3話 まずは猛獣ゾーンへ

 入場した者から先に係員からリストバンドをつけられた。遊べるブースがいくつかあり、チームプレイらしく、若澤と道原、長田の三人は、Aステージに分けられた。他にも、先ほど前に並んでいた女子高校生二人組もいる。彼女たちもAチームのようだ。他に信楽焼のタヌキみたいな恰幅の良い中年のおっさん。

 おっさんは名乗った。

「わしは、江部裕之えべひろゆきだ。仕事はコンビニのシステム管理者をやってる」

 あいさつもそこそこにAステージ班は、遊ぶための機器を身につけるとさっそく専用のブースに入った。

 安っぽいタイトル画面とともに始まった。

 気がつくと若澤はサバンナの真ん中の草地でシマウマになっていた。なんだかとても視野が広く、耳も鋭敏である。隣で草を食むデフォルトらしきシマウマの草を食む音や、消化する音まで聞こえてくるようである。

 ただ、脈が速く、いつもどこか怯えていて、警戒心を解ける安らぎという瞬間がまるでなかった。つまりリラックスできない。常に緊張している。

 若澤の耳が、ある音を捉えた。風上の方にある茂みから、サラサラ…と音が聞こえる。そよ風が起こしている葉ずれの音かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 そうではない可能性って、じゃ、なんだ?




 気がつくと道原東湖はサバンナの茂みで、メスライオンになっていた。周りにも他のライオンたちがいて、デフォルトかもしれないし、他のプレイヤーかもしれない。

 どちらかわからないが道原は物音を立ててはいけない、という強迫観念みたいなものにとらわれていた。これは鉄則だった。何をつけてもこれだけは優先させねばならない。物音を立てるな。これは法律よりも絶対である。今の自分にとっての絶対的価値観である。本能と言い換えてもいい。

 視界がいやに狭い。前方のある一点だけしか見ていない。普段はひなたぼっこして静かな心が今は興奮でドキドキしている。

 目の前に、のんきに草を食んでいるシマウマがいた。

 こいつを襲わなきゃと脳の一部から指令が下った。あるいは食欲の刺激である。ゲームにもかかわらずお腹も減っているような感じさえしてくる。

 飛び出すタイミングを見計らった。ちょうど短距離走の選手がスタートの合図を待っているように。



 若澤は反射的に駆け出した。理屈ではない反射だった。危険を知らせるアラームが理性ではないどこかで警告している。慌てて身を翻したときにライオンが視界に映った。そこからはスローモーションだった。若澤の駆け出しを合図に他のシマウマたちも一斉に逃げ出した。

 なぜ俺が標的に? 他にもいっぱいいるのに。

 絶望的な理不尽を感じながら若澤は逃げ続けた。茂みという茂みが全て恐怖だった。この茂みにもう何頭かのライオンが息を潜めて待っている可能性もあるからだ。ライオンはそういう連携プレイをするという話を前に東湖から聞いたことがある。

 幸いにも今回それはなかったが若澤は致命的なミスを犯した。逃げ込めるブッシュの密集地帯まで来たはいいが、低木に足を取られて転倒してしまったのだ。

 その瞬間、ほとんど間を置かずにライオンが喉元に喰らいついてきた。ゲームなのでとくに痛いということもないが心臓がバクバク脈打っている。捕食される側にとってあまり心臓にいいゲームではない。




 BGMとともに安っぽいコンピューターの音声が聞こえてきたかと思うと道原は次の瞬間サバンナの真ん中でクロウサギになっていた。

 イヤホンから若澤の声が聞こえてくる。

「おい、東湖。いま俺を襲っただろ?」

「やっぱりあのシマウマ、佑介だったの? めっちゃ楽勝な狩りだったよん。だって自分からすっ転んじゃうんだもん。野生じゃ真っ先に命を落とすツキのないタイプだね」

「まぁそうだな。それは認める。一番の標的にされたところもツキがない。それはそれとしてどうして今度はクロウサギになってるんだ?」

「わかんない。そういうルールなんじゃないの?」

 心拍数がいやに速い。視野が広い。シマウマの比ではなかった。真後ろ以外はほとんどカバーしているといってもよい視界。まるでパノラマ写真だった。その視界に、のっしのっしと歩くホッキョクグマの姿が映った。

「マジかよ。サバンナにホッキョクグマか。ずいぶんユニークだなあ。とにかく逃げろ! ダッシュだ!」

 若澤が叫んだ。どうやら捕食された側と捕食した側は、プレイヤーとして共有することになるらしい。

「大丈夫だよきっと。今の私は俊足俊敏なウサギだからね。あの巨体に襲われて捕まるほど鈍くはないと思うから」

 その言葉通り、道原は跳ねるように二つ飛びでブッシュの中へ隠れると少しだけ身を潜めてから、できるだけ遠くまで逃げた。

 穴だった。穴を探さないといけなかった。

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