6話 四人で回ろう

 チンパンジーになった瞬間には、まず敵の縄張りの中へ丸裸にされて置き去りにされたような不安、イラ立ち、そして恐怖心から来る震えと、矛盾する来るなら来てみろという強がりにも似た凶暴性を人間に近いものだと小飼は感じた。

「小飼さんパラメーターはどう?」

「サバンナに対する適応値が低いです」

 図鑑チュートリアルでもっと詳しい情報を調べると、ジャングルへの適応値が高かった。

「ってことはジャングルへ行ったらいいのか?」

 若澤が問いかけると道原のウキウキした声が返ってくる。

「でしょうね〜」

「じゃあ早くここから離れよう」

「ジャングル探しますか? マップ出しますよ」小飼一木は道原に聞いた。

「チンパンジーってなにを食べていたんですか?」大西理后である。

 食料をチェックする。

 雑食、とある。

 木の実やハチミツ、場合によっては他の霊長目の幼獣を襲って脳も食べたとのこと。

「脳を食べてたんですか!」と大西。

「それじゃゲーム的には、食料の幅が広くてわりと助かるじゃん」

「なんで絶滅したんですか?」と小飼。

「アフリカのジャングルがぜんぶ平原や砂漠に変わってしまったからだと書いてあるわ」

「なるほど…。じゃあ、次はジャングルへ行って、他の霊長目をメインに狩りをすればいいんですね。…でも、脳を食べるのはイヤだなぁ」

 どちらかというと大西よりも小飼の方がチンパンジーの主導権を握っているようだ。

「待って」と大西。「ジャングルに戻ったらあたしたちはそこにいる捕食者に襲われることはないの?」

「ジャングルには彼らの天敵がいると思うわ。ヒョウとか」道原である。

 わからないときはチュートリアルの図鑑を開こう。

 ヒョウは人類の進化の歴史と共に歩んできて、俗に言う剣歯虎サーベルタイガーが滅びていく中、サバンナ、ジャングル、山などさまざまな地域で生きることのできた適応性に優れた猛獣らしい。

「でも、あたし、簡単にはヒョウにやられない自信があるわ」と小飼。「ね? 理后。そう思わない? なんていうか今での動物に比べて非常に頭がクリアというかさ」

「わかるそれ! なんかうまく立ち回れる気がするんです!」

「まーチンパンジーだからねー知能は優秀っしょ」

 道原が洞察を加える。ピンク色の唇を真一文字に結んで得意げにマユ毛を下げている表情が若澤の目に浮かぶかのようだ。

「それなら安全策をとってジャングルへ引きこもろう。ヒョウが現れたら要警戒だ。チンパンジーのエサは樹上にもあるだろう。当面はゲームオーバーになる心配はなさそうだ」

 チンパンジー四人部隊は、地平線の彼方に見える緑地帯へとナックルウォークで向かった。地上でのカレは決して速いとは言えなかった。賭けだった。このあいだに足の速い捕食者に狙われたらゲームオーバーは必至である。

「ジャングルへ逃げ込んだら、まず木の上に逃げましょう」

 道原のアドバイスで樹上に避難する前だった。




 突然茂みからなにかが飛び出してきた。

 トラだった。

 まるで交通事故だった。いきなり右から車が突っ込んできたみたいに。

 回避する間もなかった。

 狩られる動物というのはこうやって突然の事故のように一瞬にして命が奪われてしまうのだろう。

「思い出にひたる時間もなかったですね」

 小飼がわざとらしくシュンとして言った。

「そうだね」と大西。「まーうちらの本当の命が奪われたわけじゃないけどね」

「でも感情はリアルだったよ」

「そういうふうに設計されているみたいね」と道原。

「それはそれとして、キミたちもゲームオーバーになってしまったな」

「てゆうか、まさかサバンナのジャングルにトラとはね。恐れ入ったわ。これが本当のライガーね。樹上に逃げる前にまんまとやられたわ。ヒョウに警戒しすぎた」

「この展開だと次に起こることは…」

 若澤が今朝剃り残したまばらに生えた無精ヒゲに触れている。

「何が起きるんですか?」と小飼。

「ちょっと前にあなたたちオオカミにクロウサギだった私たちが襲われてチンパンジーになったように、このトラのプレイヤーがいったい誰で、そして次はまたどんな動物になるのかってことね」

「あれ? どうやら大所帯のようだね」少年らしい高い声がした。「ぼくは大人数でつるむのはキライなんだけど」

「子供か」と若澤と道原が同時に言う。

「男の子かしら」と小飼。

「え? いったい何人いるの?」少年は少し戸惑っているようだ。

「ぜんぶで四人よ」大西である。

「ほんとうにうんざりするくらい多いね」どこか物事を達観したような生意気そうな声である。「でもまーいいや。次はホッキョクグマじゃん。サバンナにホッキョクグマってめちゃくちゃだけど。陸上最強の動物といってもいいんじゃん。これでぼくがトップでクリアーほぼ決定かな。…いーやまだか」

 ひとまず動き出す前にみんなで自己紹介をした。

 少年は長田理ながたおさむと名乗った。ゲートの入り口で見かけた少年だった。

「ところでぼく、小耳にはさんだ耳寄りな情報があるんだけど」

「どんな情報だい?」と若澤。

「ぼく、あなたたちを襲う前にシマウマだったんですがトラに食べられましてね。そのとき、トラだった人が……もうゲームからエスケープしていないんだけど、そしたらその人がめっちゃすごい合体技を教えてくれたんだ」

「めっちゃすごい合体技?」道原が前のめりになる。「なに?」と食いつく。

 ところで、今の話で誰も気づいていないようだが、どうやら同時プレイ中に仲間がエスケープして自身のプレイヤーしか残らなくなると食った側の肉食動物のまま残るようだ。…トラがシマウマを食べて変身するところを、トラが脱退して食われた方がトラのまま残った。

「ねえちゃん、その前にまずゴリラを探さないと」

 長田は合体技というキーワードをわざとらしくかわした。もったいぶっているようだ。

「ホッキョクグマの姿でゴリラを狩るの?」

「すごいファイトになりそうだな」と若澤。

「どうやって決着がつくのか見ものね。もともと出会うはずのない動物だっただけに」

「東湖、好きか、こういうの」

「ゲームだからね。実際にはこんなことできないっしょ。妄想みたいなモンよ。たとえばヒグマの檻にジャガーやヒョウを放つとかさ。古代ローマのコロシアムじゃあるまいし、マジでやったら動物愛護団体はもとよりふつうの良識ある人々からも苦情が殺到して炎上必至」

「そろそろ行こうぜ」と長田。「ところで、おねえちゃんゴリラってどこにいるの?」

 図鑑チュートリアルで調べる。

「高地にあるジャングルね」

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