第3話 初邂逅②[side ルーカス]

 魔力回路を辿れるように、ルーカスは僅かに自分の魔力をアリスティアの中に流し込む。頭頂部から浸透させ巡らせていくと、うなじ辺りに一箇所、全くの抵抗のない場所があった。おそらくそこから魔力が噴出しているのだろうが、アリスティアの魔力暴走の規模からするとそこだけでは無い筈だ。とりあえずそのうなじにある魔力回路の『穴』を塞ぐ。その際、暴れている魔力が他の箇所に向かわないように魔力回路に『迂回路バイパス』を作って循環させる。

 幼児の魔力回路だから細い上にまだ定着しておらず、何かあるとすぐに『穴』が開く。『破裂する』、或いは『亀裂が入ってそこから破れる』とも言う。魔力回路は血管を覆うように走る魔術的なもので、物理的に肉体に存在するものではない。

 誕生間もない赤子の魔力回路は微細な網目状に体の外に纏わりついているものだが、一日も経つと体内に浸透し、血管を覆い始める。それが成長とともに定着し、回路も頑丈になるのがおよそ七、八歳頃であり、その頃に魔術師に魔力暴走を起こさせる。魔力暴走の感覚を子供に覚えさせるための謂わば通過儀礼のようなもので、それによって子ども自身に魔力制御の必要性を実感させるのが目的となっていた。

 ただ、魔力が特に多い子供は往々にして七、八歳を待たずに突如として魔力暴走を起こす事がある。魔力が多いからこそ感情の揺らぎを受けて暴走を起こしやすい。そばに魔術師か、魔術師ではなくともしっかりと魔術の勉強をした者がいて、保護者もそばにいれば魔力調整を行う事が可能だが、そんな良い条件の時にタイミング良く魔力暴走が起こる訳でもない。大概は魔術師がいない状況下での暴走となり、魔力回路が酷く傷ついてしまうがゆえに修復に数年間を要してしまう。

 アリスティアの場合は保護者もいて足りない出力を二人の兄が補う事ができ、皇室歴代最高の魔力保有量を誇るルーカスがいた事が幸いした。

 アリスティアの魔力回路を探っていくと、右肩と左側の肩甲骨の下、そして腰、左膝にも抵抗が無い部分があった。その各部分の『穴』を塞ぎ、『迂回路バイパス』を作って魔力を循環させつつ大元の魔力生成をしている部分、心臓の上部にある魔力房での過剰な生成を抑制するためにほんの僅かの時間、魔力房の部分のみをルーカスの魔力で抑え込んで解放した。彼の期待通りアリスティアの魔力生成が落ち着き、それに伴って荒れ狂っていた魔力風もその威力を落とし、すぐに魔力風は消えた。

 しかしその直後、アリスティアは意識を失った。





 アリスティアが意識を失ったのは、魔力暴走による急激な魔力の消費と生成が短時間で行われた結果だった。端的に言って疲労となる。だが、魔力暴走の後には発熱が待っている。幼児の場合、その発熱で更に体力を消耗してしまう。全身に及ぶ筈だった魔力回路の損耗を避けられても、発熱を避ける事は不可能だ。

 アリスティアの体から力が抜けた時、その体を抱えていたのはルーカスだった。だから彼がそのまま彼女の部屋に運ぼうとしたのだが、公爵夫妻と兄である双子に反対され少し揉めた。最終的には“皇族”という身分をかざしてルーカスが運ぶ事を強引に認めさせたのだが、ルーカスにはこの時点では己がアリスティアに執着しかけている自覚はなかった。

 しかし、何事に対しても冷めた態度で冷静でありどんな人間にも今まで全く興味を示さなかった皇太子が、自分の側近候補である双子の妹を見たいと興味を示した事を密かに驚いていた双子と宰相にとって、身分を盾に自分が運ぶと強固に主張する皇太子の姿は今までの彼とは大きく異なって見え、驚愕とともに戸惑いを禁じ得なかった。




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 アリスティアをベッドに寝かせ公爵が執事に医師の手配を命じたあと、意識を失った彼女の世話を母親の公爵夫人と乳母だという公爵夫人よりは若い侍女と、もう一人の侍女に任せてルーカスはバークランド公爵に話しがしたいと伝えた。

 その時点で公爵の額には僅かに縦皺が刻まれていたから、ルーカスがこれから提案しようとしている事をある程度予想していたのかもしれない。

 場所を応接室に変え、ソファに腰掛けて公爵と相対する。何故か双子も一緒にいて驚きかけたが、そういえば双子は妹を溺愛してたなと思いだして納得した。

 ルーカスは公爵を真っ直ぐに見つめ、ゆっくり口を開いた。


「バークランド公には感謝をしている」


 皇太子がいきなり感謝を述べる事態に、公爵も双子も鳩が豆鉄砲を食ったような顔で茫然としていた。


「エルナードもクリストファーも優秀で、私の側近として充分な能力を持っていると認められる。私と同じ十三歳でフォルスター語以外にも二ヶ国語を習得しているのは素晴らしい」


 その後もルーカスはこれでもかというほど双子の側近候補を褒め上げ、更に公爵が子供に施した教育に対しても慧眼だと褒めた。無表情で。


「……殿下、一体何が目的なのでしょう? 普段の殿下のご様子からは考えられないほどのリップサービスですが?」


 とうとう公爵が耐えきれなくなったようで、気味が悪そうに眉を顰めて口を挟んできた。


「せっかちだな。私は先程のアリスティア嬢の礼儀作法も、怯えずに私の目を真っ直ぐに見た事も評価している。女性最敬礼カーテシーに関しては厳しく採点すればまだまだだが、年齢がまだ三歳だという事を考慮に入れれば充分だ。むしろ年齢に見合わぬ聡明さを持ち合わせているだろう」

「……まさか、殿下……」

「アリスティア嬢を、私の婚約者候補としたい」


 皇太子の発言に、公爵も双子もあんぐりと口を開けて驚愕の表情を浮かべた。


「殿下、アリスティアはまだ三歳です! 皇太子殿下の婚約者など!」

「候補、だと言ったはずだが? 私だとてアリスティア嬢が幼すぎる事は理解している。だからこその“候補”だ。皇妃教育を幼い頃から始めれば、充分な時間が取れる。幸い私もまだ十三歳で、今すぐに婚約者を定めなければならないという訳でもない。その猶予を全て皇妃教育に当てれば詰め込む必要もなく余裕を持った教育計画が立てられるだろう? 私と同年代から五歳くらい年下の令嬢だと、皇妃教育の教育計画はかなりの詰め込みになるだろう。それにアリスティア嬢は三歳で魔力暴走を起こすほどの魔力量を保持している。更に、バークランド公爵家は中立派だろう? 家格的にも皇族に嫁ぐに相応しいと思うが?」


 皇太子の言葉は確かに一理あると、公爵にも思わせられたようだ。

 バークランド公爵は、暫くは口元を歪めて不機嫌な様相をしていた。公爵としては、皇子とはいえまだたったの十三歳の子供に言い負かされた様な状況なのだから、一理あるとは思っても不本意なのだろう。

 しかし、公爵は暫くの沈黙のあとに大きく溜息をついた。


「……皇太子殿下、アリスティアはあくまでも、あ、く、ま、で、も! と言うのであれば納得しておきましょう。ですが!」


 公爵が凶悪な目つきでルーカスを睨んだ。尤も、宰相である公爵のこの表情をルーカスは割と見慣れている。何を言うのかと黙ってその先を待った。


「少なくともアリスティアが物事の道理を弁えられる年齢になるまでは、決定的な事はご遠慮いただきたい」


(物事の道理を弁えられる年齢とは、具体的には何歳ごろなのだろう?)


 ルーカスは内心で首を傾げた。

 抽象的過ぎてよくわからない。


(十歳くらいということか? 普段の宰相らしくもない言い方だな)


 普段のバークランド宰相は、朝議の時大臣や各組織の長に鋭い舌鋒で不備を指摘し、時には稚拙な論点のすり替えを糾弾する。そしていつも具体的な事を明確に示し、相手の逃げ道を塞ぐ。やり手で切れ者の宰相は、宮廷の武官文官両者に恐れられている。

 そんな宰相が抽象的な物言いをするなど、ルーカスが父である皇王の政務を分担するようになった三年前から参加し始めた朝議の場では聞いたことがなかった。


(……もしかしたらこれは、愛娘を私に嫁がせたくない父親の心理から、具体的な年齢を出さずに有耶無耶にするつもりなのか?)


 ふと思いついたその考えが、ルーカスには限りなく正解に近いように思う。バカバカしいと切り捨てる事のできない考えに、内心面白くない。

 バークランド公爵も貴族なのだから皇族の婚約の重要性は理解しているはずだ。中立派以外の貴族家の娘を選ぶと、派閥の力関係パワーバランスが崩れる。現在の宮廷内は、皇太子派、第二皇子派、財務派、軍務派、外務派、神殿派、貴族派、中立派と大小様々な派閥が入り混じり、混沌としている。

 現在は現皇妃パトリシアが近隣国であるエスパーニアから嫁して来た事もあり外務派の発言力が若干強いものの、危うい均衡を保っていた。

 それを考えると、中立派に属するバークランド公爵家の令嬢を将来の皇太子妃、延いては皇妃と見定めての婚約者とするのは、国にとっても宮廷の力関係パワーバランス的にも最高と言えた。

 そんな事は、宰相であるバークランド公爵としては百も承知のはずだ。なにせ皇族の皇子皇女の婚約者を選定する会議の筆頭が宰相なのだから。

 そして貴族として臣下として、反対できない事も嫌というほど理解しているはずだ。

 それでも尚こうして抗うのは、貴族として珍しい事だが、幼い娘を大事に思っているからだろうか。

 残念ながらルーカスには、公爵のその辺の心情を理解することは不可能だ。皇族に生まれ、物心ついた頃から将来皇王となる事が当然として教育されてきたルーカスだったが、家族としての関係は薄かった。だから、家族への愛、家族からの愛などルーカスにとっては知識としては持っているが、おとぎ話のようにしか感じられないものだった。


「公はアリスティアを嫁に出したくないのか? 生涯独り身を通させると?」


 だからルーカスは無表情で首を傾げながらそう問うた。


「なぜそんな事になるのですか。皇族に嫁がせる事が不本意なだけですよ。既に私自身が宰相ですし、嫡男は将来の宰相候補。次男三男も皇太子殿下の側近候補です。これ以上皇族に縁づいたら、権力を独り占めすると他家から恨まれかねません。いえ、次男だけならともかく、三男まで殿下の側近候補とされた三年前から既に妬まれてはいますがね……」

「それは済まなかったな。だがエルナードが優秀だったから、双子でもう一人いると知ったら召し抱えたくなるのは仕方がないだろう? この二人の前に側近候補として出仕させていた三人は、思ったより使えなかったからな」


 ルーカスは無表情のままひょいと肩をすくめて飄々と言い切った。


「殿下……ベナール侯爵家とキールストラ伯爵家、ランベール伯爵家でしたか。その三家の次男三男も優秀だったはずですが? 一体何処に不満が?」

「政務の処理能力が私の求める基準に満たなかった」


 ルーカスの言葉を聞いた公爵は、指で自分のこめかみを抑えた。



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