魔王の従者ーアンサー

不適合作家エコー

始まりの悲劇

「そうだ。遊園地に行かないか?」


 亭主の提案に私と娘は顔を合わせ、目を丸くした。

 忙しいらしい仕事と部下との飲み会、休日は昼まで起きない彼がそんな事を言うのは、どういう心境の変化だろうか。誰に起こされることもなく目覚ましで起床し、寝癖を治し、自ら運転手を引き受けるどころか、パーキングエリアで私たちにアイスクリームを手渡すなどあり得ない。なにか、彼にもなにか事情があるのだろうが、そういう事ならまあ良いでしょう。それならそれで、今のうちにしっかり楽しませて貰わなくては損というものだ。


 遊園地。そこは夢の形をしてる。

子供達の夢が姿を与えた場所。だから、時代が変わっても、ここは夢の場所であり続けるのだろう。いくつもの巨大な遊具、歌って踊る動物たち。少女時代に私が大好きだったタレ目のクマさんはもういないけれど、当時の私が彼に抱きついた彼と同じように、愛娘がツリ目のオオカミさんに抱きついて離れない。


「ふふ......誰に似たかなんて、聞くまでもないわね」


 まるで子供の頃の私を見ているみたいだもの。爛漫な性格、目尻のほくろ、スカートが嫌いなスポーツ少女。そして、頬の絆創膏……やれやれ本当にどこまで似てしまったのだろう。


「ねぇパパあれ乗ろう!? もう一回あれ乗ろ〜?」


 亭主の腕に飛びついて愛娘が指を指す先にあるのはこの遊園地で最恐と言われる絶叫マシン。愛娘の笑みとは対照的にやつれたような亭主。


「えぇ!? 3回目じゃないか」


 でも、そんな弱々しい抗議があの頃の私に通用するものですか。


「むー、3回だよ〜」


 可愛くほっぺの膨らんだ娘が亭主の周りをトタトタと回り始める。やれやれ本当に元気なものだ。


「まだって......こりゃあ4回でも許してくれなそうだなぁ」


 状況を察した旦那はすでに青くなっている。

 やれやれ、だらしがないと言いたいところだけれど彼の苦手な絶叫マシンの3連続に耐えたのだから合格としようか。


「分かったわ。じゃあ次はママといきましょう」


 愛娘の手を握り、ふと思い付き亭主を振り返る。


「アナタと出会ったのが大人になってからで良かったわぁ」

「ええ!?どういう意味だい!?」


 だって、この娘はまるで私の生き写しだもの。間違っても、私たちが子供の頃に出会っていたら恋仲にはなれていなかったと思うから。亭主の垂れた眉に苦笑しながら、踵を返す。


 今更、面と向かってそんな事は言えるわけないでしょう。


「ふふ、休憩にはちょうどいいクイズよ」

「わーい!! ママ早くねぇ、早く〜」

「はいはい。今行くわよー」


 小走りで愛娘を追いかける。愛娘に手を引かれ急かされるように歩く。


 遊園地は夢の形をしていた。


 いくつもの子どもの夢の集まる場所。子供の夢は、家族の幸せ。だから、遊園地の形は幸せの形。


「……美穂? どうしたの?」


私の手を引いていた美穂が突然立ち止まる。


「あの人......変」

「え? あ......」


 美穂の指の先にはベンチにうずくまる男性がいた。


 その人は俯いたまま、頭を抱えていた。

 その口からは尋常じゃない唾液が溢れていて、ベンチの下に水溜りを作るほどの量だった。


(なにあれ、気持ち悪い......)


 それが真っ先に思った事。

 そして、美穂の手を引いてここを離れようと思ったのだけど、美穂の体が動かない。


「美穂? どうしたの!?」

「だって、あのおじちゃん、苦しそうだよ」

「あ......」


 言われて、初めて気づいた。

 そうだ。気分の悪い人を見つけたんだから、まずは係員さんに報告するべきだ。


「そうね。じゃあ係の人を連れてくるから美穂はここにいてね」

「うんっ!!」

「よしっ! 良い子ね」


 本当、なんて良い子なのだろう。

 今も、気分の悪いおじさんに自分から話しかけている。


「おじちゃん、大丈夫?」

「うぅうううぅ......」


 私に似ているなんて随分な間違いだった。

 この子は私よりずっと良い子だ。


「うぅぐぅグググググゥ」


 今日はなんて誇らしいのだろう。

 亭主が欲しいのはゴルフセットだろうか、それくらいおおめに見ても良いかもしれない。


「おじちゃん? え?」



【バクン】



「美穂......?」


 突然のことだった。

 なにより、予想もしないことだった。


 誰かが言っていた。

 人は、全く予期しない事を視界に入れることが出来ないらしい。だから、係員さんを連れた私の視界からは突然、美穂が消えた様に見えた。


「あ......あれ? 美穂? どこに行ったの?」

「う......うぁー!! なんだ!! なんだあれ!!」


 隣の係員がうるさいよ。


 なんだって言うの。


 私は美穂を探さないといけないのに。


 えっと、さっきまで美穂はここにいたよね。


 体調の悪いおじさんの手前で私を振り向いていた。


 ……それで?

 突然係員が叫んだのね?


 ……なにを?

 あぁ、そっか。


 ……おじさんが化け物だったからね。


 そりぁ叫ぶよね。

 体は人なのに、あの顔はまるでオオカミみたい。あぁ、ここのマスコットもツリ目のオオカミだっけ? じゃあそのリアル版ってところかしら? うぅん、あまり可愛くないわね。目つきが悪いし、口元が赤いのが良くないわ……。


 あら……なんで赤いのかしら?


 あら?よく見ると地面も真っ赤、まるで血溜まりのような。


 血溜まり……誰の?

 ......あぁ、なんだ。そうだったの。

 この赤が、美穂だったのか。

 通りで見つからないはずだ。


「幸せ....,.どこにいっちゃったの?」


……


夕方、緊急速報が流れた。


「速報です。T市の遊園地で殺人事件が発生しました。容疑者の男は顔が狼のように変形し、意思の疎通も困難との事。以前発見されたコウモリの羽を生やした少女との類似性が疑われております」


 それは、コウモリの羽を生やした少女、月影真央を筆頭とする『魔物化』に対する不信を煽る種火にして始まりの悲劇。


 感染の疑惑、類似の事件、殺傷事件の発生そして、近隣で揶揄される魔王という名。


 ただの噂や陰口のはずだったそれらは、時とともに着実に広まり、いつしか、月影真央は『魔王』であり、『魔物化』は有害で、人に感染する危険な現象であるという認識が定着、国がそれに追従するまでにそう時間はかからなかった。

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