第8話 生命停滞

 誰かの⬛が、来るーー?

(ラグーン様、どうかされましたか?)

 カケルの呼びかけで我に返った。

 かつて何度も味わった感覚の予兆に意識が向いてしまっていたようだ。昔を思い出してナーバスになっているというのか。しっかりしろ私。

(何でもない。話を続けよう)

 私は再びクラウスの者達へ意識を向けた。

「ラグーン様、我々はどうすればよいのです?」

「敵は世界中にいるのですか?」

「竜ですら追い詰めた難敵というではありませんか。我々が太刀打ちできるとは思えませんぞ」

 まくしたててくるのは主に非戦闘員だ。彼らは一様に動揺している。さしずめおとぎ話の中だけの存在だと思っていた脅威が現実のものとなって、慌てふためいているといったところだろう。

「ーーとはいえ、そこまで恐れる必要はない」

 まずは彼らを落ち着かせることが先決だ。そのためには有利な情報から出すべきだろう。

「というと、勝機があるのですな?」

 マハトマの問いに対し、私は肯定した。

「この星に入った外来種はほんの僅かだ。先の戦いとは比較にならない程に集団の規模が小さかったこともあり、大半は私の結界に阻まれて消滅した。五体満足で地上に降りたのはせいぜい数体といったところだろう」

 みんなから安堵の声が漏れる。少しは落ち着いてくれたようだ。

「では至急に外来種とやらが落ちた場所がどこか調べるのが先決だな。ギルドの情報網を利用すればそう時間はかからんだろう」

「そうだな。すまんが頼めるかガイウス」

「もちろんだ」

 手早く話を進めるダンカンとガイウスは実に頼もしい。だがーー

「二人とも、その必要はない。外来種が降りる場所はわかっている」

ーーそう、わかっているのだから。

「外来種が目指す場所は、あの洞窟だ。だから奴らは常にその近くに降りてくる」

「……ラグーン様が眠る洞窟ですね」

「そうだカケル」

 かつての戦いがそうだった。私の仲間達はここで奴らを迎え撃ったんだ。そして……その先を思い出すのは後だ。今はやるべきことがあるんだから。

「では奴らの狙いはラグーン様であると?」

 ガイウスがそう考えるのは当然だろう。しかしそれは順序が逆だ。

「いや、奴らの狙いはあの洞窟だ」

 それは外来種の目的と深いつながりがある。

「あの洞窟の奥は、この星の核につながっている」

 星の核。この星の中心にあり、存在する限り熱を生み出し続ける動力源だ。

「外来種は熱を喰らう生命体だ。他の生物からも熱を奪うが、一番の好物は星の核だ。あれは星の核を喰らい尽くし、星を破壊する」

 そうしてまた別の星へと渡っていく。星は生命の住処であるが、奴らにとっては食事でしかないのだ。その結果、星とそこに生きる生命が死滅したとしても、奴らはそれをやめない。だから私とその仲間達はーー

「かつての戦いでは、あの洞窟が最終防衛線だった。最後に残った私はあそこを守り、そのまま動けなくなり眠りについたのだ」

ーー最期まで戦い抜いたんだ。



 私の話を聞いてクラウスの者達は幾分か落ち着きを取り戻してきた。対策を講じるなら今だろう。

「ラグーン様」

 カケルの呼びかけに私は応じる。

「ああ。外来種への対処だが、お前達にも協力してもらいたい」

「それはもちろんです」

「カケルだけじゃねぇですぜ。オレらだっていますよラグーン様」

 ガーリックが腕まくりしてやる気を見せている。彼はきっと話し合いよりも早く体を動かしたいのだろう。

「外来種が洞窟を目指すと言うならば、そこで待ち構えるのが基本となるか……」

「いやガイウス、奴らがクラウスを襲う可能性もある」

「そうですな。そのあたりラグーン様はどう思われますかな?」

 警備隊二人の危惧がもっともだ。

「外来種がこの街を襲わないとは言えない。奴らは熱を奪いにやってくる。熱を持つ物、生み出す者、その全てが言うなれば獲物となり得る」

「ならばクラウスの守りにも人員を割かねばなるまいな」

「なぁにダンカン殿、敵は寡兵です。それほど心配はありますまい」

 どうも警備隊は慎重なダンカンと楽観的なマハトマがうまい具合にバランスを保ってるようだ。

「油断は禁物だが、時間的猶予はある。奴らが来てすぐに洞窟に再び隠蔽の結界を張った。いずれ勘づかれるにしても対策を考える時間くらいは稼げるだろう」

「おお、さすがはラグーン様ですな。やることがお早い」

「対策か。奴らの本命が星の核だと言うならば、やはり洞窟の守りに最大戦力を当てるべきだろうな」

 ガイウスの意見にカケルが頷いた。

「そうですね。偵察に出ているミュウさんとスクマが戻れば、何らかの情報を持ってきてーー」

 そこまで言ったところでカケルが固まった。

「おいカケル、どうしたよ?」

 ガーリックが肩をゆすると、カケルは青ざめた顔で胸元の私に視線を向けてきた。珍しく様子がおかしい。どうしたというのだろう。

「ーーラグーン様、今、ラグーン様の洞窟へはミントとワタルが」

 そうだ。なぜ気づかなかった。結界で洞窟は隠せても人までは隠せない。

「すみません。オレは行きます!」

「オレも行くぞカケル!」

「すまない、各々守りの備えを頼む!」

 私はそう言い残し、カケルとガーリックと共に洞窟へと急いだ。




 道なき道を駆ける。折れた木の幹、露出した根っこ、生い茂る草、その全てを踏み倒して二人は駆ける。

「はぁっ、はぁっ、ミント、姉ちゃんっ」

「頑張ってワタル! 止まっては駄目よ!」

 そう言いながらミントは気づいていた。ワタルはもう限界だ。

 通れなくなった道を迂回したのがいけなかったか。知らぬ間に魔物のナワバリに入ってしまったか。いずれにせよ、後ろから追ってくる気配は少しずつ近づいている。

「……ワタル、先に帰っていなさい」

 ミントは立ち止まり、後ろに向き直った。

「ーーミント姉ちゃんっ?」

「止まるな! 走りなさい!」

 今まで聞いたことのない厳しい声に、ワタルが涙ぐむ。

 魔物と私、どっちが怖いのかしら。ミントはそう思うとおかしくなり、気持ちが落ち着いた。そして今度は努めて優しくーー

「先に帰っていて。私も後から必ず追いつくから」

ーーとびきりの笑顔で、ワタルに声をかけた。

 その声と笑顔に安心したのか、ワタルは泣くのをやめた。

「う、うん。わかった。ミント姉ちゃん、気をつけて!」

「大丈夫よ」

 ミントの笑顔に安心したのだろう。ワタルは駆けていく。その後ろ姿を見届けてから、ミントは後ろから迫る気配に対して杖を構えた。

「私だって、八竜なんだから」

 木々が日の光を遮り、草が邪魔をして少し先も見えない程に視界が悪いが、踏破する音でもうすぐそこまで来ていることはわかる。

 ミントは魔力の集中を始めた。

「気脈の源流よ、影を捉えよ身を縛れ…」

 発動待機したまま、静かにその時を待つ。

「ーー来た」

 魔物が姿を現した瞬間、ミントは魔法を解き放つーー

「えっ?」 

ーーことを止めた。魔物が自分を無視してあらぬ方向へ走っていったからだ。

「今のはグリズリー? だけど……」

 グリズリーは熊型の魔物でサイズはキングウルフと同程度の中型種に分類される。獰猛で力が強く、人を襲うこともある危険な魔物だ。稀に大型種にまで成長する個体もある。群れを為さず個の力で生き抜く習性があり、気位は高いと言われている。

 そのグリズリーがミントには目もくれず、どこかへ走り去って行ってしまった。

「まるで何かから逃げてきたようなーー」

 ミントはすぐにグリズリーが走ってきた方を見た。足音は止んでいない。

「私達を追っていたのは、さっきの奴じゃない」

 再び魔法を準備して待ち構える。足音が近づく。手負いなのか、その音は不規則でどこかぎこちない。

「ーー来たわね」

 ミントの前に現れたのは、黒い甲羅のような胴体に一つ目、六本の足を持つ巨大な昆虫のような……初めて見る魔物だった。




 洞窟がある森はクラウスからそう遠くない。しかし森の入口としていつも利用する奥へと続く道は、倒れた木々で塞がれていた。

「くそっ、なんてこった! 他に道はねぇのかよ!」

「迂回するしかない。ガーリック、他に通れそうな道を探すぞ!」

「ーー待て二人とも」

 私の魔力探知に引っかかったこの反応には覚えがある。反応が一つというのが妙だが。

「ワタルは近くまで来ている。向こうだ」

 私が案内する方へ向かうと、森から出てきたばかりのワタルを見つけることができた。

「ワタルーっ!」

「兄さーん!」

 カケルがワタルに駆け寄り抱きしめた。

「ワタル、心配したぞ」

「怖かった、怖かったよ兄さん……」

 カケルの腕の中でワタルが涙ぐむ。怖い思いをしたのだろう。私も声をかける。

「怖かったな。もう大丈夫だぞワタル」

「ラグーンもありがとう、来てくれたんだね」

 安心したのだろう、僅かに笑ってくれた。ワタルに大した怪我はなさそうだ。それは喜ばしいことだが、気になることがある。

「ところでワタル、ミントはどこだ?」

「そういえば……一緒じゃなかったのか?」

 ガーリックの問いかけは私もカケルも知りたかったことだ。

 ワタルはさっきまでの安堵した顔から一変し、血の気が引いたような顔でカケルの腕をつかんだ。

「そうだ兄さん、大変なんだ! ミント姉ちゃんがボクを逃がそうと一人で残って」

 やはりそうか。竜玉を通してカケルの感情が私に伝わってくる。

「ボク達魔物に追われて、それで姉ちゃんがボクだけ逃げろって、それでボク誰かを呼んでこなきゃってーー」

「もういいワタル。よく頑張ったな」

 カケルはそう言ってワタルの頭を撫でて笑うと、ガーリックにワタルを預けた。

「ガーリック、すまないがワタルを街まで頼む」

「任せとけ。すぐに戻ってくるからよ、ミントは頼むぞ!」

「もちろんだ」

「カケル、ミントの大まかな居場所は魔力探知でわかる。案内は私がしよう」

「ラグーン様、助かります。では急ぎましょう!」

 カケルはすぐに単身で森の中へ入っていく。ワタルが通ってきたであろう小道を進み、一直線にミントの元へ走った。




 魔物が鋭利な杭のような足で突き刺しに来る。ミントは息を切らせながらも周りの木々を盾として利用し、身を隠す。

「ハァッハァッ、あいつ手負いだわ」

 魔物は足を怪我しているせいで、向きを変える動作の際に動きが鈍る。そこに気づいたミントは小刻みに動いて的を絞らせず、木を陰にして魔力の集中を続ける。

「気脈の源流よ、影を捉えよ身を縛れーー」

 魔物がミントを狙って振り下ろした足が幹に突き刺さった。ミントは木の陰から飛び出し、魔物の動きが止まった隙を突いて魔法を発動した。

「ーーバインド!」

 ミントの魔力が未知の魔物に干渉し、その自由を奪っていく。

 しかし魔物は魔力による干渉を力ずくで破りにかかる。ミントも負けじと魔力を込めるがーー

「駄目、長くは保たない……!」

ーー魔物の方が力が上だ。

 拘束を破られる前に、ミントはたたみかける。

「命をつかみ、締め上げろ。バインド・プレス」

 追加詠唱により拘束を圧迫に変化させる。消費魔力は大きいが、その効果も絶大な上級魔法。

 体の内側に吸い込まれるかのような圧力が全身にかかり、魔物が苦しみもがく。目や足をガムシャラに動かして必死の抵抗を試みるが、次第に足が無理矢理に折り曲げられ、鋭利な足先が自らの腹に食い込んでいく。

「このまま、潰れて……!」

 ミントが全身の魔力を振り絞る。その時、不意に脱力感が彼女を襲った。

「え?」

 力が抜けて魔力の集中が途切れる。圧迫の魔法が崩壊し、魔物が解放されてしまった。

「魔力不足ーーこんな時に」

 並の魔物を追い払えるくらいの魔力は残しているつもりだった。事実、並の魔物が相手ならばプレスで一瞬の内に勝負がついていただろう。しかしこの魔物の防御力と生命力は並ではなかったのだ。

「なんてことーー」

 自分の判断の甘さを悔いるミントの眼前には、自由を取り戻し今まさに襲いかかろうとする魔物の姿があった。




 走る。走る。

 木々の枝先が当たり頬が傷つく。根に足をとられて前のめりに転倒するも、すぐに起き上がり走り出す。

「このまま真っ直ぐだ。近いぞカケル」

 カケルは私の声に応えずも従い、己の体が可能な最高速度を維持して走り続ける。

 これほど必死なカケルは初めて見る。竜玉を通して彼の感情が伝わってくる。それは平時であれば温かいが、今は悲痛な叫びとなって私の心を抉る。かつて何度も経験した記憶と重なるのだ。

 間に合ってほしい。そう切に願う。今はそれしかできない。竜だ何だと持ち上げられても、結局のところ私は昔と何も変わっていない。

 魔力反応が近い。何かの音と、声がする。カケルも悟ったか、剣に手をかけた。

 この林を抜けた先に、彼女がいるーー




「こほっ」

 喉から逆流してきた塊が気持ち悪くて吐き出すと、口元が赤く汚れてしまった。

「あ、う……」

 ミントは閉じかけた目を開ける。見える景色は森の天井。木漏れ陽が眩しい。

 視線を下におろすと、魔物の姿がある。

 宙に持ち上げられた自分のお腹には管のようなものが突き刺さっている。魔物の腹部から伸びたそれが何の器官かはわからないが、今この時も触れた場所から命そのものを奪っているように感じる。とはいえ奪えるものなど、もうほとんど残っていないだろうけど。

 体が眠りたがっている。苦痛から逃げたいのか、もうダメだと諦めているのか。いずれにせよ、ここで眠ったら終わりだということはわかる。

 ーー眠れば、楽になれる。

 ならばいいのではないかと、ミントは再び目を閉じる。意識を失うまでの僅かな間、視界が闇で閉ざされる。

 だから誰かが見えたとしたら、それは幻だ。

 大好きな人達が見える。

 お父さん、お母さん。

 大切な人達が見える。

 ギルドの仲間達、ガーリック、ワタル、そしてーーカケル。

 ワタルはちゃんと逃げられた?

 ガーリック、あまり怪我しないでね。

 カケル、気をつけて。この魔物は危険よ。出会ったら逃げて。さもないとーー

「あ……」

 さもないと、あなたもーー

「あ、あ……」

 私と同じ目にーー

「あああ!」

 そんなことは、させない。

 ミントは閉じかけた目を大きく開いた。休みたがっている体に鞭をいれて、無理矢理にでも叩き起こす。眠ろうとしていた脳をフル回転させて現状を分析する。

 手足に力は入らず、ほとんど動かない。そもそも宙に持ち上げられているのだから、できても足をバタつかせたり手で管に触れるくらい。

 魔力もほとんど尽きている。これは気合ではどうにもならない。拘束魔法はもちろん、回復魔法すら不可能だ。今でも行使できる魔法といえば、消費魔力が少ない生命停滞くらい。しかしこれは生命活動を抑えて毒の回りを遅らせたり気配を消すくらいしか使い道がない。

 これだけの手札で勝負しなければいけない。他に何かないかと探る。今の自分でもできる、この魔物をカケルの元へ行かさない方法はないか。生かさない方法はないか。

 目に映る魔物の管。これが生命そのものをーー

 ミントは管を掴んだ。

ーー奪う器官ならば、それは魔物の生命にもつながっている。

 ミントが最後の魔力を集中する。激痛も疲労も全て後回し。これが終わるまではと封じ込める。

「生命よ停滞しろ。スタグネイト」

 触れた箇所から停滞が広がっていく。それは生命活動を抑えるだけの、応急処置にも使われる無害な初級魔法だ。

 魔物ですら最初は取るに足らないと思っただろう、魔法をかけられても無反応だ。

 しかしそれも、停滞の効果が深部に及ぶまでのことだった。

 生命停滞は確かに無害な魔法だ。しかしそれも適切に使用すればこそ。この魔法を使う上で絶対にしてはならないと教わることがある。それは、生命活動の根幹を為す部位に直接使わないことだ。

 どれだけ巨大で強力な生物だろうとも、脳や心臓に相当する部分の活動が停止すれば絶命する。生命停滞を脳や心臓、またはそれに類する生命の根幹に直接使うことは心臓を鷲掴みすることに等しく、停滞による影響が大きすぎて生命活動を停滞どころか停止させる危険があるのだ。

 魔物が緩やかに体を沈めていく。眠るように動かなくなり、穏やかに永遠の眠りへと入る。

「これで、カケルはーー」

 ミントそれを見届けた後、自身も目を閉じた。




ーー彼女は、いた。

 林を抜けた先でカケルが見たものは、絶命した未知の魔物と、その魔物に貫かれながらも満足そうに笑って眠るミントの姿だった。

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