第15話 魔物も敵も壊滅は一瞬
アリスティアは震えていた。
話が通じない変態ほど怖いものはないと知ったからだ。
怖すぎて涙が溢れる。
皇太子にギュッとしがみつき、その首すじに顔を埋める。
アリスティアのその行動で、皇太子が彼女を抱きしめる力を強めた。
いい匂いがアリスティアの鼻を擽り、その匂いを嗅ぎ続けていたら次第に落ち着いて来た。
ぽんぽんと、皇太子がアリスティアの背中をあやす様に優しく叩く。
ヒューベリオンは兄二人によってアリスティアから物理的距離を空けられていた。
「貴様にもわかるように説明するがな。ティアは私の妃候補筆頭だ。他の追随を許さぬほどだから、唯一と言ってもいい。これは陛下も皇妃殿下も、宰相のバークランド公爵もバークランド公爵夫人も承知している事だ」
「しかし、まだ婚約者ではないでしょう?」
「貴様が婚約を望んでも、バークランド公爵は、宰相は婚約を絶対に許さない。私ですらあと五年は待つように言われているのだからな」
「ならば、私にもチャンスはある筈です」
「ここまでティアを怯えさせておいて、そのチャンスがあると思うのならば、おめでたい頭だとしか言えぬな。ティア。そなたを妻にと望むこいつをどう思う?」
「わたくし、話の通じない変態は絶対に嫌です! 話の通じる変態のルーカス殿下の方がいい」
「ティア。息をするように私を貶めるのはやめてくれ。流石に傷つく。だがこれでわかっただろう? ティアは貴様を否定した。私は受け入れられている」
「命の恩人だからですわ。でも、殿下に抱っこされるのは嫌ではありませんわね」
「ティアがデレた!」
「殿下、今は大事な場面ですわよ?」
「あ、ああ、そうだったな。フェザー卿、貴様は初手から間違えた。ティアを妻にと望むなら、性急な申込みは間違いなのだよ。だが私も鬼ではない。貴様にチャンスを与えてやる。ティアの怯えを取り除き、尚かつティアが貴様の申し入れを受け入れたなら。それなら貴様を婚約者候補として認めてやろう」
「殿下! アリスが可愛くないのですか⁉」
「アリスが嫌がるなら潰したほうがいい」
「エルナード、クリストファー。私とてそうしたいのは山々だがな。辺境伯家を敵に回す訳にはいかん。フェザー辺境伯の後継者はこのヒューベリオンなのだからな」
「は? しかしヒューベリオン・フェザーは次男だと」
「嫡男は昨年、廃嫡され、後継者はヒューベリオン・キース・セル・フェザーだとの上申書が提出されている。辺境伯が持つ戦力を敵に回すと内乱になりかねん。だからこそ、チャンスを与えておかなければいけないのだ。腹は立つがな」
「……私、エルナード・フォルト・セル・バークランドは皇太子殿下に忠誠を捧げた身。殿下の判断に従いましょう」
「同じくクリストファー・ティノ・セル・バークランドも、殿下に忠誠を捧げた以上、殿下の判断に従いましょう」
跪く双子を見やり、皇太子が鷹揚に頷く。
場には沈黙が訪れた。
だがその沈黙は長くはなかった。扉が叩かれ、誰かがここに来た事が示されたからだ。
「入れ」
砦に詰めている騎士団の最高責任者であるヒューベリオンが入室を許可すると、一人の男が入って来た。
「皇太子殿下。オレの副官のオスカーです」
「皇太子殿下。このような場での拝謁を賜り恐悦至極。紹介に預かりました、オスカー・ディゼル・セル・シュストベルクです」
騎士の礼を捧げるオスカーに、許可を出す。
「この子供は私の〝お気に入り〟で、バークランド公爵令嬢だ。そっちの、フェザー卿を拘束しているのが私の側近の二人だ」
「初めてお目にかかります、アリスティア・クラリス・セラ・バークランドですわ」
「エルナード・フォルト・セル・バークランドだ」
「同じく、クリストファー・ティノ・セル・バークランドだ。アリスティアの兄でもある」
「私はダリア・スレイシア・セラ・レシオです。近衛騎士で、アリスティア様の専属護衛です」
全員が挨拶を交わしたあと、オスカーは疑問を口にした。
「で、ヒューベリオン。何をやらかして拘束されている?」
「面目ない。気が急いてしまい、アリスティア嬢に手順を踏まずに求婚した」
「はあ⁉ お前、馬鹿だろう! 殿下のお気に入りで、側近の妹なのに、何やっちゃってくれてんの⁉ というか、アリスティア嬢はまだ五歳だろう⁉ お前がよもや幼女趣味だったとはな!」
「幼女趣味ではない。アリスティア嬢だから興味を惹かれた」
「同じ事だろうが! 何歳差だよ! お前、今十九歳なんだから、十四歳の差があるんだぞ⁉ 大人同士なら問題ないが、大人と子供とか、親同士で決めた婚約でもなければ問題ありまくりだぞ!」
オスカーの常識的な意見に、アリスティアは感動した。
「常識的な人がいましたわ! 変態だらけで絶望しそうでしたから、シュストベルク様は希望の光ですわ!」
皇太子の腕から逃れ、オスカーの方に来たそうにしているアリスティアを見て、彼の頭の中に警鐘が鳴り響いた。
しかし流石皇太子である。がっちりホールドして離さなかった。
「まあそれはおいといて。ヒューベリオン、客室の用意が出来た。あと、魔石だが、一万二四〇三個あったそうだ。いつの間に集めた?」
「ああ。先程、アリスティア嬢が魔術で魔物を殲滅してくださったあと、やはり魔術で集めた分だな。アリスティア嬢、数に相違ございませんか?」
「は? 一万二四〇三匹もの魔物を殲滅した⁉ 短時間でか⁉ 魔術の大規模発動は感じなかったぞ⁉」
「シュストベルク様、わたくしが
「フェザー卿、魔石はアリスティアのものでいいな?」
「御意。もとより、我ら辺境伯軍は何もしておりませんので、獲得した魔石はアリスティア嬢のものです」
ヒューベリオンが答えるが、オスカーは目を丸くして驚いていた。
「は? 軍は何もしていない⁉」
「軍の方々に怪我をされたら国境の守りが手薄になってしまいますでしょう? そうなると、隣国のハルクト王国が嬉々として攻め入って来ますわ。我が国を狙っていますもの。特にここのフェザー辺境伯軍の強さは群を抜いており、隣国ハルクト王国にも轟いているそうですわ。ですからこそ、ここの守りが手薄になる事態を避ける為にも、スタンピードを悠長に待っての対処は悪手でしたから即時殲滅をと考えましたの」
オスカーは目の前の幼女の口から出てくる言葉の数々にただ呆然として聞き入っていた。
「多分、ハルクト王国はスタンピードに乗じて攻め入って来る計画を立てていたみたいですわ。スタンピードは、優秀な魔術師であれば簡単に起こせますもの」
「ちょっと待て、ティア。スタンピードを人間が起こせるのか?」
「起こせますわ、殿下。優秀な、例えば我が国の宮廷魔術師筆頭くらいの腕があれば、簡単ですわよ? 一人では無理でも、数人掛かりならば、魔術師団程度の才能でも可能ですわ」
「筆頭魔術師が必要な魔術を簡単とか言うな! しかも魔術師団の魔術師たちをその程度とか、ティアは相変わらず辛辣だな。して、ハルクト王国がスタンピードに乗じて攻め入って来るというのは本当か?」
「はい、殿下。
「本当に容赦ないな、ティアは。しかし三個師団とは。おおよそ三万人か」
楽しそうに報告する幼女に、皇太子が若干呆れ顔で、それでも幼女の頭を撫で続けていた。
「しかしだな、ティア。
「うーん? ここに来て、バルドの森をサーチで探った時に、対象を魔物ではなく人間にすればできるかな? と思って、魔物サーチをちょっといじってみましたの」
「 ま た か ! 」
皇太子が今度こそ本当に呆れた声を出した。
「〝できるかな?〟で、〝ちょっといじって〟でできてしまうのはティアだけなのだからな? 普通の魔術師は術式をいじれないし、想像力も追いつかないものだよ」
「でもできてしまったんですもの。わたくし、役に立ちませんでしたか?」
不安そうに皇太子を見上げるアリスティアを見て、皇太子が慌てた。
「もちろん、充分に役立ったとも! スタンピード直後に戦ともなれば、大勢の兵士とともに、この地の民も苦難を強いられていたのは間違いない。それをティアが広範囲索敵魔術でハルクト王国軍の存在を察知し、
ただなぁ、と皇太子は続ける。
「私がティアに、格好いい姿を見せられないのが残念だ。私だって強いのだぞ?」
「殿下、アリスに殿下の強い姿を見せるという事は、アリスが危険に晒されている状況なんですよ」
「僕らのアリスは、危険の中にあっても蹴散らしそうな予感しかしないですけどね」
「確かにそうだな」
皇太子は少しだけ悄然とした様子を見せた。
「アリス、今夜は危ないからダリアと一緒に部屋にいなさい」
「そうだね。ダリアなら安心して任せられる。部屋に入ったら、結界を張るんだよ」
兄二人の心配そうな声に、しかしアリスティアは皇太子の首すじに顔を埋めながら。
「嫌です、兄様。ルーク兄様なら安心できるから、ルーク兄様と一緒がいい」
と爆弾発言を放った。
「アリスがおかしくなった!」
「僕らのアリスが大人の階段を登ってしまう!」
「あらあら、アリスティア様ったらおませさん」
「クリス兄様! はしたない想像をしないでくださいませ! ルーク兄様の匂いが落ち着くだけですわ!」
「それはそれで心配なんだけど⁉ 何さニオイって! 殿下、香水でもつけてるんですか⁉」
「エルナード。私はそんなに女々しく見えるのか⁉ 香水なんぞつけておらん。もちろん、コロンの類は一切つけてないぞ」
「ならなんでアリスティアが殿下の匂いが落ち着くって言うんですか!」
「兄様も、殿下の首すじの匂いを嗅げばわかりますわよ? いい匂いがしてますもの」
愛らしい妹の言葉に、エルナードは盛大に眉をひそめた。
「お断りだ! 何が悲しくて男の匂いを嗅がなきゃならないんだよ!」
「僕たち、そんな趣味ないからね、アリス⁉」
ヒューベリオンの前で、賑やかに会話は過ぎてゆく。
彼らの絆を見せつけられて、ヒューベリオンは羨んだ。あの間に入るのは容易ではないというのに、第一歩を盛大に間違えた為にマイナスからのスタートになってしまった。だが、いつかはあの中に入り込んでやる、と心の中で決心を固めつつ、今は大人しくしていようと自分を律した。
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