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 ◯


 翌日の土曜日も、その翌日の日曜日も雨は止まなかった。

 土曜日は惰眠を貪り、本を読んでいる内に大半が過ぎた。日曜日もそれと同様にベッドにしがみついたまま午後を迎えた。しかし、ちょうど時計の針が十三時を回った頃、下の階から妹が僕を呼ぶ声がした。

 気怠い体を起こし、階段を降りて居間に入る。

「あ、お兄ちゃん」

「どうした」

「これ」

 今年で中学三年生になった妹が僕に一枚のハガキを手渡した。

「なんだこれ」

「知らない」

 それは僕宛のハガキだった。だけど、裏に僕の名前が書いてあるだけで、住所も郵便番号も差出人の名前もない。だけど僕はその個性的な字を見て、これが部長から送られてきたものだと分かった。

 おそらく部長が、ウチのポストに直接投函したのだ。あの人は、そういうことをやる人だ。

 僕は少し緊張しながら、ハガキの表を見る。そこには次のようなことが書かれていた。


【以下の問に答えなさい。制限時間は雨が止むまでです。

 一、優しさは何のためにあるでしょうか (三十点)

 二、雨はなぜ降るでしょうか(三十点)

 三、人はどうして人を好きになるでしょうか(四十点)】


 ●

 

 なんだこれは。その内容を見て最初に思ったことがそれだった。

 だが、落ち着いて考えてみれば戸惑うことでもない。部長は、こういう人なのだ。思い付きで行動して、よく僕を困らせる。

 あの人は一体何がしたいのだろう。本気でそう思うことが定期的にある気がする。

「お兄ちゃん、大丈夫なの……?」

 ハガキに視線を落として黙りこくっていた僕を、妹が心配げというよりも訝しげに見つめてくる。まぁ、こんな怪しいハガキをジッと見据えている僕を妹が怪しむ気持ちは理解できる。だって、こんな差出人の名前も意図も不明なハガキ、なにも知らないで見たら疑わないわけがない。

「大丈夫。知り合いのイタズラみたいなものだから」

「そうなの?」

「うん、そう」

 そして僕はハガキを手にしたまま自室に戻る。

 自室のドアを開けると、まるではかったようなタイミングで机の上に放置していた携帯が唸りを上げた。携帯を手に取って、誰からの電話なのか確認する。驚くことに後輩からの着信だった。メールではなく、後輩が僕に電話をかけてくるなんて珍しい。

「どうしたの?」

 通話ボタンを押して、まずそう言った。

『あ、あのっ。先輩……っ』

 後輩の硬い声が聞こえた。かなり緊張しているように思えた。思わず僕の体も少し強張る。

『今から、わたしと会ってくれませんか?』

 「なんで?」と聞き返そうとして、すんでのところで踏みとどまった。

 彼女が緊張した様子で僕に電話をかけてきた時点で、何かしらの理由があるのは間違いないのだ。だとしたら、他に用事もない僕がそれを断る理由も特にない。緊張している彼女にわざわざ詰め寄る必要が見当たらない。

「いいよ」だからそう言った。「ちょうど暇してたし」

『あ、ありがとうございます」

「どこに行けばいいの?」

『え? あ、えっと、それはですね……』

 後輩は虚を突かれたような声を上げる。

「君の家に行こうか」

『いえっ、それは申し訳ないです。えっと、だから、じゃあ、わたしが先輩の家に行ってもいいですか?』

「それはいいんだけど、君って僕の家知ってるの?」

『あ……、それは――』

 思い出したような声。僕は毎日のように後輩の家の前を通っているが、後輩は僕の家に来たことがない。

「やっぱり僕が行くよ」

『え、でも』

「いいよ。僕が行く」

『……じゃあ、お願いしていいですか』

「うん」

『すみません、ありがとうございます』

「じゃあ、たぶん十分くらいで着くと思うから」

『は、はい。お願いします』


 そのあとすぐ外出する準備をして、僕は家を出た。金曜日に後輩に借りたまま持ち帰った傘を持って、それとは別の傘を差して、また強くなった気がする雨の中を歩く。

 雨が傘を叩く。アスファルトの地面に弾かれた雨粒が靴を濡らす。絶え間ないリズム。水のにおい。湿った空気。降り止まない雨粒が視界を埋めて、雨音が他の音を呑み込んで、すぐそばを通り過ぎる他人の気配も気にならなくなる。自分だけの世界が生まれる。自分だけの世界で、僕は部長から届いたハガキの意味を考えた。

 部長の意図が読めない。僕の前から姿を消したと思ったら、こういうことをする。どうしてこんなことを。

 でも、そんなこと考えるだけ無駄なのかも知れない。部長は大して意味のないことを思いつきでやる人だ。あの人は、そういう人だ。だけど考えてしまう。疑問が勝手に脳裏をよぎっていく。

 優しさは何のためにあるのか。――そもそも僕には正しい優しさが分からない。

 なぜ雨は降るのか。――単なる自然現象でしかないだろ。

 人はどうして人を好きになるのか。――そんなの知らない。

 これは、偏見に溢れた憶測でしかないのだが。

 本当の優しさはきっと利害を考えないものなんだと思う。だけど僕は誰かのために何かをする時、大抵その行為が生み出す利害のバランスを考えている。それはきっと、優しさじゃない。

 分からない。何も分からない。これじゃあ一点だって貰えない。ゼロ点だ。ゼロ点だとどうなるのか。満点をとれば何か変わるのか。部長が僕の気持ちを受けれてくれるのだろうか。制限時間だってあやふやだ。雨がいつ止むかなんて僕は知らない。僕はいつもテストの問題を残り時間を基準にして解いていく。制限時間が分からなければ、何を基準に解けばいいんだ。だいたい、この問題は解く必要があるのか。

 ぐるぐると思考が回る。ぐるぐる、ぐるぐると。


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