エスケープ①

「んんっふ、でぇ、どうですかね? お姉さんにとって悪い話しではないと思うのですが?」

「……」


 おかしいと思ったのだ。

 学費は私が出しているし、弟は唯一の肉親だ。でも、それは私が高校生3年にもなる弟の担任教師と『二者面談』をする理由にはならない。


「毛利さん? 毛利優子さん、聞いていますか?」

「え……えぇ、はい」


 仕事の半休とはいえ、制服で来たのが間違いだった。

 担任の江口洋燈(エグチランプ)はガマガエルの様な口を薄く開いて私を見ていたけど、時々視線が不自然に下を向く。そのねっとりとした視線は決まってミニスカートで学校の堅い椅子に座る私の内股に始まり、這い上がる様に上に、奥に登ると一度静止、お望みのものが見えないと確認してからお腹と腕の太さを見比べてから胸に向かう。


「悪い話……ではないと、思うのですよ。貴女の、稼ぎでは……大学の学費、を、支払うのは大変でしょう……」

「……」


 身体が火照り、息が乱れる。

 汗が止まらず、制服の白シャツは透けて下着も肌も隠せていない。真夏日だというのに空調機のない教室で二者面談を考えたのもこの男のそういう意図……というのは考えすぎか。この男もこの男で手にしたハンカチが絞れるほど湿っていて今も吹き出る脂汗もすごい量だけど、人のことは言えない。私の服もそろそろ汗を吸う面が無くなってきている。背中に張り付いた制服と肌の隙間を汗が通るのがわかる。


「弟さん、優助君は天才ですよ。えぇ、間違いありません。日本の大学なんて勿体無い。海外の一流、超一流大学も狙えますが……留学となるとねぇ」

「……」


 いい加減飽きないものなのか。

 また、この男の視線が下に移るのを見て私は大きなため息をついた。それにしても熱い。何が悲しくて上司に嫌みを言われてまで半休をとってこんな冴えない男とサウナゲームをしなくてはいけないのだろう。あぁ、そう考えたら急に腹が立ってきた。そもそも、話が回りくどい。あんたの考えている事なんか知っている。どうせ援助をするとかなんとかでそういう事を考えているのでしょう。私も安く見られたものだ。


「一つ、私に良い案がありましてね」


 ほら、きた。

 もういい。この男が援助のえの字を口にしたらグーパン二発。後の事は困るけど……それは、後で考えよう。


「私のいきつ……んんっ、私の! 個人的な!! ……知人にお店を経営している人がいまして、貴女のそこでの働き次第では優助君の留学費用も……」

「……はぁ」


 そうきたか。

 微妙に合法っぽい手段を提案してくるこの男に毒気が抜け、殴る元気もなくなった。だいたい、こいつ今、いきつけって言いかけた。いえ、言った。ほぼ言っていた。つまりそういう店に私を働かせて、そこにお客様として来るつもりで、そういう拒めない状況で……


「最低……」

「ん? 何か言いました」

「い、いいえ」


 あまりの気色悪さに、思わず口から出た言葉が小声で良かった。

 咳を一つ、立ち上がって男を睨みつける。私の身長は160センチ……女にしてはちょっと高い。そんな私がヒールのある靴で座っている人を見下ろすとちょっとした圧があるらしい。


「な……どうされました?」

「いえ、おかげで決心がつきました。私、今の仕事で優助を大学に行かせます!!」

「は……はぁ……」


 やっぱりだ。

 この男、強気に出れるのは弱い女の子にだけ。私はそう言って面談を切り上げた。


「あ、毛利さん!!」

「まだ……何か?」

「よろしけば野球部の部室にシャワー室があるのですが……」

「結構です!!」


 我ながらくだらない時間だった。

 今日はせっかくの半休なのだから早く家に帰ろう。まずはシャワーを浴びて着替えたい。特に予定はないけど、たまには寝溜めをするのも良い。最近は仕事が長くて寝不足だったし、この教室よりは家の布団の中の方が何倍も有意義な場所だ。





 

 

 

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