第16話 ストレス発散②
「殿下のいじわる!」
皇太子から色気攻撃を受けたアリスティアは、顔が熱くて仕方なかった。恐らく真っ赤になっている事だろう。
「ティアが可愛いのが悪い」
「ひっ!」
アリスティアが息を飲んでぷるぷる震えているのに、皇太子はその様子を見て意地悪そうな笑顔になった。
(これ、絶対にSだわ! 意地悪して愉しむつもりなんでしょうね!)
アリスティアは何だか悔しかった。皇太子をキッと睨みつけるが、効いた様子もない。
「殿下? 物理的に潰しますよ?」
「父上に言いつけますよ?」
そんなアリスティアを、
「殿下、アリスティア様が可愛いのは重々承知致しますが、余りおイタをなさるとアリスティア様に本格的に嫌われますわよ?」
更にはティア専属護衛のダリアまで、黒いナニカを背後から吹き出している──さすがに威圧はないみたいだが。
「アリスティア様、今殿下を追い出しますからね? その後、寝間着に着替えてお休みなさいませ。アリスティア様がお眠りになるまで、私がそばにおりますわ」
「ダリア姉様、ありがとう」
「お前たち……いや、今のは私が悪かったな。ティア、済まなかった。今夜はゆるりと休め」
何だか皇太子が悄然と項垂れ、アリスティアをソファに下ろして一瞬躊躇ったあと額にそっと口づけてすぐに離れていった。
その瞬間、アリスティアは声にならない悲鳴を上げ、皇太子の唇が当たったところを小さな両手で抑えた。顔が熱かったのが治まってきていたのだが、それでまた熱くなる。
(な、何故おでこに口付けるの⁉)
混乱してあわあわと言葉にならない声を出しているアリスティアを一瞥し、寂しそうな微笑を残して皇太子はアリスティアの部屋から出て行った。
✧ ✧ ✧ ✧ ✧
翌朝、朝食を摂ったあと、アリスティアは砦の外に山積みになっていた魔石を、
山のような、と言うか文字通り山になっていた魔石は、彼女が小さな手を左から右に振ったら一瞬で無くなった。ざわ、と警備していた兵士たちがどよめく。
「お嬢ちゃん、凄いねぇ」
中の一人が、感心したように言う。
「こんなちまっこいのに、凄腕の魔術師サマなんだな」
「可愛いねぇ」
声は次々とかけられる。やはりというか、最終的には子供だからと手が伸びて来た。だが、撫でようとした兵士の腕が、パシン、と払われた。
「ティアに触るな」
アリスティアの頭上から聞こえたのは、不機嫌丸出しの皇太子の声で。
「アリスに触っていいのは僕たちだけなんだよ」
「アリス、専属護衛のダリアを置いて出るのは感心しないよ?」
次いで聞こえたのは、兄二人の声で。
すぐに抱き上げられて、皇太子の顔が目の前に来たら、兵士たちに氷のような冷たい視線が向けられていた。
「殿下、皇太子殿下! そんなお顔はダメですわ!」
アリスティアは焦って皇太子の顔を両手で挟んだ。パチン、といい音がした。
アリスティアを抱き上げたのが皇太子だと知ると、兵士たちが慌てて跪く。
「ティア、痛いぞ。お前たちは下がって良い」
アリスティアに文句を言いつつ、皇太子は兵士をこの場から追い払った。兵士たちは硬い表情で了承の意を伝えると、慌てて立ち去った。
「殿下、つい手に力が入ってしまいましたわ。ごめんなさいませ」
「アリス? 護衛をなぜ置いてきたの?」
横からクリストファーが極上の笑顔で問いかける。アリスティアは焦る。この笑顔は怒っている時に出るものだから。
「魔石が気になりましたの。それに、すぐに戻るつもりでしたのよ?」
「アリスが部屋から消えた、とダリアが教えてくれてね。探し始めたら、風の精霊たちが、アリスは砦前にいると教えてくれたから急いで向かって来たんだよ?」
エルナードも極上の笑顔だ。顔が引き攣りそうになる。
「ティア。兵士を大事にしろと言うなら、そなたがこの様な行動をしなければいいとは思わないのかね?」
皇太子から視線を向けられると、なぜかいたたまれない気になる。
「殿下は幼子に何を求めますの⁉」
「ティア、そなたは聡明だ。私の言う事も理解しておろう?」
「理解したくはありません」
拗ねた様に言うも、皇太子の目はアリスティアを捉えて離さない。
「理解している筈だ」
皇太子は尚もアリスティアを射竦めるように見つめる。
アリスティアはその目を受けつつ、逸らすと負けなような気がしてただ真っ直ぐに皇太子の目を見ていた。
「──まあ良い」
やがて皇太子の表情が硬いものから柔らかなものへと変化した。
「ティア。この後、バルドの森の中へ、馬に乗って確認に行く事になっている。そなたは私の乗る馬へ乗せる」
「え? 馬で行くんですの? 非効率的ですわ」
「何を言っている? 他にやり方はあるまい?」
「えーとですね。少しお待ちくださいませ。うーん……イメージとしては……鳥で……いや、竜の方が……でも人数が……」
ぶつぶつと呟くアリスティアを黙って見ている皇太子。
「イメージが固まりましたわ! こんな風にした方がいいと思いますの。
アリスティアが唱えると、皇太子の体が浮かび上がった。
「え? アリスがやったの⁉」
「僕たちまで飛んでる⁉」
後ろから双子たちの声が聞こえて皇太子が振り返ると、双子は彼と同様に浮かんでいた。
「──驚いたな。この魔術はオリジナルか?」
「そうですわ、殿下。竜の飛翔をイメージしましたの」
アリスティアの得意げにまだぺたんこの小さな胸を張る。
「よくもそんなにイメージが浮かぶものだ」
「想像力を働かせるって、楽しいですわよ?」
普通、想像力とは経験からくるもので、わずか五歳の子供がその経験を持てる筈がないのだが、アリスティアはそんな『普通』を毎回蹴飛ばしていた。
「飛翔と言うが、浮かんでいるだけではないか? どうやって翔ぶのだ?」
「行きたい方向を考えるだけですわ」
「こうか?」
皇太子がそう言うと、砦に向かって移動し始めた。
(成功ね!)
アリスティアは内心満足感でいっぱいだった。やはり魔術を使えるなら空を飛んでみたいと思っていたのが、割と簡単にその願いが叶ったからだ。
尤も、現状はアリスティア自身で飛んでいる訳ではないのだが。いずれ単独で飛べるのはわかりきっていたので文句は言わない。
「上手ですわ、殿下! わたくしを落とさないでくださいませ!」
楽しそうに声を弾ませるアリスティアは、皇太子の腕の中で砦を見ていた。
✧ ✧ ✧ ✧ ✧
ふわりと甘くていい匂いが皇太子の鼻を擽る。知らず、アリスティアの頭に鼻を寄せる。
匂いが強くなる。
ドクン、と心臓が音を立て、はっとする。
なぜか、まずい、と思った。
このままでは────。
意識を改めて砦に向けると、先程より移動が早くなった。
砦の壁を越えると中庭が見えた。そこに意識を向けると、体が下降し、ふわりと着地した。
なんだかそれが懐かしい気がした。
「殿下は飲み込みが早いですわ」
アリスティアがきらきらした瞳で見上げている。
ああ、私は────。
またアリスティアの頭に顔を寄せると先程と同じ様に甘くていい匂いがした。
中庭に降り立つと、後を追ってきたらしい側近二人が墜落してきた。二人ともドサリと倒れ、痛そうにしている。
これしきの事で不甲斐ない、と考え──その考えにルーカスは愕然とする。
〝これしきの事〟とは何の事か?
何かを忘れているようで気持ちが悪い。
知らず、アリスティアを抱き締める腕に力が籠もり、幼女の頭に鼻を埋める。
いい匂いで安心できる。
それに、なんだか、背中が、熱い──。
「殿下、痛いですわ」
アリスティアに言われてハッとした。
腕から力を抜く。頭から顔を離す。それだけの事なのに、意思を強くしなければならなかった。
(さっきから自分はおかしい。何を忘れている?)
────匂い。
そういえばアリスティアも、自分に対していい匂いがすると言っていたな、と皇太子は思い出した。その事に安堵し、満足する。
当然か。自分は■■で、彼女は■■なのだから。
虫食いの様に穴の空いた思考。しかし、満足感から彼は気が付かなかった。
中庭にダリアと一緒に、ヒューベリオンとオスカーがやって来た。
「皇太子殿下。先程、飛んでくるのが見えました。アリスティア様の魔術ですか?」
ダリアが的確に当ててくる。
「そうだ。ティアが作ったオリジナル魔術だ」
「竜の飛翔をイメージして作ったのですわ! これでバルドの森の中を見て回れますわ!」
「アリスティア様の魔術は、何時もながら素晴らしいですわね」
「ありがとうございます、ダリア姉様」
「そういえば、何人まで掛けられるのだ?」
「殿下と兄様たち二人、ダリア姉様、フェザー様、シュストベルク様くらいなら余裕ですわよ? わたくしの事は、殿下がどうせ抱っこで運ぶでしょうし」
「相変わらずのデタラメぶりだな」
ククク、と笑うと、アリスティアがキョトンと見上げた。
「ん? どうした?」
「殿下、なんだか雰囲気が変わったみたい? ですか?」
「なぜ疑問系なのだ? 私は変わっていないと思うが?」
「うーん? わたくしもよくわかりませんわ? なんとなく変わったかな? 程度ですし。殿下が変わっていないと仰るのなら変わっていないのでしょうけど……」
それでも不思議そうに見つめてくるアリスティアを見てると、また奇妙な感覚に襲われる。
──やっとだ。
──早く手に入れろ。
──まだだ。
──苦しい。
──焦るな。
──宝石。
──情動。
──愛しい。
──私は!
(私は? なんだ? 何を忘れている?)
「殿下、六人とわたくしだけでいいですわよね?」
アリスティアの声で現実に引き戻される。
「あ、ああ。いいだろう」
「殿下! 人数が少な過ぎませんか⁉」
エルナードが非難を込めた意見を述べる。
「飛んで行くからな。地上を徘徊している魔物は手出しができまい。飛んでいる魔物ならば、ティアが撃ち落とすだろうし心配せずとも良かろう?」
「アリスを信用しない訳、ないじゃないですか! ああ、もう!」
彼はホッとする。誤魔化せた、と思って。
皇太子が気を緩めた途端に、甘くていい匂いが鼻を擽った。
その匂いを辿り、アリスティアの頭に行き着く。
「アリスにすり寄るな変態!」
「昨日からおかしいぞ変態!」
双子の側近が、途端に罵倒を浴びせてくる。
「そんなものではない。私は、私の、はんし──」
何かが身のうちで膨れ上がる。
目が、おかしい。頭の奥が、痺れる。
「殿下、目が……瞳孔が、縦に」
アリスティアが見ていたようだが、今はそれどころではない。
『─
目を瞑り、息を整える。身の内で暴れる何かを抑えて、〝封印〟を施す。
目を明けたら、アリスティアが心配そうにルーカスを見つめていた。
「ティア。どうした?」
「殿下。苦しいところはございませんか?」
彼女の心配そうな声に怪訝な気持ちが沸き起こる。
自分は何か彼女に心配をかけてしまう様な事をしたのだろうかと少しばかり不安が募るが、ルーカスに心当たりはない。
「? 何もないが?」
「それなら良いのですが」
なおも心配そうなアリスティアだったが、何もない、と答えると渋々納得した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます