衝動(火遊び続編)
「バスはあそこです」
「ご協力感謝します!! あとはお任せ下さい。私と……この
深夜、パトカーの屋根を叩く豪雨が響く。
青い唇で助けを懇願したのは山奥で出会った若い妊婦だったといえば事の深刻さはどれほど伝わるだろうか。私はいつもする様に作った笑顔で被害者をなだめる。……まあ、この場合の彼女が被害者と呼べるかは疑問だ。経緯はとにかく、彼女は自分の意思で集団自殺のバスに乗り込んだのだから。
「
「……急ごう。
バスは既に停車し目貼り済み。窓が曇るほどの煙が充満していた。つまり、現在進行形で一酸化中毒による生存率の低下が起きているという事だ。私は急ぎ応援を呼び、同時に竜司に救助を任せる。
「いけ竜司!!」
「はあぁぁ!!」
バシ。ガララ。
目張りされたガラスが鈍い音を立てて割れる。窓から煙が吐き出されるが、これだけでは救出とは言えない。いまだに気を失っている10と数名の自殺志願者達はいうまでもなく瀕死の状況にあり、例えば寒さ一つでも命運を分かつ。
そういう意味で言えば現状は笑えるほどに最悪だ。
ただでさえ冷える深夜の山奥に、豪雨のおまけ付きだ。しかし一酸化中毒は一刻を争う……得策とは言えないが、窓を叩き割る竜司の手段が
集めた連中に用意していた毛布をかける。
皮肉なことに、今この場を温める事に一番貢献しているのは彼らが用意した
「忍、女性もいるぞ」
「流石に男たちとまとめるのはかわいそうだろう。男女で分けて暖を取らせる」
「あまり動かすのは良くないぞ」
「当たり前だ。私たちにできるのはここであと1時間か2時間……命を繋いで救急車と警察の応援を待つだけだ」
私は毛布で包んだ女性を抱き上げる。
すると、女性の手が微かに動いた。
「っ!!」
若い女性だった。
だが、どこか年齢不相応に大人びた雰囲気を感じるのは容姿が美女として完成されているせいだろうか。特に印象的なのは澄んだ小川を思わせる様な水色の長髪……ただ今はその閉じた頬に残る涙の跡だけが私の目を奪った。
「おい忍、いつまで抱きかかえているんだ。……
「ばっ……!!? そんな訳ないだろう。今、彼女の手が動いたんだ」
「そうか、よかった」
よかった……とは、どういう意味か。
普段生真面目な分、竜司が言う冗談の威力は凄まじい。もっとも、彼には冗談のつもりはないのだろう。とにかく、私は彼女をそっとバスの床に降ろした。自殺志願者の集団にいた女性は3人だった。長髪の彼女と頬を腫らした女性、そして道中に出会った妊婦だ。
今回の男女比からも分かる。
女性にとってはこういった催しに参加する事自体、嘘や強姦の可能性がついてまわる危険な事だ。それで尚ここにいるこの3名にはどれほどの理由があるのだろうかと思うと遣る瀬無い。
だが、少なくとも死者が出なかったのは上々だ。
パトカーにこれでもかと積んでいた毛布も役に立ったし、バスの停車位置の推測もほぼ的中した。
そう、今の私たちは警務ではない。
偶然にも豪雨の深夜にドライブをしていて、偶然、潰れたキャンプ場の跡地で不審なバスを見つけて救出、奇跡的に持っていた尋常じゃない数の毛布を配っただけの非番の刑事なのだ。
私と竜司の非番にはそういう偶然はよく起きるが、それはまた後の話しとしよう。
「……今、口が動いた」
「良かったな。こっちは、今のところ誰も目覚めないよ」
今度は、長髪の女性の口が動いた。
嬉しいものだ。特に、後遺症が懸念される状態の彼女たちだ。そういう不安が減る兆候が嬉しくないはずがない。
「忍……まだ早い。彼らは志願者だ」
「……。それも分かっているよ」
分かっている。
分かっているが、だからなんだ。喜ぶのは私の勝手だ。非番に何をしても私の勝手だし、助けるのも私の勝手だ。それで彼女らに嫌がられるのだって私の勝手だし、それでもいいのだ。だって、自分が生きた事に誰も喜んでくれなかったらまた死にたくなってしまうじゃないか。
だから私は笑顔で人を助ける。
親切と善意を押し付ける。
「私に救いなんて……起きるはずないですよね」
「!?」
その時だった。
長髪の彼女が喋った。寝言だ。意識はまだない。意識して口にした言葉ではないだろうが、それでも私にはそれを無視する事はできなかった。
「いいや、貴女は私が必ず助けます」
「……え!?」
「あ……」
驚いたことに私の言葉に小さな反応があった。
続いて抱きかかえていた身体の重みが僅かに増した。彼女が意志のない物から自分の意思で体重を動かす者に変わり、重心の主導権が私から彼女に戻ったからだ。そして、薄く目が開く。まだ焦点の合わない淡い栗色の瞳がぼんやりと私を見て、その目が徐々に光を帯びていく様を思わず凝視する。
「あ……貴方は?」
掠れた声。
そこで我に返ると、どうやらずっと彼女を抱きかかえていたらしい。それも、密着していた私の胸の温度が彼女と共有されるほどの時間。なぜ、そうなったのかは分からないが、我に返った以上、口にするべき事はひとつだ。
「今は、ゆっくり休んでください」
「……はい」
彼女は小さく返事をすると目線は私から逸らされる。
そして、辺りを見渡して私たちを呼んだ妊婦を見つけて安堵の表情を示した。
「そう、貴女も助かったのね……良かった……」
意識を取り戻して数秒で状況を大方理解したのだろう。
聡く、そして優しい少女なのだろう。私は再び眠った彼女を寝床に下ろしてため息をついた。
「……」
「忍、なんだか今日は調子が悪いんじゃないか?」
「……あぁ、そうらしい」
確かにおかしい。
私は普段人一倍に理性的な行動には自信があったのに、今日の私はどうしてしまったのだろう。ただ、その答えは数日後には明らかになる。
……
「あのバスの首謀者、殺人犯だったんだな」
「あぁ、正確には一家心中の失敗らしいな……」
翌日、私はとある平和な区域の交番勤めの傍らにバスの乗客の身元を調べた。
特に自作した検索システムなどを活用してネットに埋もれる真実だけを集めだす技術には自信がある。学生時代のアルバイトでは幾つかの大手企業にも用立てられた事があり、その際にできた人脈と持ち前の検索能力を扱えば例えばガセネタの多い集団自殺の募集サイトの中から本気のものを見つける事も出来る。
今回の件で言えばネットに上がった掲示板の案内自体は一見悪戯の様な仕様だった。
しかし私の持つシステムで自動検索した結果、サイトの投稿者の個人情報と偽名ではあったが彼の在所付近で練炭とバスのレンタル予約が行なわれている事までが瞬時に確認できた事からこの事件を真実であるのではないかと睨んで投稿者のメールなどを調査した。
……もちろん、これは違法調査だ。
それ故に私と竜司は不自然な偶然でバスを発見したことになっているというわけだ。そして、私はこの手段を選ばなければ警察内でも随一の捜査力があるとの自負があるが、では、そんな私が相棒としている長久手竜司とは何者かといえば、警視庁の開く武術大会の連覇者、自他共に認める警察最高戦力だ。
「流石だな。半日かからずに乗客全員の背景を調べ上げたか」
「まぁ、これくらいは簡単だよ」
「……それは、お前ならだろう? 他の誰にも出来る事じゃない」
「……まあな」
それは、お互いさまだ。
私から言わせれば、先月、非武装で単身暴力団の事務所を壊滅させた竜司の方がよほどの特異人物だ。と、いうよりも竜司も私も警視庁にバレバレの特異人物だ。
「それだけの功績でなぜ交番勤務ですか?」
曰く、などという質問が警官全員の禁句として暗黙の了解になっているらしい。
曰く、自由に動かせる為に出世を止めているのは
どちらも噂だが、確かに不自然な采配ではある。
「それにしても、不調はまだ続いているのか?」
「いや……これは……」
竜司が指を指したのは、私が知らべた乗客の情報の中で1人だけ奇妙に密だった縁という女性の事だった。
「やっている事は異常だが、個人的には、忍にそういう関心があったのは嬉しい情報だよ」
「うるさい……急に父親みたいな発言をするな……」
力なく反論。
分かっている。今の私はネットストーカーと変わらないど変態だ。凄腕の特定力を持ったど変態……笑えないほど最悪だ。それでも気になって仕方ないんだ。あの涙の跡が、言葉が頭から離れない。
「言ってしまったんだよ。必ず助けると……」
「そうか……そういうものか?」
そうだ。そう思いたい。
事実、彼女の問題はなにも解決していないのだが、それを差し引いても私の行いは異常だ。
「とにかく、この件は私に任せてくれ……不調を直すためにも、自分で解決したい」
「出来るのか?」
「出来るさ。しつこいぞ」
「……ならいいんだ」
竜司は多分、言葉を飲んだ。
警務に私情を挟むなという言葉は、休日の度に数々の偶然を起こした私たちにとってはあまりにも滑稽だ。そして、その言葉を言いかける様に仕向けてしまった言動を私は恥じなくてはいけない。ただ、他の人間ならば簡単に個人情報を探れる私の能力があれば簡単に弱みを握って脅す事ができても、竜司の様な真人間には私の力が全く及ばない。彼は私にとって相棒でありながら一番敵に回したくない存在だった。
……
次の休日、後ろめたい目的で私はバスの乗客が入院する病棟に見舞いに来た。
乗客たちは2つの大部屋と個室、計3つの部屋に入院していて、私は個室にいる縁という女性を訪ねた。
「起きて……いましたか」
「……」
彼女は私と顔を合わせず窓から外を見ていた。
多機能ベットに広い室内、広い机には安くはないだろう煌びやかな装飾のティーセットがあり、ドアの構造を見るに完全防音。病室とは思えないその一室は彼女の父親が権威者である事を意味した。
「元気そうで良かったです」
「……」
彼女は私を見ない。話さない。
胸が痛む。嫌われている様だ。それは、そうだ。私がしたのはただ彼女の邪魔をしただけなのだ。
「食事は……摂れていますか?」
「なぜですか?」
「!……」
彼女が振り向いた。
涙を溢れさせた栗色の瞳で私を見る。涙が綺麗に流れる。まるで、いつも通る道に沿う様に綺麗に……。
「なぜ、放っておいてくれなかったのですか!?」
「……」
反響するほどの大きな声。
胸ぐらを掴まれた白くか細い手は震え、弱った力で精一杯に私に訴える。
「すいません……」
いけない。
こんな事は私らしくない。正常じゃない。まったくもって歪だ。歪だが、それでも、私は泣き噦る彼女にどうしようもなく惹かれてしまった。どんな対価を払ってもこの涙を止めたいという衝動が抑えきれない。
「私は……貴女の全てを奪いたい」
「……え?」
謝罪でも、弁解でも、まして救済でもなく。
頭で考えるよりも先に、口が言葉を紡いでいた。
……
私の精神衛生上中略する。
落ち着いたり弁明したりと時間をかかったが、結論として私は彼女を自由にする為に彼女の父親と対峙する了承を経た。
「いつも君のお父さんが見舞いに来る時間だね……」
「はい……。あの、先ほどの答えは……」
「……それは、この件が終わって、貴女が自由になってから決めて下さい」
顔が茹だる。
恥ずかしいという感情はいつぶりだろうか。私と同じ様に耳を赤らめる彼女の反応は私と同じ気持ちだと思って良いのだろうか……。いや、今はそれを考える時ではない。彼女の父親は、政界にも顔が利く様な大物だ。
カツカツカツ。
病院に似つかわしくない革靴の忙しない歩行音と共に入室したのは厳格を絵に描いたような男だった。
「君は?」
「ただのお節介な警官ですよ」
「……お節介な……か」
男の目は私を見ない。
しかし、娘に向けた視線もほんの一瞬で、彼にとって私も彼女もそれほど関心のある存在ではないのだという事が伝わり無償に腹立たしい。だが、それはすぐに覆す目論見がある。この男は政界にも顔が利く人物だが、それは時として弱さだ。私はいつもの笑みを作る。
「ええ、少々過ぎたお節介ですが、この様な写真を持つお父様がいては娘様がかわいそうだなと思いまして」
「……」
用意した写真。
かつて彼がパパラッチから金で握り潰した汚職の証拠品だが、彼を追いそうな趣向のパパラッチをターゲットにそれらの所持するパソコンに侵入、過去に消去された写真を復元して探せば見つける事はそれほど難しくはない。もっとも、彼の私的な電子機器から埃が出れば事はもっと簡単だったのだが、その程度の対策はされていた。
「何が目的だ?」
「いえ、私はただお節介な警官ですよ。ただ、善良でもないかもしれませんからこの事を秘密にする事は出来るでしょう」
「用件を言え!! 金か? 便宜か?」
最悪だ。笑えるほどに……。
男は、娘にはあれほど関心がなかったというのに、この話題には眉間にシワを寄せ語彙を強めている。こんなイヤガラセよりも思い切り殴り飛ばしてしまいたいほどの怒りを覚える……だが、それは彼女の為にならない。この会話の全てで1番悲しんでいるのはこの男の娘である彼女なのだ。だから、決着をつける。
「ただの……お節介ですよ。娘さんの話を聞いて下さい。命懸けで訴えたい事がある様です。それを匿名で防音の箱に押し込めちゃああまりにもかわいそうだ……」
「そんな事で……いいのか!?」
「そんな事……ですか?」
ああ、本当に不調だ。
笑顔が剥がれる。本来はこれで私の役目は終わりだった。彼女が想いを伝えるきっかけを作るだけで良かったのに、もう、抑えられない。
「ふざけるなよ!? アンタ、人間としては三流だな。どれだけ彼女を傷つける!? どれだけ玩ぶ!? 死のうとしたんだぞ!!?」
言い足りない。
まるで言い足りない。なぜ彼女を道具に出来るのか、なぜ自殺しようとした彼女を心配できないのか、まして汚点の様に扱うのか。全てが気に入らない。後先などもう考えられない。強く握った拳を振り上げた。
「やめてっ!!」
「……っ!!」
私の拳を止めた声は、彼女だった。
「……もういい。アンタの娘は今日から行方不明ということにしろ。これから縁は私が守る」
「……好きにしろ」
彼女は泣いていた。
また、泣かせてしまった。思えば私は彼女を泣かせてばかりだ。
「……アンタのことはこれからも見張る。集めた情報は私が危害を受けたと認識した瞬間に全世界の今と未来に一斉送信出来る様にプログラムしておく。馬鹿な考えはやめておけ」
「フン……言った筈だ。好きにしろ」
男はそう言って部屋を出た。
私は、それからしばらく立ち尽くした。泣き続ける彼女が落ち着くまで、ただ、待ちながら後悔や反省を繰り返した。
「お見苦しいところをお見せしました」
「私こそ……申し訳ありませんでした。出過ぎたことをしてしまった……」
「いいえ……それに嬉しかった……です」
私の事で怒ってくれたのは貴方が初めてでした。
彼女は恥じらい目線を逸らしたままでそう言う。耳も頬も鼻の頭まで赤く染める彼女は、あまりにも愛おしい。
「あの……ください」
「え?」
「私もう、縁じゃなくなりましたから、私に名前を下さりませんか?」
「あ……あぁ」
それは、考えていなかった。
でも、思いついた言葉は1つだった。
「飛鳥でどうかな? 飛ぶ鳥と書いてアスカ。鳥籠を出た今の君にピッタリだと思うんだ」
「飛鳥……飛鳥。ふふ、素敵です」
「気に入ってくれたならよかった」
最高だ。
この数日泣き顔ばかり見ていた彼女が今日は、恥じらった顔や笑顔を向けてくれている。こんな最高なことが他にある筈がない……そう思っていた。
でも、それは間違いだった。
なぜなら彼女はすぐに私と同じ猿渡の姓を名乗る事になる。そう、私たちはそれから程なくして正式に結ばれたのだ。
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