第4章 お手すきの刑事から出勤お願いします
沼部署の刑事・堀川貴子は、年末年始は温泉で『女子会三昧』というプランが友人たちの裏切りで一週間前に完全崩壊、実家は川崎だから『里帰り』も休む口実にならず、あわれにも元日勤務の哀しいシフトに入っていた。
その分、年末は連休がもらえたのだが、二十九日から始めた部屋の片付けが逆に収拾つかないほど散らかってしまい、そのまま料理好きの同僚の部屋に転がり込んで、強制的に博多風水炊き鍋の準備をさせることに成功した……までは良かったのだが。
「カウントダウンお鍋!」と無駄にはしゃいで、今まさに乾杯しようとしていたその時に携帯電話に強行犯係長・島田から着信が入った。島田はこれといった手柄も無く、危ういことに近寄らないことを信条とする憧れられない上司の一人だった。係長になれたのも、数年前に大田区の警察署の刑事達が暴力団との賭博接待疑惑で大量の処分者を出した時、インフルエンザで一週間休んでいた為、疑惑すらかけられず無傷の管理職候補として消去法的になったという他力本願な男。
そんな係長からの電話だけに嫌な予感しかしない。
「あけましておめでとう! いきなりで悪いんだけど現場行ってもらいたいんだ」
「えっ、どういうことですか? 私は今日まで非番のはずですが……」
「それがさぁ、捜査主任が年末急に痛風再発しちゃって、しばらく自宅療養を要すって言うんだよ。こういうの無理に出勤させるとうちの総務もうるさいだろ」
「相変わらず内輪に甘い組織ですね、ところで係長はどこにいるんですか?」
「今、実家の桐生にいるんだけど、ご近所は高齢者多くてさ正月の餅つき頼まれてんだよ。知ってんだろ、うちの兄が去年ぎっくり腰になったこと」
「いやどうでもいいです。他の刑事はどうなんですか? 当番は誰でしたっけ?」
「それがさぁ、年末当番だった松平くんが鬱病再発しちゃって急遽一ヶ月の療養に入ることになったんだよ。今の時代こういうのも金比羅山がうるさいだろう」
「コンプライアンスね、ワザとですね、意味わかってないと思いますが……私だって休みたいですよ」
「われわれ公僕が私情を言い出したら日本の治安は暗黒だよ。きみはもともと元日出勤当番じゃないか、もう〇時過ぎたんだから君が今日の担当ともいえるよ。それに、この事件のことを聞いたら君の『刑事魂』がうずくよ、なんせ、これは……言っちゃおうかな」
「なんせ? 何ですか」
「言っちゃうよ、どうも『首なし猟奇殺人事件』が発生したらしい。どう、うちの署始まって以来の江戸川乱歩的事件……ね、興味深いでしょ」
「いや、そういう趣向ないです。ただ引くだけです」
「交番巡査と機捜が急行して現場整理してるんだが、人が多くて現場維持が大変なんだって! 猟奇事件と聞いて警視庁も腕利きの捜査官早速送ってくるらしいから、それまでに何とか我々地元警察の存在感アピールしておきたい。分かるでしょこの気持ち、だから現場に近い君の一刻も早い臨場が望まれる。以上、頼むね。じゃあ俺はおせちの箱詰めの手伝いあるからこれで切るね。一年の計は元旦にありって言うし早く行って」
なんて自分は上司に恵まれないんだろう。新年の乾杯を取りやめて、酒のあてにも手を付けず。泣く泣く堀川は出勤服に着替え、西友で一万円で買った自転車に乗った。
スマホを使って係長から指示された『僧土寺信徒ホール』を検索すると、すでに何百件もの事件発生のツィートが広まっていた。係長の言うことは誇張ではなく、確かに何か大変な事が起こってるらしい。そうは思っても寒空の中、自転車で現場に向かう堀川の心には強烈な虚無感が吹き込んできた。
(何が悲しくて三十過ぎて、元日の〇時過ぎにママチャリを漕がないといけないんだろう……どこで人生間違ったのか)
事件現場の隣はお寺らしく付近は初詣客で渋滞中。途中、警察車両を何台か抜いた、悔しいが自転車を選んだことが結果的に正解だったわけだ。
現場のホール表には先着した警察車両と野次馬がひしめきあっていた。
「一体、ここで何をやってたのパニックじゃない」
入り口で立ち番をしている顔見知りの交番巡査町田にひとあたりして、堀川は付近のスペースに自転車を止めた。
時刻は午前〇時四〇分。部屋を出てからきっちり一〇分で到着した。
「堀川巡査部長、ママチャリでの臨場ご苦労様です」
「余計なこといわなくていいから、もう本庁からの警部は来てるの?」
「いえまだです。いま機捜の山崎さんが現場の指揮をとってます」
堀川がホール内に入ると、数百人の観客が会場の床にしゃがみ込んで、ザワザワと騒いでいた。
先着した管轄の沼部署、応援の池上署の機動捜査隊と大晦日当直担当の気の毒な若手巡査たち合わせてまだ十人程度しかいない。
(おそらくこの状態では、現場検証どころか保全も十分にはできていないだろう)
この先の山ほどの業務を思うと堀川の気持ちは沈んでいく。 会場内中央の規制線テープの内側にいた沼部署機動捜査隊の山崎巡査が堀川を見つけた。
「堀川巡査部長、よく来てくれました。強行犯係の集まりが少なくて、このままだと課長にキレられたところでしたよ」
「被害者の名前分かった?」
堀川はホール内を見回しながら山崎に質問した。
「それはまだです。現在イベント主催者を別室に確保してます。本庁警部が到着後、聴取する予定です。このあとすぐです」
「テレビの番宣か、何も進んでないのね。 先着班による死因の所見はどうなってんの?」
「それもまだです。下手にいじるとまずいのでそのまんまです。首がないのが一因であることはわかるんですが」
山崎は気まずそうに答えた。
「お役所か! そんなこと誰でも分かるわ。で、遺体の第一発見者は?」
「複数の人がほとんど同時に発見したみたいです。多すぎてまだ整理できてません」 山崎は真面目に不可解なことを言った。
「どういうこと? 大勢が同時に見つけたとは……」
いつまでも事件のイメージがつかめない堀川はだんだんとイライラしていた。
「いや本当にそうみたいなんです。天井から突然死体が落ちて来たとか言ってます」
つかみどころのない山崎の答え。
呆れながらも堀川は事件現場に近づいた。遺体にかけられたブルーシートを前に深呼吸した。
「ところで、この会場の人は何で、みんな変な格好してるの?」
照明が照らされた会場のあちこちに黒装束の人物や、金髪のキャラクターが座り込んでいた。
「どうも、ここでカウントダウンのイベントがあったみたいなんです」と言いながら山崎はブルーシートをめくった。堀川は生臭い血の匂いに顔をしかめた。
「で、この被害者の服装も黒づくめなのはコスプレなの?」
江戸川乱歩的首無し死体は、黒シャツに黒いズボンをはいていた。
「さぁ、その理由も関係者に聞いてみないとわからないですね」
「どうして? 誰も被害者のことは知らないわけ」
「いや、そうなんですが聞き取り前で私にはよくわかりません」
山崎の公務員然とした的を得ない回答に堀川のイジメの虫が騒ぎ出した。
「さっきから何、その返答。あなたから何の情報も得られんわ。サッカーでもボール受けたら責任持って次の攻撃に少しでも有利になるパス出すじゃないの! これじゃ完全スルーパスだわ。むしろ時間がたってるだけにより状況悪くなってるわ」
年越しの「博多風水炊き鍋」を食べ損ねた八つ当たりを堀川は機動捜査隊の後輩刑事に思いっきりぶつけた。
しかし八つ当たりする女性上司ほど醜いものはない。
「まぁいいわ、その会場の責任者はどこにいるの」
「それならさっきから別室で待っていてもらってます」
「あとで案内して」
堀川は別室へ移動する前にひとつ現場で気になることがあったので聞いておくことにした。
「さっきから遺体のそばでしゃがんでいるあの人誰? 関係者?」
「えっ、そんな人いますか?」
「あそこに一人、変な人いない? スキンヘッドの人」
「あっ、確かに勝手に規制線に入ってますね。外に出してきます」
山崎が不審な男の方に手をかけた。聞き取りどころか、遺体現場維持の監視までも手が回っていなかったようだ。
「ちょっとそこの人、遺体から離れて」
山崎はその人物に強い口調で指示をしたが、その人物は一向に気にするそぶりがない。ブルーシートから一メートルほどの距離でしゃがんだ男は動かず、剃り上がった坊主頭で一心不乱に何か遺体に話しかけているように見えた。
遺体のそば……坊主頭……一心不乱。
堀川の脳裏に四ヶ月前に巻き込まれた苦難の捜査がよぎった。
完全無視された山崎は、近寄って勢いよく男の肩を引っ張った。
「おい、お前何のつもりだ」
声をかけられた男はようやく立ち上がるとゆっくりと振り向いた。
「見てわからないんですか、故人を弔うべく『仏説無量寿経』をあげている途中です。少しは気を使ってください」
不機嫌そうに振り向いた男は、堀川にとって忘れようがない。元警察官の坊主・大宮現生だった。
反射的に堀川の平手が坊主の頭を打った。
「何やってんのよ、お経の種類なんて誰も分かんないわよ。捜査妨害しないで」
頭をはたかれた男は急に笑顔になった。
「痛いなあ、あれーっ、堀川さんじゃないですか。新年早々殺人現場に臨場とは、さすがついてますね、確か今年が厄年の……」
「余計な事いうんじゃない」
この様子を見て山崎は安心したかのように後ろずさりした。
「堀川巡査部長のお知り合いでありましたか、失礼いたしました」
「いや、知り合いでも何でもない」
堀川は即答で否定するが大宮は憮然としている。
「はい、知り合いです。先日も特別に捜査に参加させていただきました。初めまして元警察官の現役僧侶大宮現生です」と笑みを浮かべて山崎に挨拶した。
「これは失礼いたしました、先輩であられますか」
「はい、警察学校一七二期です」
「山崎くんも巻き込まれないでね。意味のない会話で粘着するのがこの人の手口だから」
「粘着なんてしませんよ。ただの通りすがりの僧侶です。今日は隣の大本山の初詣の手伝いのついでに同じ敷地内でのカウントダウンイベントの見学に来ておりました」
大宮は半笑いを浮かべた。堀川はなるべく関心のない表情で話を受けた。
「ここは隣のお寺の敷地になるのね。だからと言って、立ち入り禁止の場所を勝手に通りすがらないように。山崎くんこの人を遺体のそばに近寄らせないで、後できっとややこしいことに巻き込まれるから」
「そんなぁ、殺生禁止、殺さずが原則の境内にあるこのホールで起こった殺人事件に私が巡り合わせたのも仏縁です。故人の鎮魂の意味でこの事件初七日までお付き合いさせていただきます。ちょっと元日の通夜葬儀はスケジュール予想つかなかったので、日付け長めにとらせていただきました」
「勝手に捜査に名乗り出ないで、そういうのはもうこの間で懲りてるから。いいから、そこどきなさい」
「堀川巡査部長、この事件は大変奇妙ですよ」
「そんなことを聞いてるわけじゃない……」
堀川は大宮の罠にはまらないように警戒しながらも、現場にいた大宮の発言に少し興味を感じた。
「さすがに首なし死体ではどうにも手がかりがありません。検死しないと死因もわからないですね。今回はどうなんですか? 事件性なしですか? 解剖の必要なしですか?」
その様子を見た大宮はまた回りくどい話し方をした。
「アリアリだわ、こんな自然死ないわ、解剖するに決まってんでしょう」
「堀川巡査部長、お楽しみ中のところ恐縮ですが、間も無く警視庁捜査課到着するそうです」
二人のやりとりを見ていた山崎が急に割って入ってきた。
「そうだった、あんたのおかげで初動捜査の時間無駄にしたわ。この人羽交い締めにしてでもどかしておいてね」
突然どこからとも無くお経が聞こえてきた。堀川には聞き覚えがある。事態を飲み込めない山崎はキョロキョロしている。
「はい大宮です。あっ地区班長さんですか? 」
大宮は袖から携帯電話を取り出して話し出した。堀川は大宮の携帯の着信音がお経だったことを思い出した。
「いやそれがですね、班長もご存知でしょう? 信徒ホールでの怪死事件の騒ぎ。そうです。今それに駆り出されちゃって、初詣のお手伝いに戻れなくなっちゃったんですよ。あれですわ、私もやっぱり警察官出身なもので、こういうお寺の敷地内で起こった事件となると、警視庁の方からお声がかかってしまって……。はい、そうなんです、それです! 特別捜査官というやつを拝命しそうなんです。はい、すいませんね。今日のところはこっちにかかりっきりになりそうなもので、すいません。これも、東京本山のイメージを少しでもよくする活動みたいなもので、修行と思って私も頑張ります。はい、僧正様にもよろしくお伝えください」
「誰も特別捜査官任命とか言ってないから、何も期待してないから、早くお寺に戻りなさい」
遺体の真横での私的な通話を長々とした大宮に堀川は呆れて言った。
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