第4話 ピクニック
翌週の約束の水の女神の日、バークランド公爵家の料理長は、アリスティアの為にピクニックのお弁当を作ってくれた。
アリスティアが食べやすい大きさのサンドイッチの中身は、サーモンと玉ねぎスライスにレタス、チキンとレタス、トマトとチーズなど、栄養バランスを考えたもので、エルナードとクリストファーに、ルークまで食べる事を込みにしても、彼らがどれだけ食べても無くならないのではと思えるほど大量だった。
更にはハーブ水に果実水まで準備され、ピクニックに対するアリスティアの期待を更に膨れ上がらせた。
(楽しくなりそう! 湖の畔でピクニック! 水に足をつけてもいいのかしら?)
アリスティアの前世の記憶には、海や湖に行った記憶はない。プールの記憶はあるが、家族と行った事はわかるもののその家族の顔が思い出せない。だから、楽しかった記憶はあってもそれはどこか、薄い膜を張ったような感じで自分の前世の記憶というよりも、単なる『知識』のように感じている。
そう、『チョコレートは甘い』というような、『プールでの水遊びは楽しい』という『知識』。
それがきっと、前世のアリスティアと
アリスティアは思い出した
✧ ✧ ✧ ✧ ✧
ピクニック当日。
アリスティアと双子の兄とその友人のルークの四人。それにアリスティアの専属侍女と双子の兄の専属侍従二人、そしてルークの侍従が二人。更に、公爵家の護衛が十人とルークの護衛が十人という、アリスティアが想定していたピクニックの様相とはかなり趣が違う事に驚いた。
特にルークの侍従が二人もいる事と、護衛の数が公爵家の護衛と同数な事にも驚いてしまい、ルークは一体何処のおうちかしらと首を傾げる事になった。
疑問に思ったことを聞いてみたのだが、兄もルークものらりくらりとはぐらかすだけで教えてくれないので、アリスティアはきっと何処かの家の大事な嫡男なのだろうと推測して追求を諦めた。
多分、兄たちもルークも、アリスティアがまだ貴族名簿を覚えきっていないから教えてくれないのだと、なんとなく疎外感に苛まれて少しだけむくれた。
(そのうち教えて貰えるように、勉強を頑張らなくちゃ)
転生前はあまり勉強が好きではなかったのだけれど、転生してからの勉強はアリスティアの興味が尽きないためかどれも面白く感じている。
但し、貴族名簿は当主の人名だけではなく家族の名前も書かれており、更に治めている領地やら主要産業、特産品など、覚える事が多岐に渡るため、アリスティアは苦手意識があってあまり好きではなかった。
(でもちゃんと覚えないと、いつまでもルーク兄様の家名を教えて貰えないものね)
そんな事を、アリスティアは移動する馬車の中で考えていた。
馬車は、アリスティアと双子の兄たち、それにルークの四人と、公爵家の護衛が一人とルークの護衛が一人の計六人が一台に乗り、侍女侍従たちの乗った馬車がその後ろに続く。そしてもう一台、荷物を積んだ馬車が続いていた。
その馬車の隊列は、護衛の乗った騎馬に囲まれていた。
アリスティアたちが乗った馬車は、家族全員と護衛が乗れるように特注で作ったもののうちの一台で、こちらは『街へのお出かけ用』といった気軽な用途のものだった。
それでもさすがに公爵家だけあって、乗り心地は良かった。
アルバ湖は王都の公爵邸から東に約二時間ほどの距離の郊外にある。王都は南北に長いので、馬車で東に一時間半も移動すると王都から出て自然豊かな郊外を目にすることになる。更に二十分ほど東に移動すると森があり、その森を道なりに進むとアルバ湖の
「湖! キラキラしてる!」
馬車から降ろして貰ったアリスティアは、湖に向かって一目散に走ろうとした。いや、実際走ったのだが、すぐに捕まった。
「──ティア、足元に気をつけないと危ないぞ」
捕まえたのはルークで、後ろから両脇に腕を通されて抱えられており、足元には水溜りがあった。昨日の夜にでも雨が降ったのだろうか?
だがそれよりも。
「ルーク兄様ったら! なぜいつもわたくしは兄様に抱えられていますの? わたくし、確かにまだ幼子ですけど、自分の足で歩けますわ!」
そう。なぜルークはいつも、注意すると同時に自分を抱えるのか。
いくら自分には甘くても、ここまでする必要は無いだろうにと不満に思う。
確かに今の自分は幼児で足も短いし危ないのだろうけど。でも何かある毎に抱える必要は無いと思う。なんだか愛玩動物の気分だ。
抗議の意味を込めて、ルークの顔を睨んでみたけれど。
「睨んでも可愛いだけだよ、ティア」
ルークに苦笑されて抱え直されるだけに終わった。
むぅ、と膨れるが相手はもう成人した大人なのだから、アリスティアが子供扱いされても仕方ないのかもしれない。中身は多分、十代後半なのだけれど、見た目はどう頑張っても五歳児なのだから。
それにしても、血の繋がった双子の兄二人もそうだけれど、ルークもすこぶる美形だ。そして自分も鏡を見た限りでは、やはり美少女──恥ずかしいけれど、美少女と言えると思う。銀色の髪にすみれ色の瞳など、前世ではお目にかかった事はないが、双子の兄達も父親もやはり銀髪で紫色の瞳をしているから、遺伝なのは確かだった。
前世の自分の顔はよく覚えていないが、こんなにも顔面偏差値は高く無かった筈だし、周囲も同様に顔面偏差値は高く無かった、筈。
前世の記憶を朧げながら思い出した三歳の時には、中世ヨーロッパ風ながら魔法がある為に絶対前世と違うこの世界に戸惑い、顔面偏差値の事など欠片も気にしなかったけれど。
(確か、魔力暴走を起こした辺りがものごころ付いた記憶の最初だったかしら)
と、思い出そうとしてみるけれど。
荒れる魔力風の中、ルークに抱えられてた記憶が朧げにあるだけで。
やっぱり自分は幼児なのだと、諦めた方がいい気がしてきた。
そんな事を思いつつ、ルークに抱えられて運ばれた先では、
初めて来たのになんだか懐かしい気持ちになり、アリスティアは僅かに首を傾げた。
その僅かな変化を、ルークは見逃さなかった。
「ティア? どうしたの?」
なんだかいつも以上に甘い声で囁かれるように聞かれると、答えなければならないような気になる。
(美形の破壊力恐るべし! いやいや、妹でしょ、相手は成人男性なんだから!)
と些か混乱気味になる思考を、無理やり現実に引き戻した。
「ルーク兄様。なんだか懐かしい気持ちになりましたの。初めて来たのにおかしな話ですわよね?」
アリスティアの返事に、ルークが少しだけ驚きの表情を浮かべた。
そして嬉しそうに、アリスティアの頭をくしゃくしゃと撫で回す。
折角侍女が可愛く整えてくれた髪が、ルークの撫で回しでくしゃくしゃになってしまった。
アリスティアはちょっとだけ苛ついて髪を手櫛で整えながらルークを睨んだ。全然効いた様子も見えなかったが。
「ティア。アルバ湖には水の精霊がいると言われているのだよ」
「精霊、ですの?」
「ああ。そして、精霊と親和性の高い人は、その精霊がいる場所に行くと、懐かしい気持ちになるんだよ。私も水の精霊と親和性が高いから、この場所はお気に入りなんだ。そなたがここを気に入ったのなら、嬉しい限りだ」
「水の精霊を見る事は出来ますの?」
「精霊が気に入れば、姿を現してくれるのだが、エルナードとクリストファーがいるからどうだろう?」
「エル兄様とクリス兄様は、水の精霊とは親和性が高くありませんの?」
「僕が親和性が高い精霊は風の精霊なんだ。時折、姿を見るね。クリストファーはどうだい?」
「僕は土の精霊だよ。屋敷の庭園で、
兄二人の話に、アリスティアは目を見開き、キラキラと菫色の瞳を輝かせ、喜びいっぱいの顔になった。
「兄様たちも精霊と親和性が高いんですのね! 素敵! ああ、わたくしも精霊を見てみたいわ! どんなに綺麗なんでしょう!」
アリスティアが手を胸の前で組み、感極まったように言った途端。
アルバ湖の方から、甲高いくすくす笑う声が幾重にも重なって聞こえてきた。
『愛し子が呼んでいるよ』
『我らの愛し子は、我らを見たいらしい』
『どうしよう?』
『愛し子の他にも人間がいるけど?』
『構わない! 愛し子が呼んでいるのだから!』
『そうだね! 愛し子が最優先だものね!』
『ああ、でももう一人はオウジだ』
『我らと親和性が高い子だ』
『我らが姿を見せても問題ない子だ!』
『なら問題ないね! 愛し子もいるし!』
『そうだね、問題ないね! 愛し子もいるし!』
くすくす、くすくす。
笑い声が響き、突如として光輝く小さな小さな、背中に羽根が付いたミニチュアな存在が現れた。体は透き通っている。
『愛し子よ、あなたの名前を教えて?』
一人がアリスティアの側に飛んできて、名前を尋ねる。
アリスティアはびっくりしたが、それ以上に嬉しくて、素直に答えた。
「わたくしは、バークランド公爵が長女、アリスティア・クラリス・セラ・バークランドですわ! 水の精霊さんでよろしいのかしら?」
『アリスティアって言うのね。愛し子、アリスティア。やっと会えた!』
『我らは水の精霊。水の精霊王ウンディーネ様の眷属』
『ウンディーネ様は愛し子が来るのを待っていた』
『愛し子、アリスティア。ウンディーネ様と会ってあげて!』
『我らは愛し子を歓迎する!』
「ちょっと待ってくれ! ティアが水の精霊王の愛し子だと言うのか⁉」
唖然として事態を見ていたルークが、慌てて話を遮った。
『そうだよ、オウジ。ついでにオウジの名前も教えて?』
「私はティアのついでか。まあよかろう。ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターだ」
『ルーカス、アリスティアを守る?』
『ルーカスも、水の眷属。アリスティアを守るなら、仲間!』
『ルーカスもアリスティアが好き?』
『水の精霊王ウンディーネ様も好き?』
『ルーカス、守護の契約をする?』
『我らもアリスティアを守るけど、水の無いところでは力が及ばない』
『人間の仲間が必要!』
『ルーカスなら魔力が高いから、アリスティアを護れる』
『守護の契約をしたなら、アリスティアを護れるよ!』
次々と話す精霊たちに、アリスティアはめまいがしそうだった。
情報量が多すぎるのだ。
(私が、水の精霊の愛し子⁉ 愛し子って何⁉
というか、ルーク兄様って、オウジ? オウジって王子様? えーと、うちの国には王子様なんて居ないけど。あれ? そう言えばエル兄様たちって、皇太子殿下の側近って聞いたような?)
アリスティアは混乱気味に考えるが、正解はわからない。
(え⁉ 待って。待って待って待って! ルーカス・ネイザー・ヴァルナー・セル・フォルスターって、皇太子殿下のお名前⁉ え? ルーク兄様って皇太子殿下だったの⁉
ちょっと待って! 水の精霊王ウンディーネ様? ルーク兄様が皇太子殿下? ルーク兄様が守護の契約⁉)
情報量が多すぎて、驚き過ぎて。
アリスティアは意識を手放した。
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