第1話 初対面のような再会

目を覚ました、というよりかは、気がつけば目が開いていたと言った方が適切だった。だから自分がいつ起きたのかさえ上手く把握ができない。


視界に映るのはボヤけた白い天井と、あと一つ───、


「うおぉぉ!?」


それと、見知らぬ女の子の顔面だった。


「あっ、目が覚めた?」


「だだだ、誰?誰なんだよ!?」


「えー、凄い!本当に記憶喪失なんだぁ!?」


はしゃぐ彼女は満面の笑みを浮かべると、そのまま俺の片手を両手で強く握りしめ引っ張った。……容赦ねぇ。


その力には逆らえず、俺は無理やりに起き上げさせられる。そうして対面した彼女は、やはり爽快な笑みで続けた。


「ほら!よく顔見て?……それでもダメ?」


無理やりに顔を凝視させられ、よく観察した。───淡い茶髪はセミロングに流れ、よく見れば片方にはアライグマ?のような髪留めが施されている。瞳は丸くつぶらだった。


「思い出せってことか?わかんねぇよ……。こっちは記憶が無いんだ。てか、ここどこだよ」


「あはは!おもしろーい!17でそういうこと言うの!超ウケる!」


そう言って手まで叩き出す彼女は、愉快痛快といった感じだ。……う、うぜぇ。


というか、ここが俺の家なのか……。そんなことさえも思い出せない自分にはやはり腹が立つが、立たせても仕方がない。まず片付けるべき問題は───、


「ここが俺の家だってのは置いといて……お前は誰なんだよ。母さんか?」


冗談交じりに呟くが、相手はこれには笑わなかったようだ。


「は?初老って言いたいワケ?無くしたいのは記憶だけじゃなくて命もなの?マジ引くんですけど」


「悪かったって。で?誰なんだよ」


謝ると、そこで彼女はようやく名前を名乗ってくれた。


凜音りんね。あなたの妹さんですよー。まったく……生きててこんな自己紹介をさせられるとは思わなかった」


「りんね……?くそ、やっぱ思い出せねぇな」


「ちなみにだけど、お兄ちゃんは自分の名前は覚えてんの?」


「あ、ああいや……。さっき学生証を見るまでは思い出せなかった」


───芳野夏樹。それが俺の名前だったはずだ。なら、目の前の女……妹は、芳野凜音か。苗字も下の名前も耳で聞いても、やはりピンとこない。それは正真正銘の記憶喪失なのだと、痛い現実を突きつけられた気分だった。


「はぁ……幻滅ですよあたしは。今までバカやり合ってきたお兄ちゃんがここまで衰退するとはね。幻滅幻滅」


「勝手に幻滅されても困る……。こっちだってパニクってるんだ」


それと、気になることはもう一つあった。


「というか、俺さっきまで学校に居たんじゃないのか?なんで家に居るんだよ」


「あ、それは覚えてんだ。だってお兄ちゃん、んでしょ?だから学校から連絡がきて、こうしてあたしが自転車で家まで運んできたってわけ」


「───!たお、れた……?」


そこであの、例の頭痛がやってくる。先ほどよりはまだ痛みは無いが、針で頭蓋骨を刺されたかのような感覚だ。チクリ、と嫌な効果音まで聴こえてきそうだった。


「そうか。俺、倒れて……それで、それ、で……う、」


「ちょっとー、勝手に塞ぎ込まないでよ。ダルいし」


「……だ、ダルいって。お前なぁ……」


頭をさすりながら妹の暴言に呆れるが、それでもまだわからなかった。


「てかなんで妹のお前が自転車で迎えに来るんだよ。お前学校は?あるんじゃないのか?」


「今日は建立記念日でお休みなんでーす」


「だとしてもだ。普通、こういうのは親が迎えに来るんじゃないのかよ……」


「───」


そこで妹は黙り込み、一瞬だけ俯いた。その様子に疑問符を浮かべていたが、やがて口を開いた彼女は、あの調子で言葉を紡ぐ。


「お母さんは昔に病気で死んでる。お父さんは海外出張で居ない。……そんなことも忘れてんの?呆れるんだけど」


「……あ、悪い。それは───」


それに対しては言い返せなかった。……母親は病死してるのか?いや、そんなことよりも、俺はそれさえも忘れていた───?


今度は自分が自分に、呆れていた。凜音よりも、誰よりも。俺自身が。俺は記憶喪失の件で自分のことで精一杯だったが、そんな俺を取り巻く家庭環境もかなり複雑なものだったとは───まったく知らなかった。


「まあいいや。それよりもお兄ちゃん、昨日の夜から居なかったんだよ?もしかしてだけど、一晩ずーっと森の中で寝転がってたわけ?」


「……昨日の夜から、俺は居なかったのか。じゃあ、そういうことになるな───」


「事務員さんから聞いたけど、森ってどういうことなんだか。なんでそんな所に行ったのかも、どうせ覚えてないんだろうけど」


「悪かったな……。生憎様、なんも覚えてねーよ……」


話をまとめよう。


まず、俺はどうやら昨日の夜から家には帰らず行方不明だったらしい。つまり昨日の放課後、学校を終えたであろう俺はなぜか近所の山に向かい、なぜかそこで気を失い、なぜか寝転がってなぜか記憶を失って目覚めた……。


なぜか、を乱用しなければ成り立たない話だったが、兎にも角にもそういう流れだったわけだ。致命傷なのは、家族や学校のこともよく覚えていないというハンデ……。まったく理不尽な話だが、嘆いたところで仕方がない。


「とりあえず、今日は一日中安静にしてなよ。外には出ちゃダメだからね?学校はお休みにしておいたから、そこは安心していいよ」


「……あ、ああ。なんか、色々と悪い。助かるよ」


「ほんとだよ。ダメ兄貴、愚図」


「直球だな……」


「じゃあ、何かあったら呼んで。私は自分の部屋に居るから」


───それだけを残すと、バタンとドアを閉めて凜音は部屋に俺を残す。できる妹だ、と素直に思う。対する俺は何から何までダメダメな兄貴だな、とも。


「……はぁ」


まだチリチリと痛む頭を抑え、俺は静かに横になった。安静に、ね……。しといて損はないが、利益もなさそうだ。


早く記憶を取り戻したい。その一心しか、今の俺の頭にはなかった。


「くっそ……ほんとに……なんなんだよ、」


眠気に愚痴を混じらせ、気づけば俺の瞼は重くのしかかっていた。……そうして今度は、ゆったりとした空間の中で眠ることができたのだった。


───次に目が覚めたときには、すべてが夢であってほしいと願うばかりである。

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