第33話-硬きモノ

 居間からカチャカチャと食器の音が聞こえ、外から鳥の鳴き声がする。土と澄んだ空気の匂いに懐かしさを感じながらヨルは目を覚ました。


 隣を見るとコルリスはすでに起きたのか、布団も片付けられていた。


 ヨルは髪の毛と尻尾を手ぐしで梳かし、部屋着の上からシャツを一枚羽織って居間に向かう。




「ヨルさんおはようございます。良く寝れましたか?」


「おはようございます」


「コルリスは先に他の家から素材を受け取りに回っております。これ簡単なものですが朝食代わりのお弁当です」


 二人からは昨夜のような雰囲気は感じさせず、出会った時と同じ様子だったのでヨルは胸をなでおろす。


「ヨルねーちゃん、行っちゃうの?」 


 玄関先で遊んでいたのか、ミルスがやってきて足元にしがみ付いてきたので、ヨルは優しくその頭を撫でる。


「また帰りにここに来るわ、それまで良い子で居るんだよ」


「うぅ……はい、絶対またきてね!」


 滅多に人が来ない上に同年代の子供がいないミルスはやはり寂しさを感じているのだろう。ヨルは必ずまたここに立ち寄る約束をし、巾着から髪留めを一つ取り出して手のひらに乗せる。


「これ、私が使ってる髪留め、ミルスに預けるから大切にしてて」


「うん、大事にする!」


 ミルスは小さい両手をいっぱいに広げヨルから髪留めを受け取り、袖で涙をごしごしと拭う。


「ヨル、こちらは準備ができたよ」


 その時コルリスが両手いっぱいに荷物を持って現れた。籠に毛皮で蓋をしてそのまま背負えるようになっている。

 聞けば、この辺りで採取した魔獣の毛皮や植物の種、それと鉱物が詰まっているらしい。


「それ持っていくの?」


「あぁ、多少嵩張るがそこまで重くはない。私一人で運べるから大丈夫だ」


 それじゃあ魔獣が出たときに戦えないでしょと、ヨルはコルリスから荷物を受け取り腰の巾着に収納する。


「なっ、今の荷物はどこに!?」


「あ、あーえっと、この中」


 あからさまに視線を泳がせながら、答えるヨル。寝起きで頭が回っていなかったのか、腰の巾着がどれほど異色のものなのかすっかり忘れていたのだった。


「――何という……さすがでございます」


「おねーちゃんすごーい、手品みたい!」


 全員にバッチリ見られていたのでヨルは諦めて白状する。


「これ、私しか使えないアイテムなんだけど、色々な物を入れておけるの。一人旅であまり荷物を持てないから」


 ヨルは巾着の正式名称は伝えずに機能だけ伝えてどういうものかを説明する。


「世の中にはそんな便利なものがあるんだな」


「あーっと、ごめん、これの事は誰にも言わないで。一般的にこんな便利なもの無いんだ」


 そうなのか。と、落胆するコルリス。

 確かにあの荷物を持って街へ向かうのは大変そうだろうし、狩りも楽になるだろうなと思う。



 ヨルは、いつかヴェルに言ってもう一つ作ってもらおうと決心した。せめてもの罪滅ぼしに。



(別に罪ではないけれど)




「じゃあ行ってきます!」


「気をつけるんだよ」


「お世話になりました」


「おねーちゃん今度は遊ぼうね!」


 それぞれが別れの挨拶をし、ヨルとコルリスはニザルフに向かって出発した。



 ――――――――――――――――――――



「それじゃあ、普段は三人で狩りに行ってるの?」


「そう、ミルスは隣に住んでいる祖母に見てもらっているのだ」


 二人は他愛のない話をしながら、険しい岩山を軽い足取りで飛び越えていく。

 空は昨日に引き続き快晴で、雲の流れは少し早いが澄み渡ったきれいな空だった。




 ――ゴゴゴゴ




「――っと、地震! 大きい!」


「ヨル、この岩陰に!」


 突如、岩山全体が震えるように振動し始め、ヨルとコルリスは身をかがめ、目に見える一番大きい岩陰に身を伏せる。

 ここに来るまで度々感じていたが、ついに大きい地震が来たようだった。



 ――が。



『アネさん、何かいます!』


 ヨルの背中からサタナキアの焦ったような声がかかる。


「何かって何っ!?」


『この感じ、竜か何かでさぁ!』


 サタナキアが耳を疑うようなことを言い出すが、焦った声色から冗談とは思えず、ヨルはサタナキアの言うことを信じてコルリスに尋ねる。


「コルリス! この山って竜が住んでいるの!?」


「いや! そんな話は聞いたことがない!」




 しばらくすると少し揺れが収まり、ようやく立ち上がれる様になったが、腹に響くような地鳴りは断続的に聞こえる。

 ヨルとコルリスはそれぞれ近場の巨大な岩に飛び乗り、あたりを見回す。



「コルリスあれ!」


 隣で麓の方を探っていたヨルが声を上げて指を刺す。


「――なんだ、あれ……」


 先ほどまで二人が通ってきた通路にいつの間に出現したのか、巨大な岩の塊があった。数百メートルはあるであろう岩の塊が所々ガラス状に光っており、全身が時折脈動しているように見える。


 その塊が斜面をズルズルと滑るように動いていた。




「――ペトラドラゴン!?」


 ヨルの記憶にあったその巨大な蜥蜴――全身が堅牢な金緑石アレキサンドライトに覆われた竜は、何処から出現したのか、それとも最初からそこに居たのか。


「くっ! あのまま下に進まれると家が!」


 コルリスが慌てて岩道を駆け下りながら、その巨体に矢を射掛けてこっちに気を逸らそうとする。

 しかし体表を覆う金緑石アレキサンドライトに矢は尽く弾かれて気をそらす事すら出来ない。


 コルリスが言う通り、二人の上がってきた山道を滑り落ちるように麓に向かって進むペドラドラゴン。あの巨大な質量が山肌を転がり落ちるように迫ってきたら、下にいる人は避けることはできないだろう。



 コルリスが至近距離まで近づき矢を射るが、それでも通じず矢は全て体表を覆う岩に跳ね返される。


 ならばとコルリスが魔法を発動する。


「喰らえ! 『風槍エアランス』!」



 ――グググ



 低いうねり声を上げ、一瞬だけ動きを止めるペドラドラゴン。

 だが、それだけだ。


 そのままズルズルと山肌を滑るように移動していく。

 この速度で下に向かって動き続けると、あと数分で家があった崖に到達してしまうだろう。




「コルリス離れて!――はぁっ!」




 近くにある一際巨大な岩の天辺に移動したヨルは、勢いをつけ飛び降りながらコルリスに離れるように叫ぶ。


 その拳には既に補助魔法を纏っており、あとはタイミングを合わせて拳を突き出すだけだった。




「――ッ! 『ファイナル インパクト』!!」



 ヨルが「恥ずかしいから使いたくない」と言い切っていた、自分が一番ダメージを出る技を一撃目から惜しげもなく繰り出す。



 ガギギギギィィ――――



 掘削機が岩を削るような、鉄の塊にチェーンソーを押し当てたような甲高い音が辺りに響き渡る。



 ――バチン!!




 途端に弾けるような音がしてヨルが吹き飛ばされる。

 空中へ放り出されたその小さな身体が、放物線を描き自然落下を始める。




『アネさん!!』


「大丈夫!」



 ヨルは猫の如く空中で一回転して、適当な岩に着地する。



「ヨル!」


「奴は!? はぁ、はぁ……」


「まだ止まらない!」


「まいった……はぁはぁっ、ダメージ無しだなんて、さすがペトラドラゴン、硬さだけは半端ないわね……ふぅ」




 ヨルはひらりと隣の岩塊に飛び上がり、ペトラドラゴンの進行方向に目をやるとコルリスの家がある崖上が見えてきてしまった。

 この進路だとペトラドラゴンの重量であの崖ごと崩れてしまうかもしれない。




「コルリス! 先回りしてミルスちゃんたちを避難させて!」


「――わかった!」


 一瞬だけ躊躇する素振りを見せたが、コルリスはペトラドラゴンの側を駆け抜け、崖下まで飛ぶように降りていった。

 この巨体が相手だと、今から逃げても間に合わないかもしれない。だからと言って放ってはおけない。




 その時、今まで麓に向かいズルズルと動いていただけのペトラドラゴンの尻尾が突然跳ね、ヨルの立っている岩塊を襲う。



「――っ!?」



 雷が落ちたような轟音が響き、ヨルが先程まで立っていた岩塊が粉々に砕け散る。




(要はこいつの気を引けばいいんでしょ!)


「ぷーちゃん足止め手伝って!」


『お任せを――火炎壁フランマ アーレア!』



 サタナキアの魔力が巨大な炎の壁となり、ペトラドラゴンの行手に立ち塞がる。

 だが、ペトラドラゴンは速度を落とすことなく炎壁に突っ込み、何事もなかったかのように反対側から顔を覗かせる。




『ちぃぃっ! 蜥蜴の分際で――黒槍アーテル ランケア!』




 空中に現れた十本を超える漆黒の槍が次々とペトラドラゴンの背に突き刺さる。



 ――ギャガッッ!



 岩が擦れたような声を上げ、ここまでほとんど反応を示さなかったペトラドラゴンがサタナキアの方に顎門を向ける。

 そしてその時、サタナキアの背後からヨルが飛び出した。


「こっちをみたわねっ?『雷槍トニトルス ランケア』!」


 雷を纏ったヨルの拳がペトラドラゴンの首の付け根に突き刺さり、ボロボロと数個の岩が剥がれ落ちる。



 ――グキャゥ



 しかしそれでもペトラドラゴンはダメージを感じないのか、動作を止める事なく、ゆっくりと顎門を開く。

 そして全身の岩を光らせたかと思った瞬間、ヨルとサタナキアが立っている一帯から数百にもおよぶ岩の槍が天に向って飛び出した。




 すべてが螺旋状になった歪な岩槍。

 それは罪人を突き刺すような歪な形をしたものだった。



 「ぐっ――っ!」



 一瞬反応が遅れたヨルは、太腿と右腕に無事とは言い難いダメージを受け、真っ赤な血が吹き出す。

 サタナキアは咄嗟に高く飛び上がったため無事のようだ。



「ったぁーっ! このトカゲ……これは……やばい」


『アネさん、腕が!』


「わかっ……てる……わよ」


 ヨルの腕はだらんとぶら下がり、遠目で見てもなんとかくっ付いているようにしか見えなかった。


 ヨルは自分の手首を口で咥え、サタナキアに手伝ってもらい腕にタオルを巻き固定する。


「ぐ……これじゃポーションも意味……ないわね」


(まずい、打つ手がない……このままだと)


 そんな二人に興味を無くしたのか、ペトラドラゴンは突然勢いを上げ麓に向かい再び動き出した。






! 足止めしなさい!」


『――!? 承知!』


 サタナキアは一言だけ返事をすると、一瞬でその身から真っ黒い霧を吹き出す。

 その周りに立体型の魔法陣が構成されるが数秒で魔法陣が砕け散る。

 そして黒霧の中なら巨大な山羊の頭部を持つ大悪魔がのっそりと顕現した。



『――煉獄炎爆インフェル フランマ



 先ほどの炎壁とは比べ物にならない燃え盛る火柱がペトラドラゴンの頭部を中心に立ち昇る。

 火山が大噴火を起こしたのかと錯覚するほどの熱に、周りの岩石がドロリと溶け始める。



 ――ギャァァァァ!!



 初めてペトラドラゴンが吼え、顎門をサタナキアに向けたかと思うと口内から紫色のガスを吹き出す。


(まずい、腐食!? やっぱり今の状況だとぷーちゃんでも足止めが精一杯か!)


 ヨルの眷属というサタナキアだが、ヨルから魔力の供給が一切行われていない状態では、大悪魔と言えども本来の力を行使することは出来ない。ヨルはそんなサタナキアを横目に、削り取られた太ももに短剣の鞘をタオルでガチガチに巻いて固定する。




(あれはぷーちゃんが自分の命を削って魔法を行使してるだけだ……早くなんとかしなきゃ!)




 しかし、ヨルの必殺ともいえる一撃は既に防がれ、ヴェルとの特訓で習得した方法も今のコンディションでは到底使うことは出来ない。


(この上、ぷーちゃんから魔力を奪う訳にはいかない……)


 何かないかと、巾着に手を突っ込んだヨルの手が一つのアイテムに触れる。


(これ……)


 それはヴェルがいよいよヤバい時にと実験的に作った神力が込められた魔石――もとい、神石だった。





『少しは大人しくしてろ! 煉獄鎖封インフェル ケーラ!』


 サタナキアから炎で出来た鎖が飛び出し、ペトラドラゴンの頭から足まで巻きつき、その動きを封じようとする。


『ぐぬぅーーーーっ!!』


 しかし如何にサタナキアであっても、魔力を潤沢に使えない状況でこの質量差では、この場所に留めておくのが精一杯だった。


 その身体中から黒い血を吹き出し、歯を食いしばりながら必死にペトラドラゴンを押し留めようとする。





(これしかないか――下手すれば爆発するって言ってたけど……)


 ヨルの手のひらに乗ってしまうほどの大きさのガラス玉のようなアイテム。


(これを体内に入れろって、やっぱり口より大きいじゃない!)



 ヨルは内心でヴェルに恨み言を言う。

 一瞬だけ躊躇した後、痛む右手と太ももに顔をしかめながらヨルはそのガラス玉を口に咥える。

 そして動く左手でそのガラス玉を無理やり口内に押し込む。



(ぐっ――)



 そのガラス玉のような神石は、ヨルの口内に入った端からグニョリと変形し、初めから無かったかのように光となり最後には全て消えてしまった。


「こ、これでい……」


 これで良いのかな。と口を開きかけた時、ヨルの中で何かが破裂し溢れ出す。




「っ!!」





 ――ドクン






 突如あたり一面に、が脈動したような振動が響き渡る。






 ――ドクン――ドクン





 この岩の山脈全体が息づいているような波動にペトラドラゴンも動きを止る。

 ペドラドラゴンの頭をその身で押さえつけていたサタナキアは、数千年ぶりに感じる神力に震えを覚える。




 ――――ドクン…………







『……大地ノ棺フムス サルコファグス





 それは空に響く鈴のような音だった。


 ヨルの口から神言が紡がれた瞬間、ペトラドラゴンの半身が真っ黒い岩に覆われ、それまでズルズルと動いていた動作が大地に縫い付けられたようにピタリと止まる。


 突然首から下が動かなくなったことにペトラドラゴンは頭部を左右に振り暴れ出すが、その巨体を封じる闇色の岩塊はぴくりとも動かない。





『――吹き飛べぇ!! 紅玉髄牙カーネリアン ファング!』




 音速を超えて飛来したヨル。その右拳は赤く灼熱したように輝いていた。


 その拳がペトラドラゴンの側頭部に突き刺さり、一瞬の抵抗の後、その内部まであっさりとめり込む。



 ――ギ……!!



 その衝撃でペトラドラゴンの反対側の頭が吹き飛び、絶命の声を上げることなく崩れて始める。



岩石竜ペトラドラゴンじゃ、大地神あたしとは勝負にならないわよ……)



「ーっ、はぁっーっ!」



『アネさん! ご無事ですか!』



「ぷーちゃん……無事でよ……かった……わ……」



 膝から崩れ落ちたヨルはそのまま倒れ込み、サタナキアの大きな手が下から小さな身体を支えた。



『アネさん!!!!』



 悪魔のくせに泣きそうな声色を遠くに聞きつつ、ヨルは意識を失った。

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