第13話 閲兵式──竜王親政式⑤


 アリスティアは戸惑い、ルーカスを見上げてくる。

 ルーカスは苦笑すると、アリスティアを抱き上げた。


「ティアは人心掌握に長けているな」

「人心掌握などしたつもりはございませんわ。わたくしが思った事を言葉にしただけですもの」

「その言葉が、民たちの心を掴む。ティアが、民の心に寄り添っているからだな。ワレはそれが嬉しく誇らしい」


 兵たちの姿を見せつつ、アリスティアに語りかけるルーカスは、心の底から嬉しさを感じていた。

 アリスティアはルーカスを見て小首を傾げていた。

 何か引っ掛かる事でもあったのだろうか、とルーカスは内心訝しむ。

 だが、自己解決でもしたのか、アリスティアはルーカスから首を兵士の方へ向けてしまった。


 玄武砦の視察も兼ねての今回の親政飛行だったが、には何の問題もなかった。

 そもそもこの先のは、何処にも接していない。竜王ルーカスは前世の竜王ジークベルトの時にこの竜の国ドラグノア竜帝国を“狭間の異界”に閉じ込めた。はその“狭間の異界”と現世の堺であり、また他の異世界との堺でもある。竜帝国の住人、獣人や竜人以外の人間は簡単に入ってくる事のできない複雑な時空位相結界となっている。

 ただ、ジークベルトの頃から時折この結界に別の異世界へと通じる穴が空くらしく、そこから魔獣や魔物が流入してきていた。

 を守る兵士は、その魔物や魔獣対策として詰めているのだ。

 今のところ問題がないのだから、そろそろ帰還してもいい時間である。


「近衛師団は帰還の用意。竜化準備」


 ルーカスの指示に、近衛師団の騎士たちは竜化しても互いがぶつからない間隔で広がる。


ワレはティアと一緒に少しばかり空の散歩を楽しんでから戻る。お前たちは先に宮殿へ戻っておけ」


 その言葉に、イーゼンブルク師団長が即座に返答する。


「なりません、陛下。御身は至宝で」

ワレがそこら辺の魔物に負けるとでも? 確かに我はまだ幼竜だが、ティアがいればその可能性は限りなくゼロだ。ティアは広範囲隕石落としステラリット・メテオリテを三十発撃てるからな」


 途中で遮った竜王の言葉に、全員が息を飲む。

 魔力の多い竜族と言えども、広範囲隕石落としステラリット・メテオリテ三十発を連発することは無理である。

 竜王の半身は、人間にしては規格外のようだと改めてアリスティアに尊敬が集まったのだった。

 だが、人間の間でもこの年齢でこの実力のアリスティアは規格外という言葉では表せないほどぶっ飛んでいたのだが、それは種族の違いのせいで理解され辛いものだった。

 竜王は、結局アリスティアとともに空の散歩を楽しむ事になった。

 アリスティアを地面に降ろす。

 竜化したルーカスが上空に上がり、アリスティアを呼び、彼女が飛翔術フライト・マギア黒竜ルーカスの元へ近づき、その首に跨がる。

 兵士たちがアリスティアを驚愕の目で見つめていた。

 砦の兵士の構成員は、飛べない獣人が殆どになる。伝令役や偵察に鳥人も混じるが絶対数は少ない。

 だから空を翔べる竜族は憧れや尊敬の対象になるのだが、その空を翔ぶという憧れの行動を半身アリスティアが苦もなくやって見せた事で、彼女の評価は瀑上がりした。

 しかしアリスティアはきっと、そんな事には気が付かないだろう、とルーカスは首に座る己の半身を想いつつ、首都であるアエテルナに向かった。


「皆様、それではまたいつかお会いしましょう」


 拡声魔術でそう伝える半身に、ルーカスは苦笑した。


「ティアは息をするように人心掌握をするから困る」

「それだとまるでわたくしが悪女みたいに聞こえますわ」

「姿からすれば、悪女というよりも小悪魔と言った方がいいがな」

「小悪魔なんて。わたくしにはそんな、殿方を手玉に取るような事は無理ですわ」

「……ティアがそう思っているなら、それでいいが」


 己の愛らしさに無頓着な半身アリスティアに、ルーカスは苦笑するしかなかった。

 だが、アリスティアは憮然としつつ黒竜ルーカスの首に抱きついてきた。

 そういう事をするから小悪魔なのだと、内心ため息を吐いたが、先ほどとは違って周囲には誰もいないから、珍しく甘えてくる半身アリスティアをそのまま受け入れた。


「ルーカス様は少しだけ意地悪ですわ」


 半身アリスティアがぽそっと小声で呟いたのが聞こえた。


「ティアに意地悪をした覚えはないぞ?」

「だって、わたくしにはわからない事を言うんですもの」

「わからない事?」

「小悪魔、ですわ」

「わからなければ、それでいい。ティアが気にする必要はないぞ? 要するに、受け取る側の問題だからな」


 ルーカスはくつくつと笑う。

 アリスティアも笑った。


「空を飛ぶのは楽しいですわ。わたくしなら自力でも飛べますけど、ルーカス様に乗せてもらうなんて、二人で飛んでるみたいで楽しいです」


 その言葉に、ルーカスが息を飲むが、アリスティアは気が付かない。


「ティアには敵わぬな」


 苦笑とともに言葉が返ってくる。


「ゆっくり飛ぶのも楽しいが、曲芸飛行も楽しいぞ。しっかり掴まっていろ」


 ルーカスはそう言うと、ぐん、と飛行速度を上げて急上昇し、雲の上の更に上空、成層圏上層部の成層圏界面まで到達し、そこで反転すると今度はキリモミ急降下を仕掛けた。


「きゃああぁぁぁっ!」


 アリスティアは相当驚いたらしく、黒竜ルーカスの首にしがみついてきた。

 成層圏から雲を突き抜け地上スレスレまで下がると、今度はまた急上昇する。しかし、今度は雲海の下ぎりぎりを飛び、そこから旋回し始めた。左側に傾いての旋回で、速度を落とす。

 旋回が終わると、またも成層圏まで上昇するルーカスに、アリスティアは文句を言ってきた。


「ルーカス様、やっぱりルーカス様は意地悪ですわ!」

「意地悪ではないぞ。ご覧、ティア。この星の全景だ」


 アリスティアにルーカスはこの世界の星を、惑星を見せたかった。

 そしてこの惑星ほしの全景を見たアリスティアは──思わずといった体で息を飲んでいた。ルーカスは悪戯が成功した子供の様な顔をしていた。

 ルーカスも一緒に惑星ほしを眺める。

 どこまでも青い海。

 大陸には深い森があり、砂漠も見える。

 雪を被った高い山脈も見える。

 広い草原では何かの動物の群れが走っているのが見えた。

 アリスティアは息を詰めたまま微動だにせずその光景に魅入っている。

 ルーカスが心配になる頃に、アリスティアは大きく息を吸った。


「ルーカス様。わたくし、この世界を守りたいです」


 そう言ったアリスティアは涙を流しており、ルーカスは急いで竜化を解いて彼女を抱き締めた。


「泣くな、ティア」


 なぜ半身アリスティアが涙を流すのか、ルーカスにはわからなかった。


「泣かせたい訳ではなかった。すまぬ」

「いいえ、ルーカス様。わたくし、この世界がきれいで、感動して涙が出てきたのです。こんなにも素晴らしく素敵な景色を見せてくださって、ありがとうございます。世界一、きれいな景色ですわ」


 そう言ったアリスティアは、ルーカスの胸に顔を寄せてきた。その頭をルーカスは優しく撫でた。


(二人きりで、成層圏で、滞空して、この素晴らしい景色を見て。多分、こんな経験をしたのは、この世界では自分たちが初めてではないのかしら? 贅沢な経験だわ)


 アリスティアはルーカスの胸元から頭を離し、もう一度、星の全景を見始めた。

 その景色を目に焼き付けるように。

 それから、ふとルーカスを見あげてきた。

 彼女は今、何を考えているのだろうか、

 ルーカスは読心レクチオ・メンティスを発動したい誘惑に駆られたが、今日は使わないと決めていたのだから、なんとか誘惑に抗った。

 暫くしてアリスティアが泣き止んで落ち着いた頃。


「では帰るか。残念だが」


 そう言って、ルーカスは人型のまま飛び始めた。


「ルーカス様? 竜化しませんの?」

「今日くらい、竜王として気ままに過ごしたいのだ。なかなか人型で飛ぶなどできぬからな」


 嬉しいのだ、と竜王ルーカスは言う。

 半身アリスティアと一緒に過ごせる、二人だけの時間。二人だけの場所。

 ルーカスは、竜王でありフォルスター皇国の皇太子である。

 当然、かしずかれる立場であり、周囲には侍従や側近、護衛騎士などがいてアリスティアと文字通り二人きりになれる訳ではない。

 だからこそ、今、二人しかいないこの場所──成層圏は、ルーカスには息抜きできる場所だった。


「ルーカス様。たまには羽目を外すのもいいですわよ?」


 アリスティアがそう気遣ってくれる。

 それがルーカスには嬉しかった。


「羽目はもう外しているさ」


 そう返事を返し、またアリスティアの頭を撫でた。



 ✧ ✧ ✧ ✧ ✧


 空中散歩を終え、人型のルーカスに抱えられて竜の国の宮殿前広場に戻った。

 ルーカスが人型のままふわりと広場に降りて行くと、まだ空中にいるにも関わらず集まった民衆が沸き立った。その民衆に向けてルーカスと二人で手を振ると、熱狂的な出迎えとなった。

 広場に着地すると、ルーカスはアリスティアも地面に降ろした。

 アリスティアは大股でキビキビと歩いて見せた。それがまた、可愛らしいと後に評判になったが、歩いていたアリスティアに駆け寄る姿があった。

 何事かとアリスティアは警戒したが、駆け寄って来たのは女の子だった。


「アリスティア様。これ、貰ってください!」


 女の子は花束を差し出した。

 アリスティアがそれを素直に受け取ろうとしたら、横から大きな手にヒョイと花束を奪われた。その手の持ち主は言わずもがな、ルーカスだった。


「ティア。簡単に受け取ってはいかん」

「ルーカス様こそ。御身は王ですわ。わたくしよりよほど御身を大事になさいませんと。それに、こんな小さな女の子が差し出す花束に、何が仕込まれると言うのでしょう? わたくしでしたら大丈夫ですわ。魔術無効、状態異常無効、即死無効、物理攻撃無効の結界を張っていますもの」


 アリスティアは、その結界効果の異常さには気がついていない。だから、目の前の小さな少女がアリスティアを驚愕の表情で凝視しているのも、王が目の前に現れたからだと思っていた。


「ティア。サラッと即死無効の効果を追加してるが、それはいつ覚えた?」

「覚えた訳ではありませんわ。魔術書の特級魔術編にも載っていなかったので作りましたの」

「相変わらずのとんでもない才能だな。ところで、状態異常無効は、効果はどんな感じだ?」

「毒無効・催眠無効・暗闇無効・麻痺無効、ですわね」

「ふむ、思ったとおりだ。催眠無効が追加されているな」


 ルーカスが溜息混じりに呻る。アリスティアはなぜルーカスが呆れた様に溜息を吐くのかがわからず、首を傾げた。


「身を守るすべは日々研鑽し、開発しないといけませんもの。後でルーカス様にもわたくしの特製防御結界を張って差し上げますわね」

「ティアのその結界なら、無敵だな」


 ルーカスが楽しそうにくつくつと笑い、アリスティアはその笑顔で嬉しくなった。


「花束、ありがとう」


 アリスティアは、女の子に声をかけた。

 女の子は、みるみるうちに上気して薄っすらと赤くなった頬を両手で押さえ、悶え始めた。

 それを横目で見つつ、ルーカスとアリスティアは宮殿の方へとまた歩き出す。


「ところでティア。さっきの娘だがな。あれはティアより年上だぞ?」

「……え⁉ 年上なんですの⁉」

「獣人だからな」


 どこか楽しそうに言うルーカスに、ティアは理不尽な怒りを感じた。


「ルーカス様は、やっぱり意地悪ですわ!」


 人前なのに、ビシッと指をさして宣言するアリスティアに、ルーカスは、


「人を指さしてはいけない、と教わらなかったか? お仕置きだ」


 と言いつつ、ヒョイと抱き上げて来た。


「ルーカス様! これはお仕置きにはなりませんわ! ただの甘やかしですわよ! せっかく歩いていたんですから降ろしてくださいませ! まだ歩き足りないですわ!」

「歩きたいティアには、抱っこは充分お仕置きだろう? だから降ろさない」

「ルーカス様の意地悪!」


 ルーカスとアリスティアの会話は衆人環視の中で行われていた為に、人々に微笑ましく見守られていた。

 楽しそうに笑う竜王は転生前の前世からすると珍しく、彼の前世を知る古参の竜人たちにとっては半身を再び得た竜王は幸せそうに見えた。













 


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