第3話
なにも誓えなくて黙った僕をしばらく待って、それでもなにも言えなかった僕を、彼女は土手に置いていった。僕は追いかけることもできなくて、川の流れを見ていた。
今ならわかる。あの時、彼女は待っていた。それは僕の言葉ではなくて。僕の未来はたしかに白紙だったけれど、彼女もそうだったのだ、不確かな明日の中に、確かなものを見つけたくて、僕ならそれをくれる、って信じていたのかもしれない、というのは僕の願望で、きっとほんとうは彼女はなにも望んでいなかった。ただ待っていたのだ。待っていただけだ。
あの日、なにも言えなかった僕だったけれど、彼女との距離はあまりかわらなかった。それは良かったといえば良かったし、好ましくなかったともいえる、彼女があの日を無かったことにしたという点で言ったなら。僕にとって、彼女との距離が変わってしまうことと、一緒に過ごした時間をなかったことにされるのは、きっと同じくらい辛かっただろうから。
梅雨がすっかり明けた。夏が近づく足音は、だんだんと大きくなった。僕は夏がそれほど好きではなかったけれど、彼女が、もうすぐ夏が来るね、って、うれしそうに笑ったから、悪くないって思った。あの頃の僕はそんなことばかりだった。彼女にいろんなことを教わった。ラムネがあふれないビー玉の落とし方とか、溶けにくいアイスの見分け方とか、川沿いの家の屋根の造りとか、花言葉とかまで、日々のちょっとした、でも、大切なことを、彼女は僕に教えてくれた。
夏が来た。17歳の夏が来た。彼女と僕の関係は相変わらずで、眠れない熱帯夜には、家を抜け出したりもした。毎度毎度、土手。よく飽きなかったなとも思うし、そんなに長い時間、よく話すことがあったな、とも思う。夜に抜け出したって、学校でまた会って。でも、それだけ話して、一緒にいても、僕は、彼女のことをきっと全部わかっていなかった。わかっていたなら、彼女が永遠になることを、きっと止めたのに。
いつものような熱帯夜、その日、彼女は、家にあったんだ、って無邪気に笑って、花火を取り出した。
「花火なんていつぶりかな。」と僕は言った。
「私も!家にあったの見つけて、テンション上がったもん!」
「勝手に持ってきて大丈夫だったの?」
「ぜんぜん!だって倉庫に眠ってたやつだもん、なくなっても誰もわかんないよ。」
ほう、そういうものか、と納得して、これまた彼女が家から持ってきた水色のライターで、火をつけた。
「ね!これすごい色!」
「ほんとだ。虹色みたい。」
「ねえ!これは?なんかポッキーみたい!」
彼女はとてもはしゃいでいたけれど、僕も同じくらい楽しんでいた。その時彼女が持っていた写ルンですでたくさん写真を撮った。主にカメラマンは僕だったけれど。
「あとで現像しに行こうね!」って、彼女は笑っていた。
普通の花火がなくなって、線香花火だけになったとき、彼女が僕に賭けを持ちかけた。先に線香花火が終わってしまった方が、もう片方の言うことを聞く。ありきたりで、でも、楽しい、賭け。いいよ、と僕も笑って、それから火をつけた。
線香花火って、なんか、さみしい。たぶんみんな思っているだろうけど、切ない気がする。終わってしまうことへの、さみしさ。それはきっと彼女も同じだったと思う。
僕の方が線香花火の火玉を先に落として、それを見た彼女は、なにを頼むか考えてはしゃいでいたけど、落としそうになったから、慌ててじっとしていた。
まだ落ちない線香花火を、「きれいだね。」と微笑む彼女を見つめていた。その笑顔を見て、僕は、彼女とプールサイドで初めて会った日のことを思い出していた。あの時の笑顔と、変わらない笑顔の、目の前の彼女。やっぱり海みたいに笑う女の子だ、と思って、それから、どうしてだろう、彼女がとても遠くに行ってしまう気がして—。
彼女の線香花火が落ちるのと同時に、僕は彼女にくちびるを重ねた。
暗がりの中で、彼女の感情は読み取れなかった。ただ、花火の、煙の匂いが残っていた。顔を離して、見つめ合った。しばらくして、今度は彼女から僕に口づけた。でも、彼女がなにを考えていたのかは、わからなかった。
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