第9話 独白
カケルの腕の中で眠るミントは安らかな顔をしていた。まるで今すぐにでも目を覚まして、声をかけてきそうなーー
「カケル」
ーー空耳とは、思えなかっただろう。少なくともカケルは。
「ミント……」
抱きしめた彼女から、何か温かなものが流れ込んでくる感覚があった。
私はこの感覚を知っている。何度も経験したものだから、わかる。彼女はカケルに託していったのだ。
草を踏み分け進む音が近づいてくる。きっと彼だろう。
「カケル、無事だったか? ミントはーー」
追いついてきたガーリックは、こちらを見た途端に固まってしまった。
声をかけるべきなのだろうが、言葉が見つからない。彼らは幼い頃から一緒だったと聞く。出会って間もない私が何を言おうが空虚な戯言にしかならないだろう。言えることがあるとすればーー
「ガーリック、残念だが間に合わなかった」
ーー事実を伝えること。
ガーリックは我に返ったと思ったらすぐに駆け寄り、二人の前にしゃがみ込んだ。
「ラグーン様、あんた竜だろ。どうにかならなかったのかよ……」
ガーリックの声は今まで聞いたことがないくらい弱々しい。それだけで、彼女がどれだけ大きな存在だったか思い知る。
「すまない……」
そう答える以外に何ができただろう。
「カケル、どうして、どうしてだよ。お前がいながら、どうして……」
カケルは何も答えない。ガーリックの位置からでは表情が見えない。
「おいカケル、聞いてんのかよーー」
ガーリックが肩をつかんで無理矢理自分の方に向かせたカケルの顔は、ひどいものだったろう。
「ーーっ」
焦点が定まらない目、開いたままの乾いた唇、血の気が失せた顔色。どれをとっても普段の彼からは考えられない姿だ。
「カケル、おいしっかりしろよ! お前がそんなじゃ、あいつだって浮かばれねぇぞ!」
ガーリックが声を大きくしてもカケルには届いていない。
「ーーっ!」
ガーリックがカケルを一発殴りつけた。
「聞いてんのかカケル! あいつはな、あいつはお前をーー」
殴られた衝撃でカケルの体がずれて、ミントの顔が見えた。その表情を見て察したのだろう。彼女に悔いはなかったと。
「ちっくしょおお!」
ガーリックの叫びが森の中に響き渡る。彼もまた言葉にできない想いを抱えていたのだろう。
私が言えることはもう一つ。
「カケル、ミントを街まで連れ帰ろう」
小型種にはそういう習慣があると聞いた。ならばこのままにはしておけないだろう。
「そう、ですね……」
カケルがようやく反応した。ミントを背負い、ゆっくり歩き出す。
「カケル、疲れたら言えよ」
「ああ、大丈夫だよ」
クラウスへの帰路についている間、二人はそれきり一言も言葉を交わさなかった。
その日の夜、クラウスは悲しみに包まれた。誰かが言っていた。生きた証とは、その者の死にどれだけの者が涙を流すかで示されると。ならば彼女はその存在の大きさを自身で示したことになる。
生者が死者に別れを告げ、その遺体を弔う小型種の葬式という儀式が執り行われている間、多くの者が涙する中でカケルは平静だった。少なくとも周囲の者にはそう見えたことだろう。彼を知らぬ者は情が無いと漏らしたが、彼を知る者はむしろ心配していた。
私は知っている。カケルが平静でいた理由はワタルだ。ワタルは式の間ずっと泣いていた。
「ごめんなさい、ボクが一緒に行かなければ…。ミント姉ちゃんはボクを逃がすために…」
ワタルはミントのことを聞いてからずっと自責の念に苛まれていた。自分のせいだと自分を責め、その責任の重さに耐えきれず泣いていた。
だからカケルは一緒に泣くわけにはいかなかったのだ。ワタルを救い上げるためには、自分までもが落ちているわけにはいかなかった。
「ワタル、ミントは自分の意思でお前と一緒に行くことを選び、自分の意志でお前を逃がすために命を懸けることを選んだ。全てあいつの意志だ。お前はただ、あいつにもらった命を大切にすればいい。それがあいつの意志だろう」
そう言って、ワタルの涙をその胸で受け止めていた。
式がもうすぐ終わろうかという頃、印象的なことが起きた。ミントの両親がカケルとガーリックに礼を言ったのだ。
「娘を連れ帰ってくれてありがとう」
「あの子はずっと幸せだった」
「君たちのおかげだ」
おそらく最も辛いであろう彼らが泣きながら、声を乱しながらもそう言って頭を下げる姿が私は忘れられない。ガーリックがあれほど泣いていたのも同じ理由だろう。
頭を下げ続けるカケルも、彼らに抱きしめられた時に初めて涙を流した。
葬式が終わった後、家に戻ったカケルはワタルを慰め寝かせた後、一人椅子に座り放心していた。
(カケル、お前ももう休んだ方がいい)
(はい……)
私の呼びかけにも生返事だ。心の中に届いていない。
(明日はお前も会議に出るのだろう? ならば尚の事だ)
ダンカン達はスクマが持ち帰った情報を元に今も外来種の対策会議をしているそうだ。カケル達はミントのこともあり呼ばれなかったが、明日はそうはいかないだろう。
(……そう、ですね)
上の空というやつか。これ以上は無駄かもしれない。これほど打ちのめされたカケルを私は見たことがない。
「……あいつのおかげで、オレはここまで来れたんです」
カケルが声を出した。私との会話ならば心の中で念じるだけで足りる。ならばこれは私に向けた声ではないのだろう。
「オレとワタルの親は、オレ達が小さい頃に魔物に襲われて亡くなりました」
私はしばらく黙って聞いていることにした。きっとこれは今のカケルに必要な過程なのだ。
「幸いお金は残してくれていたのでしばらく生活に困ることはありませんでしたが、オレはワタルのためにも早く一人前になって働く必要がありました」
知っている。カケルはそれからワタルの兄であり親代わりとしてあの子を守ってきたのだ。
「オレが手早く稼げるハンターになろうとギルドの訓練に参加している間、ワタルの面倒を見てくれたのがミントでした」
彼女もまたワタルにとって姉代わりだったということか。きっと三人は家族だったのだ。
「あいつはオレとワタルに気を遣ってよく家に来てくれて、オレがハンターとして自立するまでたくさん助けてくれました。今のオレがいるのは、あいつのおかげです」
カケルの声は明るい。きっと楽しい時間だったのだろう。人間の幼い子が親の庇護無しで自立するのは本来困難なことなのだろうが、それを良い思い出にする力が彼女にはあったのだ。
「同じ頃にハンターになったガーリックと組んで仕事するようになってからは、あいつもハンターになると言い出しました。最初は無理だと思いましたが、あいつ頑張って魔法覚えてハンターになって、いつの間にかオレ達はあいつに頼るようになって……」
カケルの声が震え始めた。幸福な過去の回想から、現実の認識に戻りつつあるからだろう。
「オレはあいつの気持ちに気づいていたんです。だけどオレ、ワタルが一人前になるまではって、それまでは頑張らなきゃって……」
そうだ。カケルはあまり自分を出すことがなかった。自分のことは全て後回しで、弱音を吐くことなく先頭を走り続けていた。それは無欲でも無心だったからでもない。そう自分を律しなければ最高のパフォーマンスを発揮できないのが自分だと知っていたからだ。だから彼はいつでも良き兄であり優秀なハンターであり頼れるリーダーであり続けた。
「結局オレはあいつに何も返すことができなかった。あいつをずっと利用するだけ利用して、あいつを幸せにすらーー」
「ミントは幸せそうだったぞ」
私はそう言わずにはいられなかった。
「短い間だが私が見てきたあの子は、いつも幸せそうだった」
「そう、でしょうか」
「そうだとも。お前はあの子を幸せにしていた」
彼女は最後の瞬間、苦悶するでも絶望するわけでもなく、安らかな表情を浮かべていた。あの顔に私は見覚えがある。あれは家族を守りきった顔だ。カケルとワタルはあの子を家族として満たしていたのだ。
だからこそ、託されたものがある。
「それなら、良かった」
竜玉に何かが落ちた。それはカケルの目からこぼれたものだった。潤むその目には、力が宿り始めている。
少しは吹っ切れたのだろうか。そう思っていると、外からドアをノックする音が聞こえた。
「こんな時間に誰でしょうね」
カケルが目を拭い、立てかけてあった剣を持って玄関へ向かった。
「オレだよ」
ドアの向こうから聞き慣れた声がして、カケルは安心してドアを開けた。外に立っていたのは思ったとおりガーリックだった。
「よお。悪いな、こんな時間に」
「構わないよ。どうしたんだ?」
「ワタルはもう寝たか?」
カケルが頷くと、ガーリックは後ろに隠していた物を見せた。酒瓶だ。
「一杯付き合えよ」
いつものカケルならば明日も早いと断っていたかもしれない。だが今夜のカケルは笑った後、彼を部屋に招き入れた。
テーブルでコップを合わせ鳴らす。二人が誰を想い何に乾杯したのかは言うまでもない。
私は眠ったフリをして二人の話に耳を傾けていた。
翌日。カケルはすっかりいつもの彼に戻っており、ワタルに声をかけてギルドへ出かけた。会議室に着くとダンカン達残りの八竜は既に来ており、途中で合流したガーリックと共に席につく。
「ラグーン様、お待ちしていました。カケル達もよく来てくれた。これで具体的な話ができるというものだ」
ダンカンの言う話とは当然、外来種の対策についてだ。
「とはいえ、こんな時にすまんな二人とも」
「ダンカンさん、いえオレ達こそ大変な時にこちらの都合を優先して」
「こちらはそうでもない。報告を聞いていただけだからな」
ダンカンの目元に深い皺が入っている。あまり寝ていないようだ。
「まず現状を説明しておく。クラウスは厳戒態勢をとり、街周辺は警備隊が交代で警戒に当たっている。何かあれば即応できるよう待機要員も平時の二倍にしてある。街の外は、ガイウス頼む」
ダンカンに話を振られたガイウスが頷いた。
「ギルドにはオレから話を通してハンターを派遣し、魔物の支配領域を偵察してもらっている。スクマが持ち帰った情報もあって既に外来種は捕捉済だ」
スクマは昨日の内に偵察から帰ってきていたようだ。ガーリックが彼女の不在に気づく。
「おいおい、ミュウの奴もスクマ置いて偵察か? ガイウスさん、あいつこそ休ませた方がいいんじゃねぇか?」
「……いや。ミュウは戻っていない」
ガイウスの言葉を受けてスクマを見ると、彼はひどくやつれた顔をしていた。
「皆さんは何か知らないすか?」
スクマの力ない問いかけに、私やカケル、ガーリックは首を横に振った。
「心配ですね。ミュウさんのことだから大丈夫だとは思いますが」
「ガイウスさんよ、偵察に出てるハンターもあいつを見てねぇのか?」
「ああ。だが彼らには外来種の捕捉と観察を第一に頼んでいる。ミュウの捜索は残念だが後回しだ」
「そいつは仕方ねぇ。ハンターってのはそういう役だからな」
ハンターは魔物を討伐するプロだが、魔物に返り討ちに遭うリスクも当然ながらある。事実手強い魔物に遭遇して帰ってこなかったハンターは多くいるそうだ。その捜索に人手が回されることは滅多にないとスクマもわかっているだろう。
「力になれずすまないなスクマ」
「いえカケルさん、この件が片付いたらオレが探しにいくすよ」
「スクマ、悪いがお前が持ち帰った情報を三人にもう一度話してくれ」
「ガイウスさん了解す」
スクマが話す外来種と思われる魔物についての情報は、私が知るそれの一つと概ね一致していた。
「ラグーン様、どうですか?」
「外来種で間違いないだろう。スクマ、お前が見た数は四体でいいのだな?」
「そうっす。最初は五体いて、一体は途中で力尽きたっす」
「ガイウス、現在確認されている外来種は何体だ?」
「三体ですラグーン様。全てゆっくりとクラウスへ近づいています」
「一体はミントが倒していた。数は合うな。速度が随分とバラバラなのが気になるが」
「きっとそれは姐さんの矢を足に受けてたからだと思うっす」
「それでも明日にはこの近くまで到達するだろう。迎え撃つ準備をする必要がある」
ガイウスの言にダンカンが頷いた。
「それが今日の本題だ。まずラグーン様から外来種についてお聞かせ願いたい」
「もちろんだ。私が知る限りを話そう」
はるか昔のことのはずだが昨日のことのように思い出せる。奴らとの戦いはそれだけ私という存在に刻み込まれている。
「今回現れた外来種はスクマから聞く限り、私達が兵隊級と呼んでいるタイプだ。これはどの外来種にも言えることだが、硬い外殻に覆われていて生半可な攻撃は通らない。武器で破壊することは難しく、魔法も熱系統はほぼ効かない」
星の外から熱地獄を突破してくる連中だ。その外殻の防御力は高く、特に外からの熱に対する守りは完璧と言ってもよかった。当時共に戦った小型種も苦労していたな。
「そうっすね。オレの魔法も効いていないみたいでした。姐さんの矢が目っぽいところには刺さってたすけど決定打にはなってなかったっす」
「厄介な敵ですな。ではラグーン様はどのようにして対処されていたのです?」
「私達は奴らの守りを超える火力で吹き飛ばしていたがーー」
マハトマが欲しい情報はそれではなく彼らも実行可能な方法だろうな。私は共に戦った小型種が行っていた工夫や話していたことを思い出す。
「ーー武器ならば魔法武器が効果的だったように思う。魔法は冷気系統と全身に強い衝撃を与えるものが比較的有効だ。あと奴らの心臓部は腹にあるから、そこをピンポイントで狙うのもいいだろう。ただし腹から伸びる管には気をつけろ。あれに触れれば命を吸われ、小型種ならば致命傷になる」
私の情報を聞いた八竜の面々はそれぞれ自ら実行可能な方法を探る。
「魔法武器か。希少な代物だな」
「ガイウス、貴様はギルドに心当たりがないか調べてもらってくれ。オレは商人を当たる」
「ふむぅ冷気系統が得意な魔導士がクラウスにいたかどうか。弱点がわかったのですからそこを狙う算段をつける方が早いですかな」
「まいったすね。すぐに別の魔法を覚えられるはずもないし、オレは陽動に回るすかね」
「接近戦するなら管には気をつけるとして、カケルは相性が良いんじゃねぇか?」
「やってみるまではわからないけどな」
ガーリックの言うとおり、単独で兵隊級の相手ができるのは現時点ではカケルだけだろう。後は他の連中がどこまで対策を立てられるかだ。
「では対策は各々考えるとしてだ。連中の狙いがハッキリしている以上は万全の布陣で待ち構えて有利をとるべきだろう」
私の言に八竜が頷く。私達は外来種を迎撃する布陣について話を詰めることにした。
明日にも現れる奴らに必ず勝利するために。
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