359.兎人族のペーター

 ある日のこと。


 いつものように散歩を兼ねた視察で領内を回っていた最中、『工技一研こうぎいちけん』に立ち寄ったオレは、ゴードン老師と親しげに話している見慣れない人物がいることに気がついた。


 外見から兎人族とじんぞくとわかる人物は、少しばかり腰が曲がり、毛並みにもつやがない。おそらくは老師と同じぐらいに高齢なのだろうと思いつつ、二足歩行のパンダとウサギが揃って立ち並ぶ姿にある種のメルヘンを覚えながら、オレは声をかけた。


「こんにちは、老師。お取り込み中のようでしたら、またあとで……」

「おお、タスク様。ちょうどよかった、いましがた、こやつを連れて伺おうと思っておったのじゃ」


 そう言うと、ゴードンは兎人族を軽く肘で小突き、挨拶するように促すのだった。


「初めまして、国王陛下。兎人族のペーターと申します」

「戴冠式はまだなので、陛下は止めてください。タスクで結構ですよ」


 にこやかに応じながらも、オレはペーターという名前に若干の口惜しさを感じていた。これがピーターだったら『ピーター・ラビット』になるんだけどなあという、しょうもない理由からなので、とてもじゃないけれど口にはできない。


 ともあれ、兎人族のペーターは挨拶もなく祝祭についての提案を持ちかけたことの非礼をわびて、自分が歴史学を専攻する研究者であること、ついてはフライハイトについての歴史も研究させてほしい旨を告げるのだった。


「歴史もなにも、国として成立していない以上、研究材料はどこにもないと思いますが」

「なに、ひとりの異邦人が辺境の樹海に国を興す。これほど歴史研究家の興味をかき立てる材料はありませんぞ?」


 それって、もしかしなくても、オレについて根掘り葉掘り調べさせてほしいとかそういうことなんだろうなあ。心の底から漏れ出る「めんどくせえ」という気持ちが表情に出てしまっていたのだろうか、ペーターは苦笑した。


「密着取材させてくれ、というわけではないのです。空き時間に少しずつ、お話を聞かせていただければそれで結構」

「その程度でしたら」

「それとタスク様のお許しがいただけるのであれば、奥方様や周りの方々にもお話を伺いたいのですがな」


 後世のために歴史を伝え残す重要性は把握しているつもりなので、こちらについても相手が支障を来さない程度であればという条件付きで承諾した。


 オレとしても大陸史について教えを請おうと考えていたので、ちょうどいい機会かもしれない。博識同士、ニーナとも気が合うのではないだろうかと思っていると、ペーターは「ところで」と話題を転じた。


「長とも話していたのですが、移住した兎人族揃って厚遇されているようで、皆に変わって御礼申し上げます」

「ここで暮らす以上は仲間なんだし、そのぐらいは当然でしょう。不自由があったら遠慮なく言ってください」


 本人たちの希望もあって、兎人族には主に農業関連の仕事についてもらった。彼らは畑仕事に関して特に秀でており、即戦力として働いてくれている。


「土や木と触れあいながら日々を過ごしておりました故、お役に立てれば幸いですな。もっとも、私自身はいまのところ、タスク様のお役に立てそうもないのが残念ですが」

「いえいえ、個人的に歴史学には興味がありますから、お話を聞かせていただくだけでも十分ですよ」

「そうじゃ、ペーター。ここはひとつ、おぬしの特技を披露してはどうじゃ? もしかしたらタスク様も気に入ってくださるかもしれんぞ?」


 特技? 気に入る? まさか一発芸とか、そういったものじゃないだろうなと心の中で身構えていると、ペーターは名状しがたい表情を浮かべた。


「たいそうなものではないのです。歴史研究という金にならないことに没頭していると、生活の糧を他に求めなければなりませんで」

「ペーターめは、特技でそれをまかなっていたというわけじゃ」

「ははあ、なるほど」


 どうやら隠し芸とかではなさそうだと安堵していたのもつかの間、ペーターが発する次の言葉にオレは興奮を覚え、思わず身を乗り出すのだった。


「しかしのう、温泉の泉源せんげん探索など、タスク様が気に入ってくれるかどうか……」

「その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」


 兎人族の両肩をがっしりとつかんだオレは、爛々とした瞳でペーターに続きを促した。


***


 探索隊はその日のうちに編成された。ガイアを中心とする警察と兎人族がグループを組む。リーダーはもちろんペーターである。


 聞けば、温泉のもとになる泉源や源泉は、むやみやたら歩き回って探すものではなく、ある程度のあたりをつけて探し当てるということだ。そもそも兎人族はお風呂好きな種族そうで、至る所に大小問わず温泉があったらしい。


 ペーターはそれらのほとんどを探し当てており、発見する見返りに金銭収入を得て、本職である歴史研究にいそしんでいた。なるほど、特技にするだけの自信と経験があるのだろう。それならば、黒の樹海で泉源を探し当てることも容易なのではないだろうか。


「兄様。温泉とは、そんなに良いものなのですか?」


 執務室のソファにちょこんと腰を下ろして、ニーナは呟いた。執務をこなすためにやってきた天才少女は、大人たちが地図を広げてあれやこれやと相談する様を呆れ半分に眺めやったのち、探索隊が出発したのを見届けてから肩をすくめるのだった。


「私からすれば、温泉もお風呂もたいして変わりはないと思うのですが……」

「こればかりは、歳を重ねないとわからない良さがあるっていうかな」

「お酒みたいなものですの?」

「趣味嗜好という意味では似たようなものではあるかねえ」


 応じながら、オレは想像の翼を広げていた。脳内では、ほどよい湯加減の露天風呂に肩までつかった自分の姿が映し出されていて、おそらくはそう遠くない日に叶うであろう妄想に、自然と笑みをこぼれるのだった。


 しかしながら現実は厳しい。間もなく、冷静な声がオレを現実に連れ戻した。


「タスクさんが温泉に恋い焦がれているのはわかりました。ですが、急に大人数を招集するやり方はいかがなものかと」


 ほかでもないアルフレッドである。こちらは財務報告にやってきた拍子に一連の流れを把握したようで、移住してきたばかりの兎人族を、本来の業務から外してまで予定外の任務につけることを非難するのだった。


「住民同士の交流の妨げにもなりかねません。彼らも移住して日が浅いのですから、泉源探しはまた別の機会にしたらよろしいではないですか」

「温泉が見つかれば、国の貴重な収入源になるぞ」

「いますぐ探させましょう」


 見事なまでの手のひら返しである。まあ、探索隊が帰ってくるまで結果はわかんないんだけどさ、見つからなくても文句は言わないでくれよ?


 とはいえ、そんな心配は杞憂に終わった。程なくして、ペーターから泉源の候補となる土地が見つかったという報告を受けたのだ。


 場所は樹海北部、水晶鉱石が発掘される洞窟のすぐ近くである。

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