エスケープ②

 都心からは離れるとはいえあたりは田園。

 真新しいマンションが多く立ち並び、今も新設され続けるこの地区はベッドタウンとしての役割を期待されているらしいのだけど、その中でただの一軒、雨漏りの酷い平屋構造の貸し物件が私と優助の家だ。


「ただいまー」


 ドアを開けるとすぐに広がる四畳半が唯一の生活スペース。

 畳はシミだらけで、お風呂は初めから壊れていたけど、トイレとシャワーノズルだけはまだ白いし、浴室のタイルにもカビは無い。あと、実は少し家賃を滞納いているのだけど大家さんは音信不通。


「ここに大家がいるって言うのは都市伝説だよ」


 などとお隣さんは言っていた。

 

「まぁ……いっか」


 靴を脱いで畳に上がる。

 スカートのホックを外してタイツと靴下と一緒に脱ぎ捨てる。ボタンを外してシャツをはだけさせながら蛇口を捻る。このシャワーは、お湯が出るまで2分弱かかるのだ。その間に買い置きの発泡酒を冷蔵庫に入れて冷凍庫の氷を確認。


「よし!!」


 ブラを外してシャワーを浴びる。

 時々冷水が出るのも今の火照った身体には気持ちいい。


「さーて、飲んで、寝るか!!」


 身体を拭いたタオルを洗濯機に入れて、バスタオルを巻く。

 氷の入ったコップにビール。あぁ、最高。


……


「さん……姉さん!!」

「んぁ? 優助……優助?!」


 弟の声に目を覚ます。

 眠気まなこを擦って声の方を見るとそこには優助……ではなく鬼がいた。


「起きたね?」

「うん……」

「何が言いたいかはわかる?」

「……ビールの缶?」


 優助がうなづく。

 部屋の隅のゴミ袋に積まれた発泡酒の山は確かにそろそろ片付け時だ。


「あとは?」

「服?」

「そう……なんでシャツは洗濯機に入っているのに、スカートとか、し、下着は脱ぎ捨てられているのさ! それも毎回……何度も言いたく無いけど、僕はまだ高校生、思春期なんだよ? もう少し気を使ってくれてもいいよね!? それに……」

「それに?」

「分からない? 1番わかりやすいと思うんだけど……」


 あたりを見渡すけど何もない。

 鏡台はあるけどテレビもない。比喩ではなくて、この家には本当に何も置いてないのだ。私は、少し考えるけど分からないものはわからないので、適当に時間を置いてニコリと笑った。


「優助! ヒントちょうだい」

「……」

「……?」


 そういうと優助は顔を赤くして私を指差す。

 私は、自分を指差して首を傾げる。


「……なんで分かんないの!? 服だよ!! 服を着てくれって言ってるの!!」

「あー。それね!」


 私は布団を肩から羽織ってはいるもののその中はTシャツとパンツ姿だった。

 でも、どうだろう。ここは我が家な訳だし、優助は思春期とは言っても血を分けた兄弟なのだから彼のいう事は堅苦し過ぎると思うのだ。


「はい、ショートパンツ。……これなら暑くないでしょ?」

「……分かったわよ。でも、これだったらパンツとそんなに変わらないんじゃない?」

「いいから! 早く着る!!」

「はーい」


 渡されたショートパンツを渋々はく。

 目の前で着ようとした事なんかで2、3度追加のお小言があったのは割愛するとして、よくよく私達は似ていない姉妹だと思う。パンツとショートパンツの生地面積の差なんてたかだか鼠蹊部から数センチ長いだけ。頭が良いと言うのはこう言うところに弊害でも出てしまうのだろうか。


「……優助」

「なにさ?」

「彼女まだ出来ないの?」

「はぁ!?」


 おっと、怒りの炎が冷めやらぬ優助に余計な油を注いでしまった様だ。

 そういえば、優助には彼女がいないし、いたこともない。人気はそれなりにある様でバレンタインには結構な数のチョコレートを持ち帰るけど……やっぱり性格が堅苦しいからだろう。保護者の贔屓目かもしれないけどそこらへんのファッション雑誌のモデルができそうなくらいには顔も良いし、身長もある。あぁ、でも文系一筋だから筋肉はない。


「……やっぱり筋肉がないからかなぁ」

「……姉さんがバカなこと考えてるのは分かったよ。とにかく僕が言いたいのは『親しき仲にも礼儀あり』は肉親でも保護者でも軽視して良いものじゃないって事だけ……それに、僕は姉さんがいればそれで良いんだ……」

「優助……」


 勉強は私より100倍も1000倍も出来るのに、我が弟として実に情けない。

 私が高校生の頃といえばバンバン告白されたし、バンバン断って……あれ? そういえば私も恋愛経験ってない。


 いや、でもそれは私の高校がおバカ高校で将来有望株の男がいなかったからで……

 そういう判断基準もシングルマザーだった母が入院していて我が家にお金がなかったからで……。


 そっか。私って青春らしい事って何もなかったなぁ。はは。

 ずっと掛け持ちでアルバイト、今も仕事ばっかりで……。


 ……やめよう。思い出すだけ虚しくなりそうだ。

 こういう時は早く寝てしまおう。優助は寝溜めは無駄だとかうるさいけど、気持ちのリセットには寝るのが最高だ。優助に見つからない様にこっそりもう一本ビールを飲めたらもっと最高。だって明日からまたあの激務が待っているのだから……。



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