12
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「あれ、お兄ちゃん?」
学校に戻る途中で妹と出会った。妹は僕がどうしてここにいるのか、疑問に思っているようだった。
「なにしてるの?」
「ちょっと用事があって」
「そうなの? ここらへん、特に何もなかった気がするけど」
「そういうこともある」
「ふーん」
妹は関心のない反応をして、僕に背を向ける。そして傘をくるくると回しながら歩き出した。
「じゃあ僕学校に戻るから」
「え、家に帰るんじゃないの?」
妹と逆の方向へ進む僕に気付いた妹が、振り返って言った。
「うん、部活あるし」
「そういえばお兄ちゃん、部活入ってたんだっけ?」
「大した部活じゃないよ。活動らしい活動なんて滅多にしないし」
「そっかー、やっぱり私も部活入った方がよかったかな」
妹は部活に入ってない。本人は入りたいと思える部活がなかったからと言っているが、本当はそうじゃないことを僕は知っている。妹が中学生になった時、まだ妹は母親と二人で暮らしていた。その時の妹は家事を全部ひとりでやっていたから、部活に入る暇なんてなかったのだ。両親が離婚して、僕が高校生になると同時にこの街に戻って来て、また一緒に暮らし始めてからはいくらか家事の分担はしているが、それでも僕が妹に頼ってしまっている部分は大きい。
妹はまだ中学生で、僕はそんな妹の兄なのに。妹のために、僕は何かをしてやれているのだろうか。
「お兄ちゃん!」
妹の鋭い声が響いて、驚いた。
「びっくりした。いきなりどうしたの」
「私、お兄ちゃんのそういう顔あんまり好きじゃない」
「え? あぁ、うん、ごめん」
「ほら、そういうの」
妹の悲しそうな顔を見て、胸が痛んだ。ズキズキと頭も痛む。
「ねぇお兄ちゃん。私、思い出したことがあるの」
「何が?」
「昨日お兄ちゃんさ、私が小学生の時に大雨が降ったかどうかみたいなこと聞いたでしょ?」
「うん」
その大雨が、いつの間にか頭から離れなくなった。この未だに降り止まない雨が降り始めてから、日に日にその記憶が鮮明になっていた。そこだけにまだモヤがかかっている。霧雨の向こうを見る時のように判然としない。
「それが何のことなのかよく分かんないけど、あの後、思い出したの。私とお兄ちゃんが離れて暮らすようになるちょっと前に、お兄ちゃんがいなくなったことがあったよね」
「……いなくなる?」
「うん、遊びに行くって出て行ったきり、帰ってこなくなって――」
あぁ、分かった。
そうだ。違う。やっぱり取り違えている。色々と、いろんなものを。
『お兄ちゃんどこに行くの? 私も付いていっていい?』
妹にこの台詞を言われたのは、この時だ。
「その日ってさ、雨が降ってたよね」
僕は妹に確認する。
「え? あー、うん、そうだったかも……? でも別に記憶に残るような大雨って訳じゃなかったと思うけど」
『大丈夫だよ』
視界にモヤがかかった。目の前が霞んで、意識が何処かに飛びそうになる。
『僕はもうどこかに行ったりしないから』
突然足元に大きな穴が空いて、そこから僕は落っこちる。頭の中に、雨の音だけが煩いくらい響いていた。
〇
たまに優しさについて考える。
優しさとはなんなのか。例え腹では悪どいことを考えていても、行動が好ましいものであればそれは優しさなのか。逆に相手を思うからこそキツイことを言う人がいたとして、そのことに誰も気付かないとしたら、それは優しさ足り得ないのか。
たまにそんなことを考える。
そんなことばかり考えて、いつの間にか優しくなりたいと望むようになった。でも、その理由は酷く独善的で、僕は僕のことを嫌いになりたくないだけだ。傷つくのが怖かった。
優しくない自分が嫌いになりそうだった。兄として、先輩として、やれることをやろうと思った。それくらいしか、道しるべがなかったから。
優しい人に憧れた。部長の側にいるのは安心した。それはきっと、彼女が彼女だったからだ。そして彼女は優しかった。
好きな人がいる。
なぜ好きなのかと聞かれても、あまりハッキリとした理由はない。
けれど強いて言うなら、優しいから。
優しいからその人のことが好きだった。
もちろん今も好きなのだけれど、そこに込める意味は以前と少し違う。
好きな人がいる。
自分はどうしてその人を好きになったのだろう。
気が付けば、そこに居た気がする。居て欲しい時に、側に居てくれた。いつのまにか、そこに居た。だから好きになった。きっとそういうことだ。
ふとした時に確信を持って、でもあやふやだった。ぼんやりとしていて、霧雨が降る向こう側を見る時のように判然としない。
そのはずだった。
僕は、後輩のことが好きだ。
〇
雨がまだ止んでいない。
僕は僕のことが嫌いだ。僕はどうして僕のことを嫌いになったのだろう。
理由はいくつでも挙げられそうな気がするけど、それはきっと後付けだ。
彼は言っていた。好きだから好きで、それ以外は全部後付けだと。けど、だからと言ってその後付けが要らないという訳じゃない。後付けにせよ、そうでないにせよ、そう思う気持ちに嘘はない。嫌いに関してもそれは同じことだと思う。少なくとも僕はそう思う。
まぁ何が言いたいのかというと僕は僕が嫌いなわけで、それ以上の何かをここで述べる気はないということだ。そうしなくても、僕が僕を嫌う事実は変わらない。
雨が降る中で、僕は僕のことを見つめなおす。頭の中に雨音だけが響いている。独特のリズムと、特徴的な雨のにおいがした。
どうすればこの雨は止むのだろう。
自分だけの世界で僕は考える。けれどもう既に、答えは持っていた。
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