第7話 一点三射

 高台の岩場からミュウは顔を出してクレーター付近を観察した。クレーターの中心には何かの残骸が散らばっているが、今はそれよりも重要なものがある。

「四……五体か」

 クレーターから這い出てきた魔物は全部で五体。外見は全て同じで、黒い甲羅のような胴体に目玉のような球形の器官が一つ、左右両側に三本ずつ合計六本の足が生えている。昆虫で似たようなものがいそうだが、あれほど全身黒くて巨大なものをミュウは見たことがない。

「新種の魔物かね。それにしてもーー」

 新種を発見した時は、可能な限り観察を続けて習性や弱点を調べるのがセオリーだ。その情報が後の討伐で活きてくる。群れのリーダー級ともなれば警戒心や知性が高いため観察は困難だが、下っ端ならば容易であり、同じ種族ならば下っ端の特徴がそのままリーダーにも適用されることは多い。なので観察するなら下っ端なのだがーー

「デカイね」

ーーあの魔物は中型種に相当するサイズだ。前にカケル達が討伐したキングウルフくらいはある。

「あれが同種の中で一番下なのか、それとも全てリーダー級なのか」

 初めて見る魔物ではその判断はつかない。

 ミュウはとりあえず一体に絞ってその観察を続けることにした。

「姐さん、どうですか?」

 スクマが追いついてきた。どうやら負傷は大したことがないようだ。

「妙な魔物がいる。予定を変更して、とりあえずあいつを調べるよ」

「了解っす」

 魔物の全身は鎧をまとっているかのように黒光りしており、見るからに硬そうな外殻は胴体だけでなく足まで覆っている。

「剣や矢では厳しそうすね」

「狙うなら露出している目か関節ってところだろうね」

 右に左に移動しながら、時折立ち止まっている。何かを探しているのだろうか。

「何してんすかね」

「腹から管のようなものを伸ばしている。食事でもしてんじゃないのかね」

「よく見えるっすね。じゃあ草食なんすかね」

「それはまだわからないよ」

 魔物はしばらくジグザグに動き続けた後、急に一直線に移動を始めた。まるで目的地を見つけたかのようだ。

 速い。二人は気づかれないよう追いかけるが、離されないようにするので精一杯だ。見ると他の個体も同じ行動をとっている。

 しかもーー

「どうにもまずいね」

ーーそのいずれもが、バラバラに動きながらも概ねクラウスの方へ向っている。

「ここで叩いておくすか?」

 スクマは既に魔力の集中を始めている。

「やれるかい?」

「任せてください。少し動きを止めてもらえれば、後は一網打尽すよ」

「言うじゃないか。じゃあ任せるよ」

 ミュウは走りながら背中に背負った弓を構え、矢筒から矢をとり、弓につがえる。

「まず一匹」

 木の陰に入ったところで足をとめ、最も先を行く魔物に向けて矢を放った。狙うは足。矢は正確に魔物の足の一本、その関節部を貫いた。魔物はその場で足をもつれさせて転倒する。

「お次はーー」

 同じようにミュウは次々と他の魔物の足を射貫いていく。そうして全ての魔物の動きを止めたところで、スクマにバトンを渡す。

「そら、見せ場だよ」

 ミュウの視線の先には、全身が黄色く発光しているスクマがいる。

「電光招来……」

 スクマが高く掲げた手の平に光の魔力が集中してー

「五条落雷、ライトニングブラスト!」

ー筋の柱となって天に昇った後、光が枝分かれし五つの落雷となって魔物に降り注いだ。閃光に目が眩む。相変わらず派手だが強力な魔法だ。さすがは自称天才、若年ながら八竜の一人に数えられるだけはある。

「すんません、一発外しました」

 一体は逃れたが、命中した四体はその場で焦げて動かない。

「いや十分だよ。よくやった」

 逃れた一体はややぎこちない動きながらも変わらず移動を続けている。その進行方向を確認したミュウは表情を曇らせた。

「あっちはラグーン様の……」

 ミュウが追跡をしようとした、その時だった。雷の直撃を受けたはずの魔物が動き始める。目に光を灯し、こちらに向き直った。

「スクマ、あんた全力で撃ったかい?」

 ミュウの声が緊張を帯びる。

「……当たり前すよ。直撃すればキングウルフだってただじゃ済まないはずっす」

 スクマの緊張は彼女以上だ。それだけ今の状況を把握できていると言える。

 今の攻撃でこちらの存在と位置は敵にバレた。しかも向かってくる相手は未知の魔物が四体だ。

「スクマ、逃げる準備をしておきな」

「了解す」

 自分はともかくスクマは逃げる準備に時間がかかる。ミュウはその時間を稼ぐため弓矢を構えたところで、魔物の一体、その目が赤く発光していることに気づきーー

「やばい!」

ーー魔力の集中を始めていたスクマに飛びつき庇った。直後、大気を震わせる轟音と共に赤い閃光が奔り、岩場を吹き飛ばし先ほどまで隠れていた木を貫通していく。

「ぐっ」

 熱風と共に飛んでくる破片をその身に受けたミュウの顔が歪む。

「姐さんーー」

 スクマの声は、閃光が生む破壊の波に呑まれていった。



 赤い閃光が次第に勢いを弱め、その暴威が過ぎ去る。穴を穿たれた木が横に倒れて土煙を巻き上げ、その際に舞い上がった小石の雨が二人に落ちた。

「う……姐さ、ん?」

 意識を取り戻したスクマは、慌てて自分に覆いかぶさったまま動かないミュウを抱き起こした。

「姐さん、大丈夫ですか!」

「耳元でどなるんじゃないよ。何ともないさ」

 ミュウは何事もなかったかのように身を起こした。スクマが安心から涙ぐむ。

「平気そうで、平気そうで本当に良かったっす! 姐さんのおかげでオレーー」

「情けない声を出すんじゃないよ。それよりも見てみな」

 ミュウに促された先では、先ほどの閃光を放ったと思われる魔物がその場で動かなくなっていた。

「死んだんすかね」

「ああ。どうやらさっきのは一発限りの自爆技のようだね」

 ミュウは他の魔物にも目を向けた。他の三体は赤い閃光を放つ様子はなく、こちらに向かって動き始めている。

「……スクマ、あんた先に逃げな。あたしを待つ必要はないから、一刻も早く街に戻ってこの魔物のことを知らせるんだ」

「姐さんはどうするんです?」

「あたし一人ならどうとでもなるんだよ。お守りがいない方が動きやすい」

「お守りってオレっすかぁ?」

「他に誰がいるってんだい。いいから早く行きな。魔法までの時間は稼いでやるからさ」

 ミュウはそう言いながら弓矢を構えた。スクマは魔力の集中を始める。

「そこならどうだい!」

 先頭を走る魔物の目にミュウの矢が直撃した。さすがに外殻に覆われていない目への攻撃は効いたか、体液らしきものが噴き出した。しかしすぐ目蓋のような外皮が下りて目を隠してしまった。しかもその足は止まらず、こちらに正確に向かってくる。

「視覚だけに頼っているわけじゃないってことだね。ならばーー」

ーー本能を攻める。

 ミュウが牽制の矢を放つ。先頭を走る魔物の足元に一発、続いて迫る二体目には掠めるようにニ発目。先の二体を追い越して先頭に出てきた魔物には、その目に三発目を直撃させる。

 近づいてくる個体ほど正確に当てることで、魔物の本能に危険を植え付ける。危険を覚えた魔物は慎重になるものだ。

 狙いどおり魔物の動きが鈍る。その間に、スクマの魔法が完成した。

「姐さん、ではクラウスで!」

「ああ、また後でね」

「電光石火、ライトシフト」

 スクマの全身が発光し、雷と化して空高く飛び上がりクラウスの方へと消えていった。

「……いい男になるんだよ」

 それを見送ったミュウは足首をさする。先ほどの赤い閃光が吹き飛ばした破片が当たった箇所が大きく腫れている。捻挫か骨折か。どちらにせよ軽傷ではない。

「あたしもヤキが回ったもんだね。昨夜飲みすぎたせいかね」

 三体の魔物が迫ってくる。ミュウは矢筒に手をかけた。残りは六本。

「やりようは、あるさ」

 悲観はない。切り札もある。やるべきことはわかっていて、ゴールまでの道筋は見えている。後はそこまでの手順を完璧にこなせるかだ。

 それも不安はない。今の自分ならやれるとわかっている。追い込まれたからだろうか、かつてない程に高まった集中力が彼女に絶技の完遂を約束する。

 同時に、加速する思考がその脳裏に三人の姿を浮かべる。


 いつも一緒だった。あの子は私を慕ってくれた。私もあの子が大好きだった。それは嘘偽りない事実だ。

 あの子は私を善人だと信じていた。何かあっても自分を守ってくれる存在だと信じ込んでいた。あたしもそのつもりだった。それは、嘘だった。

 あたしもあの子も小さかった。相手を助けるどころか、自分で自分の身を守ることもできなかった。だから大人が危険だと言う場所に二人だけで行くべきじゃなかった。

 声がして振り返ると、さっきまではしゃいでいたあの子はもう動かなくなっていた。そこにいる魔物が恐ろしくて、あたしはあの子を置いて逃げた。大人を連れて戻った時には手遅れだった。

 あたしが大人の言うことを聞かなかったから。弱かったから。卑怯者だったから。だからあの子はいなくなった。

 お姉ちゃんね、あれから頑張ったよ。ハンターになってね、魔物に襲われて犠牲になる人が増えないように頑張ってきたよ。

 今ならあの子も、あたしを許してくれるかな。


 ミュウが矢を弓につがえる。狙うは二体。その足二本。流れるような仕草で放たれた矢は、先に射抜いた足と同じ側の足の関節を次々と貫いていく。

 足を射抜かれた魔物がその場で転倒した。いずれ回復するとしても、片側の足三本を全て負傷すればしばらくは動けない。

 ミュウに迫る魔物は残り一体。一時的にとはいえ魔物と一対一の状況になる。残り二本。


 あいつは初めて会った時から慣れなれしかった。あたしを姐さんと呼んでついてこようとする。理由を聞いても歯の浮くようなことしか言わない。第一印象は信用ならない、軽薄で根性もなさそうな男だった。

 だけど弱いくせにあたしを助けようとする。あたしを守るために強くなろうとする。その時ようやく気づいた。彼は強い。少なくとも昔のあたしなんか比べ物にならないくらいに強いのだと。

 最初は足手まといだったあいつも、今ではすっかり力をつけた。あたしも頼りにするくらいに逞しくなった。そんなあいつの気持ちに応えてあげなかったことが悔やまれる。

 こんなことなら、ちゃんと返事しておくべきだったかね。


 残る魔物が一直線に突進してくる。最初に足に当てた一発のせいか、速度が鈍っている。今の彼女でもかわすことは容易だ。

 ミュウは小石の集まりを拾って手に含み、魔物の突進をかわしざま、それを奴に投げつけた。当然、石が硬い外殻に弾かれる。ミュウはその音の僅かな違いを聞き分けることに集中した。

「……あそこだね」

 音の違いから外殻の薄い部分を推測したミュウは、弓矢を構え、魔物が突進を止めてこちらに振り返った瞬間に矢を放った。魔物が危険を察知して目蓋を閉じる。彼女の狙いは目ーー

「そっちじゃないよ」

ーーの真横の外殻だ。普段露出している部位付近の外殻は比較的薄い。

 それでも矢を弾くことに不足はなく、外殻に僅かな傷をつけただけで矢は地面に転がってしまった。そこまでミュウの計算どおり。

 満を持して、ある一本の矢を弓につがえる。矢尻に圧縮した火薬を詰めた特別製だ。先端に遊びがあり、強い衝撃を受ければ発火する。扱いが難しく多くは持ち運べない、虎の子の一本。

「ーーくらいな!」

 撃ち放たれた一射が、先ほど傷をつけた箇所に突き刺さった。直後火花が散り、矢そのものが炸裂する。大気を震わせる轟音と焼け付くような熱がミュウの肌にまで届く。

「ーーっ!」

 顔を守りながら、僅かに開けた目で白煙の向こうに見える影を凝視する。

「ーーさて、どんなものだろうね」

 煙が晴れていき、現れたのは…外殻が焼け焦げヒビ割れながらも、未だに生命活動を止めない魔物の姿だった。

 残りゼロ本。


 あの子に似た少年と出会った。

 顔が似ているわけではない、だけど純粋に兄を慕っているところが、周りの大人がみんな善人だと信じているところが、どこかあの子を思い出させた。

 今ならあの子に向き合える。守ってあげられる。その気持ちを彼に向けていたのは、せめてもの罪滅ぼしだっただろうか。

 彼の成長と幸福を願う。できれば陰ながら見守っていきたいと思っていたけど、それが叶わないならば、せめてーー


 魔物の突進をかわす。そうして地面に手を伸ばす。その際に魔物の腹から伸びてきた管に気づき、さらに身をよじる。

「ーーっあ!」

 無理な体勢になったせいで、痛めた足に力を思いっきり込めてしまった。痛みが足から全身に駆け巡り、汗が噴き出る。

 僅かに動きが鈍った隙を突かれ、管がミュウの脇腹をかすめた。途端に悪寒が走る。

「これ、は、やばいっ」

 全力を振り絞って後ろに跳び、魔物と距離をとる。魔物の方も足の傷のせいで動きがぎこちない。一直線の突進は問題なくとも、方向転換には支障があるようだ。

 ミュウは弓を構えた。手には一本の矢がある。先に弾かれ地面に落ちた矢を拾ったものだ。これが幻の七本目。

「くたばりな」

 渾身の力で引き絞った弓から最後の一射を放つ。その狙いは傷つきヒビ割れた外殻。寸分違わぬ箇所への三本の矢、それこそがミュウの切り札だ。

 矢は大気を切り裂きながら突き進み、外殻を突破して魔物の体に深く突き刺さった。

 やりきったと、ミュウの全身から力が抜ける。その場に倒れ込むと、今まで我慢し後回しにしてきた痛みと疲労に全身が蝕まれた。

 倒れた地面から振動が伝わる。魔物の歩行時のものだろう。仕留めきれなかったか。しかしそれを確認する余力は既にミュウにはなかった。


ーーせめて、あの子の力になれますように。

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