第2話 心配②[side エルナード]

 二年が経ち、アリスティアが五歳になってからのある日。

 その日も皇太子はアリスティアに会うためにバークランド邸に訪れていて、居間サロンで四人で他愛のない事を話している最中だった。

 最愛の妹アリスティアはそこで爆弾発言を落としてくれた。


「ルーク兄様、お勉強やお仕事を頑張っているのは尊敬出来ますけど、そろそろ貴族の義務として家を継ぐための婚約者を用意されると思いますの。わたくしも、ルーク兄様から遊んで貰えるのは嬉しいけれども、婚約者が出来たらいくら妹とは言え婚約者は面白く思わないでしょう?

ですから、今から妹離れの練習をなさったらどうかしらと思いますの」


 こてんと可愛く首を傾げてそんな発言をしたアリスティアを見つめながら、皇太子はものの見事に固まった。

 いや、固まったのは皇太子だけではなく、エルナードとクリストファーもだ。

 しかし、固まってばかりもいられない。

 皇太子のフォローをしなければ、不機嫌になって荒れる皇太子によってこの後の皇城の執務室が大惨事になるだろう事は否応もなく予測できた。

 尤も、皇太子のアリスティアに対する異常な程の執着を毎回のように見せられていれば、自分でなくてもそれは容易に成し得る事をすぐに理解したが。


「アリス、ルークは嫌い?」

「ルークはアリスの事が大事なんだよ?」


 流石、双子なだけはあり、エルナードの発言を受けてクリストファーも素早く皇太子のフォローに回った。

 執務室での大惨事はゴメンだ。いつもより大量の書類の仕分けと、皇太子の判断の必要のない書類の決裁はエルナードとクリストファーの担当で、皇太子は機嫌が悪くなっても仕事量を増やすのだ。締切までまだ日付的に余裕があるものまで無言で手を付け始め、自分の気が済むまで仕事を終わらせない。過去に何度か経験した惨事を考えると、エルナードは妹を宥めざるを得なかった。

 二人の兄の必死さが伝わったのか、とりあえず妹は納得したようだった。


「わかりましたわ、エル兄様、クリス兄様。ルーク兄様はわたくしの事を、本当に大事にしてくださっているのは感じますもの。妹離れはまた後で考えるとして、今は兄様たちと遊ぶのを優先して差し上げますわ!」


 発言内容は微笑ましいし、皇太子が兄的立ち位置を甘受している以上、その内容に文句を出せる筈もなく。

 それでも皇太子は若干の不満を見せつつ、妹を片手で抱き上げ、頭を撫で始めた。

 そうしたところ、妹は今まで見せたことの無い行動を取った。

 即ち、皇太子の胸に頭を擦り寄せ甘えたのだ。

 驚きで、は、と息を呑んでしまった。エルナードの隣にいたクリストファーも同時に息を呑んだのだから、双子とは言え息が合い過ぎである。

 皇太子を見ると、顔が真っ赤で、おいおい! と突っ込みたくなった。


 しかし、エルナードとクリストファーが呑んだ息の音を拾ったのか、妹は皇太子の胸から頭を離しつつ、エルナード達を見てキョトンとしている。

 次いで、皇太子を見上げた。

 その時には、既に皇太子の顔色は通常に戻っていたのだけれど、耳が薄っすらと赤いままだ。

 幸いな事に妹はまだ五歳で、色恋には疎く(色恋に詳しい五歳児とか、怖すぎて嫌過ぎる)、皇太子の耳が赤い事の意味を知らないようでホッとする。


「ルーク兄様?」


 一体どうしたのかという言外の意味を込めた妹の問いかけに、皇太子はハッとして素早く気持ちを立て直したようだ。


「エルナード、クリストファー。バークランド公爵家はティアにどんな教育を施している? ティアが年齢の割にしっかりしてるのはわかるが、この小悪魔ぶりはどういう事だ?」

「でん、んんっ、ルーク、公爵家は国内最高の教育を施しているはずだよ。小悪魔っぽいのは、別にそんな教育はしてないはずだけど」


 うっかり殿下と言いかけて、慌ててルークと言い直す。ただ、やはりアリスティアの行動に戸惑いは隠せない。


「エルナード、アリスの小悪魔ぶりは三歳の時から始まってたじゃないか。だから完全に教育ではなく、素の能力だと思うよ。流石にギフトだとは思わないけど」


 クリストファーが困ったような、仕方ないと言いたそうな微妙な表情で言うが、言ってる内容が怖い。

 なんだよ小悪魔ぶりがギフトって。怖すぎる、とエルナードは戦慄する。


「クリストファー、小悪魔ぶりがギフトなんて怖すぎるよ。なんか言霊になりそうだからヤメて!」


 エルナードの発言は、しかしきれいに無視された。


「エルナード、クリストファー。公爵家の教育が最高なのは理解している。その教育が、年齢に見合わず聡明なティアを更に聡明にしているのもわかる。しかし、こんな小悪魔っぽさなんてギフトは余計だ」


 恐ろし過ぎる。そんなギフト、あり得ないのに、皇太子が言うと有りそうで怖い。


「ルークまで小悪魔ぶりをギフトと言うのはヤメて! なんか確定されそうで怖いから!」


 顔を引き攣らせて言うと、皇太子は額に皺を刻んでいるし、クリストファーは片手で目を覆って俯いている。

 その様子を見ていたらしいアリスが何かを考えていたようだが、小さく頷くと、


「エル兄様、クリス兄様、ルーク兄様。来週の水の女神の日に、アルバ湖畔にピクニックに連れて行ってくださるのでしょう? わたくし、今からとっても楽しみですの! 料理長に美味しいお弁当を用意していただきましょうね!」


 と可愛く目を輝かせた。


「ティア、ピクニックは私も楽しみだぞ。当日、私も家の料理長に焼き菓子を作らせて持って来るから一緒に食べようか」


 皇宮料理長の焼き菓子など最高の贅沢である。皇宮料理長とは国内最高の腕前を持つ料理人なのだから。

 しかし、たかがピクニックに皇宮料理長に焼き菓子を作らせるとは、権力の振るいどころを間違っていると思うけれど。


「ルーク兄様のお家の料理長が作った焼き菓子は、とっても美味しいから好きだわ! ルーク兄様、絶対忘れないでくださいませ。忘れて持ってきてくださらなかったら、ルーク兄様の事、嫌いになってしまいましてよ?」


 ルークが皇太子だと言う事を、すっかり忘れているらしいアリスが、皇太子に可愛く要求しているのだけれど。


「ティア、そんな悲しい事を言わないでくれるかな? 私が可愛いティアとの約束を忘れる訳はないだろう? ちゃんと焼き菓子は持って来るぞ」


 と、皇太子は優しい微笑みをたたえて約束している。

 内容は、年頃の令嬢ならば卒倒しそうなほど甘い言葉なのに、年齢的に幼いせいか、それともアリスは皇太子の顔面偏差値に対する耐性が出来てるのか。

 そんな言葉に動じる事もなく、満足そうに頷いていた。


「アリス、ルークに焼き菓子をねだるのはお淑やかな令嬢ではないよ?」


 まさか、皇宮料理長が作るなどと言える訳もなく、令嬢としてマナーに反するとそれとなく告げれば。


「エル兄様。だってルーク兄様のお家の焼き菓子は、本当に美味しいんですもの! それに、ルーク兄様がいいと仰るんですから、気にする必要はないと思いますわ。毎日、貴族令嬢のお勉強をしてるんですもの、たまには令嬢のお休みがあってもいいと思いませんこと?」


 と、ちょっとだけむくれて、でもいい事を思いついた、とでも言いたげにそのすみれのような色の瞳を輝かせて満面の笑みで胸の前で手を合わせ、エルナードを見上げて言い募る。

 その可愛い様子に、エルナードは「アリス可愛い!」と大声で叫び出したい衝動を抑えるために口を片手で抑えて理性を総動員して震えながら耐える羽目になった。


「エルナード、僕らの可愛いアリスに、僕らが敵うわけがないよ。それにアリスの言う事も尤もだろう? アリスは毎日、公爵令嬢としての勉強を頑張ってるんだから、たまには息抜きさせないと可哀想じゃないか」


 クリストファーが苦笑しながらエルナードの肩に手を置いた。

 確かにクリストファーの言う事も尤もで。勉強ばかりだと息が詰まるだろう、からと、ピクニックを提案したのはエルナードだ。


「そうだぞ、エルナード。ティアは可愛いだけではなく聡明で、公式の場に出たらきちんと場に合わせる技量もあるのだから、たまには息抜きも必要だ」


 皇太子にそう言われると、自分たち兄弟には逆らう事が出来ようはずもない。


「ルークがそう言うなら」


と、最終的には“皇宮料理長の焼き菓子”を渋々と了承してしまった。






 焼き菓子に思いを馳せて目を輝かせている様子の妹を、今までとは明らかに違う目で見る皇太子を、エルナードもクリストファーも諦めた様に溜息を吐きつつ見守るしかなくて。

 本格的に幼女趣味になって来たんじゃないか、と密かに考えたら、鋭くも冷たい視線が皇太子から飛んできた。


 何故わかるんだよ、僕が何をしたと言うんだ! とエルナードは戦々恐々とした。



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