13
〇
雨が降っていた。大雨だった。土砂降りというのは、こういう雨のことを言うのだろう。大地に生える草は乱雑に伸び切っていて、どこまでもそれが広がっていた。空も広かった。どこまで続いているか分からない空を、薄暗い雨雲が埋め尽くしている。滝のような雨は、そこから降り落ちている。風も酷くて、まともに立っていることもままならない。遠くの方では雷が鳴っている。
暗い世界だった。ここには僕だけしかいなくて、他には誰も居ない。
前にもここに来たことがある。随分前にも訪れていた。雨が降る度に来ていた気がする。
叩きつけるような雨の中、視界のほとんどを雨に遮られながら僕は進み始めた。どこかにあるはずなのだ。この世界のどこかに。さがせ、さがせ、さがせ。
降りつける雨粒が痛くて、冷たかった。素肌に雨が当たると焼けつくようで、酷い頭痛がした。
代わり映えのしない景色と荒れ狂う雨風のせいで、自分がどちらに進んでいるのかも分からない。僕は真っ直ぐ進めているのだろうか。
頭が痛い。ズキズキと痛んで、割れそうだった。
ただその分、思考は静かだった。いつもゴチャゴチャとした何かでこんがらがっている頭の中が、透き通っている。
余計なことを考えなくて済む。目的はハッキリしている。前に進まないと。さがさないと。
走り出しながら、大声で叫んでみた。自分が何を言ったのか自分でも分からなかったが、たぶん相当くだらないことだ。もう一度叫ぶ。大声を上げても、雨風や雷の音でかき消される。それが分かっているから、叫んだのだろう。
走って、走りながら見覚えのある場所をさがす。あの時と比べれば荒れてしまったけど、同じ世界だ。さがせば見つかる。確信があった。
どれくらいの時間をかけてさがしたのかは分からない。一瞬のようにも思えたし、数時間のようにも、十数時間のようにも思えた。
だけど、ようやく見つけることができた。
「あった」
昔つくった秘密基地がそこにあった。見る影もないほど劣化して、伸び切った草に侵食されていたけど、間違いない。
大きな石や枝や草木で、小さなスペースを囲むよう固めただけのちっぽけな遊び場。僕がここで一緒に遊んでいたのは部長じゃない。
いつ取り違えたのかは分からない。きっとどこかで勘違いして、思い込んでしまった。
僕がここに来て彼女と遊ぶのは雨の日だけで、時間にすれば部長と一緒にいたことの方がずっと長かったから。
僕は秘密基地のところで、雨の中傘も持たずに立って、大きく深呼吸する。
あの時もこんな感じだった。大雨の中、傘も持たずにここで立ち尽くしていた。
背は少し伸びたけど、中身はほとんど変わっちゃいない。同じことを二度も繰り返すなんて、本当に成長の無い奴だ。でも、次はないようにしないといけない。物事に絶対はないけれど、そんなことを言ってちゃ何も始まらない。
「雨、止まないですね」
声がした。聞くだけで朗らかな気持ちになって、それこそいつまで聞いても苦にならないような声。
「そうだね」
後輩が、僕を見ていた。彼女はどこか見覚えのある紺色の傘を差していて、くるりと一度それをまわした。
「よかったらこの傘、使います?」
そう言って、我慢できなくなったように口元をほころばせた後、後輩は付け加える。
「と言ってもこの傘、もともと先輩のやつなんですけどね」
「なるほど、なんか見覚えがあるなと思った」
後輩が持っている傘は、後輩とパンケーキを食べに行った時に僕が傘を壊してしまった女の子にあげたものだった。
「なんで君がそれを?」
「そんなこと気にしてないで早く傘に入ってください。風邪ひいちゃいますよ、わたしみたいに」
「もう手遅れだと思うけどなぁ」
僕の全身は、もう濡れていないところが見当たらないくらいにずぶ濡れだった。
「そういうのはいいんですよ、もう」後輩が不満そうに言って、傘を僕に突き出してくる。「これは先輩が持っててください」
傘を受け取って、僕は自分と後輩の間に傘を差した。後輩は肩にかけていた鞄から大きめのタオルを取り出して、背伸びしながら僕の頭に乗せる。
「服はもうどうしようもないですけど、せめて髪くらいは拭きましょう」
「うん、ありがとう」
後輩に髪を拭かれながら、気恥ずかしさをごまかすように僕は言った。
「ところで、なんで君が僕の傘持ってるの?」
「わたし、何回も先輩に電話をかけたんですけど、繋がらなかったんです」
そう言われて僕はポケットに入れていた携帯を取り出したが、電源はつかなくなっていた。水に浸かり過ぎて、壊れたのだと思う。この嵐の中じゃ仕方ない。
「それで急に不安になって先輩を捜しに行こうとして、学校を出たんですけど慌ててたので傘を忘れちゃって」
後輩が照れたように笑う。
「それでですね、別に傘がなくてもいいかと思って校門を出たら、あの時の女の子がいたんです。なんか、先輩に傘を返したくて先輩が出てくるのを待っていたらしくて」
「そこでこの傘をもらったんだ」
「そういうことですね。はい、これでちょっとはマシになったんじゃないですか」
後輩がタオルを離して、僕に笑いかける。
僕は礼を言ってから、彼女に聞きたかったことを尋ねることにした。
「君は、覚えてたの?」
「そんなことを言うってことは、やっぱり先輩は忘れてたんですね」
後輩が呆れたような顔で僕を見た。
「僕たちが会ったのは、高校が初めてじゃなかったんだ」
「そうですよ? わたしたちは小学生の時に知り合ったんです。そりゃ、一緒に遊んだ回数はそんなに多くないですけど」
「うん」
「でも、雨が降った日は必ずここに来て遊んでました」
「思い出したよ、全部」
「ほんとですか?」
後輩が疑わしそうに僕を見る。拗ねているようでもあった。
「……たぶん」
そう言われると、自信はあまりない。
「じゃあ、わたしたちが初めて会った時のことを覚えてますか?」
「雨の日に公園で会ったんだよね」
雨の日に後輩の家の近くにある公園に行くと、そこに一人の女の子がいた。
『ねぇ、あなたは雨がすき?』
一つ歳下の女の子にそう尋ねられて、僕はこんな風に返した気がする。
『え? うーん、きらいじゃないよ』
『ほんと? じゃあ一緒にあそぼうよ。わたし、おもしろい場所知ってるの!』
後輩は言う。
「わたし、怖かったんです。先輩が覚えているかどうかを確認するのが。もしかしたら全部わたしにとって都合の良い幻想だったんじゃないかって。先輩が忘れちゃったことを認めたら、なんだかわたしまで色々信じられなくなりそうで。信じれなくなるのは嫌でした。だって、これは大切な思い出ですから」
「ごめん、僕は……」
「ほんとにもう、反省してくださいよ? わたし、一年も待ってたんですから」
「うん、ごめん」
「まぁでも、許してあげます。それに謝るなら、わたしの方です」
申し訳なさそうな顔をする後輩だが、僕には何のことか分からない。
「わたし、知ってたんですよ。部長が部室に来なくなった理由。知ってて、知らない振りしてました」
「え?」
「わたしのせいなんですよ。あと、先輩が部長に告白したことも聞いちゃいましたし、先輩がお見舞いに来る時だって、まぁあれはわたしも部長に騙されたんですけど」
「どういうこと?」
「部長にお見舞いに来たからドアを開けてくださいって言われて、出て行ったら先輩がいたので滅茶苦茶びっくりしたんですよ、あれ」
「いや、そうじゃなくて、君のせいで部長が来なくなったってどういうこと?」
「あぁ、はい、えっとですね。実はわたし、部長に相談したんです。先輩のことが好きなんですけど、どうしたらいいですか? って。そしたら部長に言われたんです」
『なら、こうしましょう。健気な部員に、部長からチャンスをあげようではないですか。しばらくの間、私は君たちの前には現れないことにします。そうですね、では制限時間は雨が止むまででどうですか? その間に決めちゃいましょう。色々と都合が良いので』
いかにも部長が言いそうなことだ。部長がどんな顔をしてその提案をしたのか、目に浮かぶ気がする。
「あの、先輩。わたし、先輩のことが好きです」
「うん」
「わたしの話をただ聞いてくれる先輩が好きです。わたしと一緒にいてくれる先輩が好きです。優しい先輩のことが、大好きです」
後輩が無邪気な笑みで笑う。でも、無邪気なように見えて、後輩にも案外計算高いところがあるらしい。後輩が部長の不在に関わっていたなんて全く気付かなかった。僕はまだ後輩の全てを知らない。きっと、それでいいのだろう。
「先輩は、どうですか?」
後輩が下から僕のことを見つめて、答えを待っていた。
「僕も、――が好きだよ」
そう言った瞬間、世界が晴れた。暗く澱んだ雨雲を切り裂くように青が広がって、光が注いだ。滝のようだった土砂降りの雨が一気に弱くなって、パラつくような小雨に変わる。
気付けば、地面には青々とした草原が広がっていた。背の低い草が雫を受け止めて、キラキラと光を反射している。空には虹もかかっていた。
たぶん、今の僕はそこそこ無邪気に笑えていると思う。
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