくれる男性が現れた。顔の美醜なんて関係なかったんだと思うよ」

 「ちょっと待って。ということは、主導は安藤さんってことですか?」

 「そりゃそうさ、だから急いでるんだ。警官隊に囲まれて追いつめられた二人が山荘に火を付けて心中する──こんなにドラマティックな展開はないだろう?」

 「無茶苦茶言わないで下さい。彼女たちには心中するような理由はないでしょう?」

 「僕もそうは思うけどね。でもあの二人がなぜこの山荘に来たか知っているかい?」

 「知る訳ないです。大体、他人の山荘ではないですか」

 「日々演じているんだよ、お互いに醜い男と姫君を。今朝樽振さんのアパートへ寄って、放置されていた彼の携帯電話を拝借してきたんだ。ここには彼と彼女のSNSによるロールプレイングが克明に記録されていたよ。樽振くんは姫を奪い取ろうとした王子に襲われて瀕死の状態、姫を連れて山荘へと逃げ込むところまで確認できた」

 「じゃあ──」

 「不法侵入という負い目がある以上、二人がどんな行動を取るか想像もつかない。警官が来たからと言って『ハイハイ、おしまーい』とは絶対にならないと思うよ。むしろ二人にとっては劇的な演出となるだろうね」

 山荘へ辿り着くと、トパンは黙って建物の周りをグルッと回った。建物自体はシンプルな木造一階建てだが、中は四つの部屋に分かれているようだった。屋根に付いている明かり取りの出窓に目を付けたトパンは、台所の勝手口の前で待つようにニコへ身振りで指示をすると、彼女の耳元へと口を寄せてこの後の行動を指示した。彼女にトランクを預けると、トパンは建物に並んで立つ太い木を登り始める。ニコは不安そうに見上げていたが、トパンは軽々と登り切り、体重を支えられそうな枝を足先で選別すると、その細い枝を平均台に見立てて走り出し飛び上がった。ドスンと音を立ててトパンが屋根へと着地すると、しばらく経って入り口から樽振が何事かと顔を覗かせた。そして視線の先に近づいて来る警官隊を認めて慌てて室内へと戻って行く。

 トパンは樽振と玲が話している部屋の出窓まで行くと、懐から片眼鏡を取り出し右目に掛けた。それから山高帽を右手で押さえると、足で出窓のガラスを割って室内へと飛び降りた!

 「誰だ!」

 突然の闖入者に驚いた樽振が玲を背後へと庇う。

 「──怪盗さ」

 バネのように膝を折って着地したトパンが、ゆっくりと立ち上がる。

 「姫君を戴きに来た」

 「誰がおまえなんかに渡すものか!」

 樽振が壁際に設置されている暖炉から火掻き棒を取り出し、トパンへ向けて構えた。

 「そういうことなら仕方がない──」

 トパンが右手を高く掲げて指を鳴らす。

 すると勝手口から入って来たニコが、手にしたカチンコを思いっきり鳴らした。

 「ハイ、カット!」

 「警察だ!」

 その瞬間、玄関ドアが蹴破られて森警部と二人の警官が室内へと入って来た。

 呆然としている二人の男女と、怪しい格好の男、カチンコを持ったニコの姿を捉えると警部は呆れ気味に呟いた。

 「何だ──これ?」


 「つまり、夜な夜な演劇の練習をしていたと?」

 森警部は山荘の中で不本意ながらもトパンに対して真面目に事情聴取をしていた。本心はあまりにも馬鹿馬鹿しくなって、今すぐにでも戸柄市へと帰りたかったのだが警官隊を現場投入した以上、報告書が必要なのであった。

 「ええ、お騒がせして申し訳ございませんでした」

 トパンが真摯に謝る。

 「でしたら、ホテルの前で教えて下されば良かったではないですか!」

 警部はやり場のない怒りをニコへとぶつけた。

 「あの時点では私も知らなかったのです。有瀬さんから山荘で合宿をしていることを聞きまして、慌てて裏道を通って駆け付けたのです」

 「──まあ、とりあえず何事も無くて幸いでしたね!」

 捨て台詞を吐きながら警部が部下を引き連れて山荘から引き上げて行った。

 警察の姿が見えなくなると、樽振が慌ててトパンへと頭を下げた。

 「御迷惑をお掛け致しまして申し訳ありませんでした!」

 「まあ、何事も無くて本当に良かったです。ここへの不法侵入は彼女が何とか誤魔化してくれるでしょう。荷物を纏めたら、二人とも家に帰って下さいね」

 トパンがニコへ二人の免罪許可を求めると、彼女は肩を竦めて呆れながらも承諾する。

 それから二人は恋人たちに背を向けて、村へ戻る為に玄関の扉へと手を掛けた。

 「待って下さい!」

 そこへ今まで黙っていた玲が二人の元へと駆け寄って来る。

 「怪盗さん──」

 自分の事を呼ばれたのに気がついてトパンが振り返った。

 「好き♡」

 その胸へと玲が飛び込んで行く。

 あちゃー、と顔を覆うニコ。

 感情を押し殺した顔の樽振が、暖炉へと脚を進めて火掻き棒を再び手に取った。

そして怒りを込めて高らかに宣言する。

 「決闘だぁ!」


                                 つづく


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