第4話 狼王

「ガーリック、ミント!」

 二人に追いついたカケルが見たものは、巨大な魔物だった。通常のウルフの数倍はあろう巨体、それを覆う白銀の体毛。何よりも他と一線を画する野生の中に知性を帯びた瞳。こいつは今回の討伐対象、ウルフの王、キングウルフだ。

「ガァァォオオオオ!」

 狼の王の咆哮に森が震える。カケル達三人の体が一瞬萎縮する。王はその隙を見逃さない。

 僅かに前足を下げる予備動作に気づかなければ反応すらできなかっただろう。それほどキングウルフの突進速度は異常だった。ミントが動けないでいることを見て取ったカケルは、彼女を庇って前に出た。そのカケルよりも早かったのはガーリックだ。キングウルフに立ちふさがり、その突進を正面から受け止めにかかる。

「ガーリック無理だ逃げろ!」

 カケルの言葉も間に合わず、ガーリックは大きく吹き飛ばされてしまった。しかしそれは無駄ではない。キングウルフの突進速度が僅かに鈍る。

「バインド!」

 ミントの魔法が間に合った。キングウルフの巨体に拘束術がかかる。動きが止まった隙を狙ってカケルが切り込む。

「ーーっ!?」

 カケルの表情が歪んだ。振り下ろした刃が白銀の体毛に阻まれて肉を切り裂くに至らない。カケルが怯んでいる間にも拘束術が力ずくで解かれる。

「グゥオオオ!」

 咆哮とともにミントの魔法を弾く。拘束を解いたキングウルフは前足でカケルを弾き飛ばした。

「がっ!」

 咄嗟に頭を守った際に左腕の防具が吹き飛ぶ。後ろに転がりながらも前を見据えると、視界に映ったのは今まさに突進しようと身構えるキングウルフの姿とーー

「させるかよ!」

ーー横腹へ槍を刺し込むガーリックの姿だった。槍が体毛を突破して肉に食い込む。しかし浅い。キングウルフの目に怒りの色がともる。ガーリックもそれに気づいたか、すぐに槍を引き抜いて距離をとった。人間としては大きな体とそれに似つかわしくない俊敏な動きで、強力な一撃と離脱を繰り返し敵を翻弄する。

 ガーリックが敵の注意を引いている間に、ミントはカケルの傷に触れて魔力を集中した。

「血肉をあるべき姿に、生命よ加速しろ。ヒール」

 癒やしの光が広がり、カケルの傷がふさがっていく。一息ついて落ち着けたところで、私はカケルに呼びかける。

(カケルよ、ここは退却を考えるべきだと思うが)

 敵はカケル達でも手に余る大物だ。それに、カケルは気づいているのだろうか。我々とキングウルフの戦いを遠巻きに見物している多くのウルフの群れがいることを。ここは奴らの狩場だ。今は王の戦いを邪魔せずいるようだが、いつ気が変わって襲ってくるかわからない。そうなれば全滅は必至だろう。

 しかしカケルの判断は違った。

(……この状況では退却こそ困難です。群れを率いているあいつを倒せば、この場から離れる機会も生まれるでしょう)

 死中に活あり、か。勇敢だが危うい、そして非常に私好みの選択だ。ならばこれ以上何も言うまい。

(いいだろう、やってみるがいいカケル)

 気がノッた。私もほんの少し手助けするとしよう。直接手を下すわけではないし、これくらいは干渉にならないだろう。そう決めた。

 私は普段抑えている竜の魔力、気配を一瞬だけ解き放った。弱肉強食の世界で生きる魔物、その中でも本能の部分が大きい獣の類ほど絶対的強者の気配には敏感だ。

 それと見てわかるほどに、周囲を取り囲んでいるソルウルフが怯え始めた。いや手下だけではない。王すらも竜を無視することなどできない。

「ーーッ!?」

 キングウルフがガーリックを完全に無視してカケルを探るように睨みつけた。怯えないまでも明らかな動揺が見られる。

 カケルはキングウルフから視線を外すことなく、剣に添えた左手に魔力を集中させていく。

「魔装強化、エンチャント」

 淡い光が左手から剣へと伝わる。カケルが得意とする無機物への魔力付与だ。これによりカケルは武器防具の硬度を飛躍的に高めることができる。

 キングウルフが地を蹴って向かってくる。手前で飛び上がり、両の前足でカケルを押しつぶしにかかる。

 カケルは光を放つ剣をゆっくりと構えーー

「でいやぁああ!」

ーーすれ違いざま、キングウルフの右前足を切り裂いた。王の絶叫が森全体に響き渡り、手下の狼達が信じられない光景に息を呑む。強靭で美しい白銀の体毛が血に染まるのも、あれほど苦しむ王の姿を見るのも初めてだったに違いない。

 キングウルフが荒く息を吐きながらカケルに向き直った。カケルが光る剣を誇示するように構えると、キングウルフはそれとわかるほど身を固くする。明らかに警戒して動きが鈍っている。

 その間にミントはガーリックの元へ走っていた。

「傷をみせて!」

 癒やしの光が広がる。ガーリックが全快した時が最終局面だろう。切り札は彼にある。

 それを本能で感じたか、キングウルフが沈黙を破り、二人に向かって走り出した。

「ーーさせるかっ」

 カケルが後を追うと、キングウルフがすぐに進路を変えてカケルに襲いかかった。最初からこちらが本命だったのだ。口を大きく開けてカケルを噛み砕きにかかる。カケルは虚を突かれた形だ。万全のキングウルフ相手ならばここで勝敗は決していただろう。しかし足を負傷している状態では速度が半減、カケルは間一髪のところで横に転がりながらかわした。

 体勢を立て直すカケルと、回り込んで彼に向き直るキングウルフ。タイミングはほぼ同時。キングウルフの突進をカケルは再び迎撃する。

「ーー見える」

 カケルが自ら前に出る。姿勢を低くしてキングウルフの牙をかわし、前足と腹の下をかいくぐって側面に出る。ここはキングウルフの死角だ。

「くらえぇ!」

 先にガーリックが傷つけた箇所に、再び剣を突き刺した。キングウルフの悲鳴がカケルの鼓膜を震わせ、噴き出す血が体を赤く染める。

「今だ!」

 それは仲間へ向けた勝機の報せ。当然二人とも準備はできている。

「バインド!」

 ミントの魔法で拘束されたキングウルフが口惜しそうにうめき声を上げた。その大きな瞳に映るのは、槍を構えた男の姿。

「とどめだぁああ!」

 ガーリックが助走をつけて、豪快に槍を投げ放った。私も何度か見た彼の一芸だ。

 ガーリックは槍の腕前はそこそこなれど、その真価は投擲術にある。投げた物を狙ったところに当てる技術は一級品、恵まれた四肢と筋肉ゆえに相当重い武器も遠くまで投げられる。彼が放つ投擲は百発百中、一撃必殺の切り札足り得るのだ。

 槍の穂先が大気を切り裂き、一直線にキングウルフの額に突き刺さる。頭蓋を割る音と共に血が噴き出し、狼の王は生命活動を停止した。



 戦いの後、カケルは討伐の証としてキングウルフの牙を一つ切って持ち帰ることにした。他にも体毛などは素材として利用できそうだとガーリックは主張したが、彼は頷かなかった。理由は予想できている。

(お前達が命をかけて得た成果だ。残った連中に遠慮する必要はないと思うぞ)

(そう、だと思います。だけど性分なんですよ、こればかりはね)

 そう苦笑いして答えたカケルに、私はいつか共に戦った仲間の面影を見た。甘い考えだと、偽善と言われても、困った顔をしながら自分の考えを曲げなかった、誇るべき私の仲間。私は懐かしい思いに少しの間身を任せた。

 カケル達がその場から立ち去ると、王の遺体にウルフが群がっていく。その死を悼んでいるのか、群れはその傍らから離れず、ただ天に向かって声を上げ続けた。

 願わくば、彼らの声が王に届かんことを。




 その日の内にクラウスに戻った三人は、ギルドに報告と報酬の受け取りを済ませると、馴染みの酒場で今日の祝勝会を開いた。

「かんぱーいっ」

 テーブルの上で三つのグラスが打楽器のように小気味良い音色を奏でる。それを持つ三人は酒が回る前から赤い顔をして上機嫌だ。

「正直、今回は危なかったな」

「そうね、バインドを力ずくで破られた時はどうしようかと思ったわ」

「そこでオレの活躍が光ったよな! あの華麗な槍さば」

「見事に吹き飛ばされて飛んでったわよね〜」

「ちっ、違うだろうが。その後のことだよっ」

「ああ、キングウルフに槍を投げつけてな」

「そうそう、止めを刺したのはオ」

「おかげで丸腰になって、帰り道はオレとミントで守るはめになったんだよな」

「仕方ねーだろ! 槍を引き抜けなかったんだからよっ」

「いつも思うのだけど、スペアの槍をどうして持っていかないの?」

「それだと動きが鈍くなるじゃねぇか」

「槍を投げた後のことを考えなさいよっ」

 順調に酒の杯を重ねているところに、後ろから女性が覗き込んできた。

「やってるねぇ三人とも」

 声をかけてきたのは八竜の一人、ハンターのミュウだ。やや露出が多めの軽装で、額と頬、目元と唇に紅を塗っている。額と頬の部分は模様のように塗っているのが特徴的である。ミント曰く、とてもオシャレなのだとか。

「カケル、ラグーン様はお元気かい?」

「ああ、今は眠っていらっしゃるが、時々お声をかけてくださるよ」

 無論私は眠ってなどいない。だがカケルには、私は対外的には普段は眠っているということにしてもらっている。というのも、憑依した当初は物珍しさか私に話しかけてくる者が後を絶たず、カケルの日常生活に支障をきたしたからだ。だから私はカケルと話し合い、私は普段は眠っているから話しかけても聞こえていないことにしてもらった。このことを知るのはカケル本人と、一緒に暮らすワタルだけである。

「聞いたよ、依頼はうまくいったそうじゃないか」

「ミュウさんのおかげですよ」

「情報どおりでしたねっ」

「さすがの仕事っぷりだぜ」

「あたしはあたしの依頼をこなしただけさ。それよりガーリック、あんたはまた武器を放り投げたのかい?」

「聞いてたのかよ。ああ、そうだよ。お前も文句あんのかよ」

「文句は無いけどミントの言うとおりだね。武器を放るって決めてるなら、その後のことも考えておくべきさ」

「そうっすよ。そうだ、ガーリックさんも魔法を習ってみるのはどうっすか?」

 ミュウの後ろから話に混じってきたのは同じく八竜の魔導士スクマだ。八竜の中では若年で線が細く軽薄な印象を受けるが、自称天才で、実際人間の中では魔力量が多い。ミュウとコンビを組んで依頼をこなすことが多いらしい。

「出来の悪い冗談はやめておきなよスクマ。この脳筋に魔法なんて覚えられるわけないじゃないか」

「ダメっすかねー。ワタルの奴と一緒に習ったら互いに切磋琢磨できていいと思ったんすけど」

「あっはっは、やめてあげなよ。ワタルの方が出来がいいんだから落ち込むだけさ」

 豪快に大笑いするミュウにさすがに腹が立ったか、ガーリックが立ち上がった。

「ミュウさんよ、喧嘩売ってるのかい?」

「これくらい笑って聞き流せないから、あんたはデカい図体してても子供だって言ってるんだよ」

「てめぇーー」

「やるかい?」

「ガーリック、そのへんにしておけよ。ミュウさんもあまりからかわないでください」

 口調は穏やかだが緊張感のあるカケルの声に、二人の動きが止まった。

「……悪ノリが過ぎたようだね。ちょいと酔いを冷ましてくるとするよ」

 ミュウが手をヒラヒラと振りながらこの場から離れると、ガーリックは不機嫌そうに椅子に腰を下ろした。残ったスクマがミュウの代わりに頭を下げる。

「すみませんねガーリックさん。姐さん、今日は上機嫌で飲み過ぎてるんすよ」

「……別にお前が謝ることじゃねぇけどよ、あいつに何かいいことでもあったのかよ?」

「姐さんに何かってわけでもないんすがね、今日の仕事の帰りにギルドに寄ったらワタルが魔法の授業受けてるとこに出くわしまして」

 ギルドは魔物の討伐等の他に、ハンターを目指す者の教育や訓練を請け負う養成機関でもある。ワタルは兄のようなハンターを目指して、そこで剣や魔法を教わっているのだ。

「ワタルが魔法に高い適正を示してましてね、それを見てから姐さん上機嫌なんすよ」

「なるほどな。まーワタルはあいつのお気に入りだからな」

「確か、弟さんがいたんだったわね」

 ミントが言いながら伺うようにカケルに視線を移してきた。カケルは酒を飲み干してから頷く。

「……ああ。まだ小さい頃に事故で亡くなったと聞いている。ワタルに少し似ているそうだ」

「あいつが妙に年下の面倒見がいいのはそれが理由だな。な、スクマ!」

 ガーリックが最後のスクマと呼ぶ時だけ念を押すように強く声を出した。理由は不明だがニヤニヤした顔を見る限りロクな理由ではないと推測する。

「うーん、オレが狙っているのは弟ポジションじゃないんすけどね」

「ならいいの? ミュウさんがカウンターで男に声をかけられてるわよ♪」

「マジすか! すんませんオレはこれでっ」

 スクマが血相変えて飛んでいく姿を、ミントがニヤニヤしながら見送る。この子は楽しんでいるなこれは。

「ところでカケル、さっきの話なんだけど」

「ミュウさんの弟の話か?」

「違う違う、ワタルの魔法適正の話よ」

「ああ、そっちか」

「うん、あの子はどの魔法が得意なの?」

「対界魔法だと言っていたかな」

「そうなのね。対生魔法なら私も教えてあげられたんだけど」

 ミントが残念そうだ。対生魔法の使い手はクラウスでは珍しいそうだから、仲間が欲しかったのかもしれない。

 魔法は何を目的にするかによって大まかに三系統に分かれる。物に作用する対物、生命に対する対生、空間に対する対界の三つだ。カケルが使うエンチャントは対物魔法、ミントが得意とする回復魔法は対生魔法に、私の結界魔法は対界魔法に分類される。

 ワタルは私の隠蔽の結界を無視して私が眠る洞窟に最初にたどり着いた。ただの偶然だと思っていたが、対界魔法に適正があるならば頷ける。

「噂をすればだ。カケル、弟が来たぜ」

 ガーリックの目線の先には、酒場の入口から中を覗うワタルの姿があった。

「あいつ、家で待ってるよう言ったのに。二人ともすまない、オレはこれでーー」

 席を立とうとしたカケルの腕を、ミントがつかむ。

「ダーメ♪」

「いいじゃねぇか。ワタルも一緒にここで一杯やろうぜ」

「もちろんジュースでね」

「いいのか?」

「もっちろん!」

「オレが呼んできてやるよ。ミュウの奴に見つかったら面倒だからな」

 そう言って足早に入口へ向かうガーリックの後ろ姿を見送ってから、カケルはゆっくりと腰を下ろした。

「ありがとう。あいつも喜ぶよ」

「なーに言ってるの! ワタルは私にとっても家族みたいなものよ」

 その言葉にカケルは救われる。ずっと親代わりを頑張ってきたせいだろう。気が緩むと涙が出てくる。目の前に眩しい笑顔があれば尚更だ。

「ありがとう、ミント」

「ーーきよ」

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、何でも!」

 ガーリックがワタルを連れてきた。四人の宴はまだまだ続く。私はそれを好ましく眺める。そして思うのだ。先ほど彼女が何と言ったのか、カケルに伝えることは野暮というものだろう。

 我々の最後の夜は、こうして更けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る