四皿目 お嬢様、高説!

「食べ放題に初級とか上級とかあるのか?」

 僕は兄のいる方向を見て首を傾げる。大食いの兄は、ばくばくと、もう十皿近く食べている。仮に階級があるとしても、初級と言うのは納得がいかない。


「単純な分量が問題じゃないのよ。食べ放題に挑むうえでの戦術を言っているの」

「戦術は大げさじゃないか?」

「いいえ、ナメちゃダメ。しっかりと戦術を練らないと、食べ放題に敗北するわよ。食べ放題は老いも若きも関係ない無情な戦場なのよ」

 さらに大げさなことを言って、雪乃はカプチーノをすする。


「まず、朝食を抜いたこと。これは戦略としては今一つだわ。兵の数だけ揃えて、無策で城を攻めようとするようなものね。おかゆとか、シリアルを少しとか、消化しやすい物をお腹に入れておいた方が、コンディションが整って多く食べられることが多いわ」

「言われてみれば、朝飯抜きより、少しだけ食べたときの方が、昼前にお腹が空くもんなぁ」


「それに、では、決して元は取れないわ」

 雪乃はケーキを食べたフォークで兄を指した。

「あの、雪乃さん、また知らない用語が……」


「お兄さんはさっきから、パスタとか、ポテトとか、原価の低い物ばかり食べてるじゃない。大きいことを言うくせにたいしたことのない人と同じで、沢山食べるわりにたいした値段にならない。それがビッグマウスよ」

「なるほど、上手いこと言うな」

「食べ放題に勝つには、食べる物の選択も大切なの」

 雪乃は説明を終えると、マスカットを一粒つまんだ。キスするみたいに唇を当て、つるんと口に放り込む。細く長い指、真っ赤な唇、指先についた果汁を舌先でペロリと舐める姿が何だか妖艶で目を奪われた。


「ねえ、聞いてる?」


「えっ、あっ、はい、何でしょう?」

「あっちを見て、あの人よ」

 濡れて光る指先で、雪乃は壁際でローストビーフを食べている男性を指した。


「あれはよ」

「ローストビーフの人だよね?」

「ええ、高そうな料理を選んで、ひたすらそればかり食べ続ける人のことをシンイーターと呼んでいるわ。シングルのシンという説と、英語で罪を表すシンだという説があるわね」

「シングルは分かるけど、どうして罪なんだよ?」

「元を取ることに固執して、あれじゃあ食べ放題を楽しめないじゃない。単品を食べ続けられたら店にだって迷惑だし。それに、選ぶ料理を間違えたら何もかもが失敗に終わっちゃう。だから、罪な戦略なのよ」

 額に汗しながら、ひたすらローストビーフをほお張る男。たしかに、食べ放題を楽しんでいるようには見えない。


「今度はあっち」

「あの女の人のこと?」


「あれは


 ヘルマニア地獄愛好家? ずいぶん物騒な響きだ。

 僕がそんなことを考えていると、雪乃は嘆かわしげにため息をついて、

「ちなみに、ヘルマニアは、ヘルシーマニアの略よ。彼女みたいに、サラダとか、マリネとか、全粒粉パンとか、体に良さそうなものばかり食べる人のこと。ビッグマウスやシンイーターが初級なら、ヘルマニアは中級ね」


「どうして中級なんだ? 野菜ばっかりじゃ元を取れそうにないし、戦術としては失敗なんじゃ?」

「そうとも言い切れないわ。たしかに原価で元を取るのは難しいけど、少なくとも食べ放題を楽しめてはいるでしょ」

「まあ、好きな物を食べている様子だけど……」

「いろんな野菜を使ったサラダって、家で作るとなると面倒でしょ。かと言って、レストランで注文しても、あんまりいっぱい出てこない。お皿にちょこっと乗って五百円くらいかしら。思う存分野菜を食べれるのは、食べ放題ならではよ」

「つまり、定価で考えれば元を取れるってことか」

「ええ、原価と定価、食べ放題を勝ち抜くにはその二つの観点が重要なのよ」


 なるほど、と僕は膝を打った。

 食べ放題には無数の戦略や戦術があるようだ。


「でも、細かいことを気にするよりも、僕は普通に食べたいな」


 何気なく口にしたつぶやきに、雪乃が立ち上がり、ぐっと身を乗り出してきた。机に両手をついて、ワンピースのフリルが、皿の上のケーキに当たっている。首元の生地が重力に垂れ下がり、もう少しで服の内側が見えてしまいそうで、慌てて僕は目を逸らす。


「分かってるじゃない!」

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