第3話 初邂逅①[side ルーカス]

 その日、バークランド公爵家は常になく慌ただしかった。皇城からの急使が訪れ、家令に渡した書簡を受け取った公爵夫人が目を通した途端、夫であるバークランド宰相に急遽遣いを出して呼び戻す事になった。

 書簡の内容が、皇太子がお忍びでバークランド邸に訪問するという次男エルナードからの先触れで、自分の失言から皇太子が末っ子のアリスティアに興味を持ったというものだったからだ。

 公爵夫人は皇城に遣いを出すとともに、邸内の使用人に命じてバークランド邸の庭園にあるガゼボのベンチにクッションを運ばせ、更にお茶菓子やお茶の用意をして訪問に備えさせた。

 公爵夫人が庭園のガゼボを選んだのは季節が初夏で陽気が良く風も穏やかで外の方がアリスティアも緊張せずに済むと考えたからだった。

 城から呼び戻されたバークランド宰相は急いで先触れの書簡を読み、本日の家庭教師に今日のアリスティアの勉強は中止する旨の遣いを出した。

 その遣いがバークランド邸を出たのと入れ替わりに、地味な馬車が敷地内に入ってきた。馬車の周囲は馬に乗った騎士が複数、警護していた。

 バークランド邸のエントランス前に停まった馬車は、色合いは黒で派手な装飾はなくとも、同じ黒に塗られた木材で目立たないような装飾が施されており、地味ではあるものの近くで見ると最高の品質を誇るものだと気づく事ができる造りをしていた。そして何よりも、馬車の扉に同色で小さく目立たないように施された意匠は、フォルスター皇国の皇家の紋。即ち、吼える獅子の右横顔である。

 お忍び用の馬車の扉を御者が恭しく開くと、中からまずはエルナードが、続いてクリストファーが降りた。二人が馬車の扉口の両脇に立つと、続いて少年が降りる。艷やかな黒色と、その中に水色が一筋交じる不思議な配色の長髪を持ち、切れ長の目には金色の瞳が見える。鼻筋はスッと通り、薄い唇はまっすぐ引き結ばれている。

 その少年の名は、ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスター。

 フォルスター皇国の皇太子であった。

 バークランド公爵と公爵夫人が、続いて使用人一同が一斉に頭を下げた。




      ✧ ✧ ✧ ✧ ✧



「出迎え大儀。一同、頭を上げよ。ん? 宰相は城にいたのではなかったか?」

「皇太子殿下が我が家をご訪問なさるとの連絡を受け、急ぎ戻った次第にございます」


 頭を上げた公爵夫妻の顔を見た皇太子から声をかけられた公爵が、苦い顔で答えた。


「連絡? したのか?」


 傍らに立つ双子の片割れ、エルナードを見遣り、皇太子は簡潔に聞く。


「ええ、しました。何の先触れもなく訪問など、うちの可愛いアリスが準備する時間も与えないおつもりだったのですか? アリスは家庭教師から勉強を教えて貰っていますから、殿下がご訪問なさるのならその勉強を中止して準備に当たる必要があります。幼くてもアリスも女の子です。身支度を整える時間は必要ですよ」


 エルナードの応えは諌めるような内容であったが、皇太子は「言われてみればそうか」と呟いたあと、続いて「連絡大儀であった」と傍らにいる己の側近を労った。


「では皇太子殿下、我が家の庭に案内致しますわ。そちらにお茶の用意をさせておりますの」


 公爵夫人の言葉に皇太子が頷くと、バークランド夫人と公爵が連れ立って皇太子の先導として歩き出した。

 一旦邸内に入り、正面左側にある階段には目もくれず右側に伸びる磨き上げられた廊下を進む。進行方向に向かって右側には窓があり、左側にはところどころ扉があった。

 廊下を進んで奥の角を曲がって更に進み、少しして見えた扉を公爵が開くと、そこには庭が広がっていた。

 凹型に建物が建っていて、その内側が中庭になっていた。中庭は綺麗な花が咲き乱れる花壇があり、その奥にガゼボが見える。

 そのガゼボに案内された皇太子は、クッションを敷かれたベンチに腰をおろした。

 向かい側のベンチには既に、エルナードとクリストファーの妹と思われる彼らと同じ色合いの白銀の髪とすみれ色の瞳を持つ幼女がいたが、傍らに公爵夫人よりは若い侍女と更に若い侍女の二人を伴って立っていた。

 その幼女は顔が緊張で強張っていた。

 しかし、皇太子がベンチに座ったあと、幼女は片足を斜め後ろの内側に引きもう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま頭を俯かせて挨拶をぎこちなく行った。

 

「発言を許す。面を──顔を上げよ」


 ルーカスはまだ幼子相手だからとわかりやすい言葉に言い直した。幼女が顔を上げた。

 貴族は目上の者の許しがないと発言をしてはいけない事になっている。その常識を、このような幼子おさなごが既に身につけている事に皇太子は驚いたのだが、それは顔に出さないように意思の力で抑えた。感情を顔に出すなど、皇族としてあってはならない。

 彼はこの幼女に対し、今まで誰に対しても持ち得なかった強い興味を抱いた。

 このくらいの幼子は皇太子の直視を受けただけで、執事や侍女、護衛の影に隠れて挨拶すらまともに出来ないものだが、この幼女は彼の直視を受けても動じる事なく受け止めた。

 面白くなった皇太子は、魔力を込めた軽い威圧を放った。

 途端に幼女は怯えたのだが、怯えながらも許しを得た事で、幼子は懸命に挨拶して来た。


「こうたいしでんかにおかれましては、このような場でのはいえつをたまわり、きょうえつしごくにぞんじます。また、このような場にごらいほういただきありがとうぞんじます。バークランドこうしゃくがちょうじょ、アリスティア・クラリス・セラ・バークランドでございます。おさなきみゆえ、ごぶれいがありましたらおゆるしくださいませ」


 幼女はやはり、エルナードとクリストファーが自慢した『天使で可愛い妹』のアリスティアだった。

 エルナードからの情報によると、妹のアリスティアは今年の新年の儀を迎えて三歳になったと言う。たった三歳でしかない幼子が、ぎこちないとはいえきちんとカーテシーをしてみせた事に、皇太子は内心舌を巻いていた。

 体幹や筋肉がまだ出来上がっていない幼児だというのに、ぷるぷると震えているとはいえ礼儀作法にしっかり則った女性用の最敬礼であるカーテシーを披露できるとは、どれほど前から礼儀作法を教えこんでいたのだろうか。


「アリスティアと申すか。私は皇太子ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターだ。ゆるりとせよ」


 女性用最敬礼カーテシーを終える許しを得たアリスティアは、目に見えてホッとしていた。やはり幼女の身でカーテシーはきつかったらしい。

 その可愛らしい様子に、ほんの少しだけ皇太子の口元が緩む。

 ただ、彼は幼女の様子を可愛らしいと思っただけではなかった。


(幼子だというのに少しもじる事なく皇太子わたしの視線を受け止め、身分が上の者に対する礼儀もわきまえている。更に、まだまだとはいえたった三歳で既に女性用最敬礼カーテシーをもこなせる。そして身分は公爵令嬢。年齢が十歳離れているとはいえ、そんな年齢差は貴族の政略結婚ではままあるしおかしくもなんともない。皇族の婚約者とするに相応しい。ただ、今すぐは流石に無理ではあるな)


 アリスティアをじっと見つめ、皇族の婚約者として相応しいか頭の中で目の前の幼女の価値を推し量っていた。その結果、『目の前の幼女は将来的に自分の婚約者として相応しい』という結論にたどり着いた。


 ルーカスは皇太子として周囲が目を見張るほど優秀で、何をしても卒なくこなせる才能に恵まれていたし、容姿も周囲の侍従や侍女に言わせればすこぶる美形。宮殿内を歩いていると、騎士団の訓練の様子を見学に来ていたご令嬢たちが頬を染め、うっとりした視線を皇太子に向けながら溜息を吐くのが常であった。

 だからだろうか、ルーカスが十歳になる前から一足早く成人の儀を行った令嬢達の親から、父である皇王に婚約相手としての話が引っ切り無しに来ていた。

 だが、貴族ならば成人段階からの婚約は、家同士の利益を繋ぐ意味でも有り得るが、皇太子妃、いては将来の皇妃となる令嬢は、様々な条件でふるいにかけられ、更には教養にマナーも最高レベルを求められる。国を統べる一族に連なる訳だから、その辺の一般的な貴族教育ではそのレベルには到底足りるはずもない。

 だから、皇王は皇太子の婚約者をまだ決めていなかった。

 成人した令嬢など、皇妃教育が間に合わないからだ。

 たかだか二、三年程度で皇妃教育が完了するなどと思われては困るのだ。

 だが、まだ三歳でしかないバークランド公爵令嬢ならば。この令嬢がまだ幼いからこそ皇妃教育を施す時間的余裕がある。


(アリスティアがまだ幼すぎるゆえに、皇王陛下ちちうえ皇妃殿下ははうえも顔を顰めるだろうが、あと七年もすればアリスティアは十歳になり、婚約を結んでもおかしくない年齢になる。私も今はまだ十三歳でしかなく、婚約者をすぐに探す必要もない。あと七年待つぐらいどうという事はない)


 そんな事を内心考えながらも表情にはおくびにも出さず、何処まで耐えられるだろうかと魔力威圧を強めた。

 最初はホッとしてにこやかだったアリスティアの表情が、魔力威圧を徐々に強めていくと強張り始め、あるレベルを超えたところで恐慌パニックに陥ったらしく、急激にアリスティアの内包魔力が膨れ上がって暴走し始めた。

 魔力風が荒れ狂い、美しい庭園の庭木が引き千切られ、花は根ごと抜けて魔力風に巻き込まれている。

 宰相は咄嗟に結界を張り巡らせ、その後父親から声をかけられた双子の兄弟が補助をし始めた。三人がかりで漸く周囲への被害を抑え込んでいたのだが、この状態だと暴走している魔力を調整する大人が居ない。

 

(普通ならば魔術士がやるべき事なんだが。何故だろうか、私にもできる気がする)


 魔力調整は、精密な魔力操作が必要とされるはずだ。けれども不思議な事に、ルーカスは自分がやれると確信した。

 アリスティアのそばに近寄る。


「宰相、エルナード、クリストファー。しっかり結界を維持して周囲に被害が及ばぬようにしろ」

「殿下、何を」


 身動みじろぎもできず、声も出せない状態で怖ろしさからか静かに涙を流すアリスティアを見つめる。


(魔力暴走中は体から魔力が急激に抜けて行くから、動きたくても動けないんだよな)


 かつて自分の身にも起こった事を思い出すと、まだ幼子の身で魔力暴走を起こしたアリスティアが哀れだった。が、原因は魔力威圧をぶつけたルーカスにある。ならば責任を取る意味でもルーカスが魔力調整をすべきだろう。

 ルーカスはアリスティアの小さな体を抱き上げ、優しく話しかけつつ頭を撫で魔力調整に取り掛かった。


「アリスティア嬢、魔力暴走は魔力調整をする事で収まる。私がそなたの魔力を調整してやる、だから少しの間だけ我慢だ。できるな?」


 ルーカスがアリスティアの目を覗き込むと彼女はわかったようで、それまで流していた涙が止まってしっかりとルーカスと視線を合わせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る