355.兎人族の移住

 総勢三百人を超える兎人族とじんぞくがフライハイトにやってきたのは、それから一週間後のことである。


 小説『ピーターラビット』を彷彿とさせる外見は、まさにウサギが人になった姿そのものと言っていい。大荷物を抱えて移住を進める集団を眺めやりながら、オレは離れた場所で様子をうかがっている熊猫族パンダぞくのゴードンに気がついた。


「お散歩ですか、老師」

「うん? おお、タスク様、これは失礼をば。どうやら、ぼーっとしておったようじゃ」

「いえいえ、研究部からわざわざ足を運ばれるとは、彼らが気になりますか」

「なに、古くからの友人が此度の移住に加わると聞いての。久しぶりにそやつの顔でも見てやろうかと、足を運んでみたのじゃ」

「兎人族にお友だちが?」

「うむ。とはいっても、ここしばらくは手紙ぐらいしかやりとりしておらなんだ。老いた身では長旅も堪えるしな」


 熊猫族の領地から兎人族の治める領地までは、徒歩で片道五日ほどかかるらしい。ちなみに熊猫族の領地からフライハイトまでの距離は片道二週間である。……ウチに来るよりめちゃくちゃ近いじゃないですか、老師……。


「ほっほっほ。いや、友人もこの爺と同じく研究者でな。尋ねても研究に夢中で居留守を使われることがほとんどなのじゃ」


 もっとも、この爺めも居留守を使うことが多いがのう。そう付け加えて、ゴードン老師は愉快そうに笑った。似たもの同士、ウマが合うのだろうか。


「研究者というと、老師と同じく技術職のかたなのですか?」


 さりげなく話題を転じると、頭上の黒耳をわずかに動かしてゴードンは応じた。


「畑違いじゃよ。友人は歴史についての研究者での、古文やら伝承やらにのめり込んでおる」

「歴史学の先生ですか」

「先生など呼んではつけあがるだけじゃ。変人がせいぜいじゃな」


 それはあなたも一緒なのでは? と、言いたい気持ちをぐっと飲み込み、オレはさりげなく兎人族の移住者に視線を転じる。


 いずれにせよ、この大陸の歴史については興味があったのだ。ぜひ一度、くわしい話を聞いてみたいなと率直な感想を述べると、老師は「奴にもそう伝えよう」と頷くのだった。


「いたいた。タスクさん、探しましたよ」


 振り返った先には書類の束を抱えたアルフレッドと、付き従うようにしているニーナがいて、財務省のトップである龍人族は自分の立場を忘れたかのように注意の言葉を口にした。


「警護も付けずに不用心ですよ。仮にもこれから国王になられるのですから、ガイアさんやクラウスさんを通じて警護依頼をですね……」

「お前だって要職の身だろう? 警護ぐらいつけたらどうなんだ?」


 この手の話題は、毎回、話が長くなるので、お互い様で済ませておきたい。オレはわずかに視線をずらし、陶器人形を思わせる美少女に話を振った。


「で? オレを探してたのは、いったいどんな用件なんだい?」

「移住者のリストをまとめました。正規の移住届と本人確認は完了してありますので、兄様にご署名をお願いしたいのですわ」


 署名って、もしかしてそれ全部? 尋ねるより先に、アルフレッドは抱えていた書類の束をオレに預ける。ずっしりとした紙の重みは、署名だけでもなかなかの作業量になるぞということがわかり、オレは思わずうなだれてしまった。


「面倒に思うことほど、さっさと片付けたほうがよろしい。先延ばしにすればするほど、気持ちも重くなるものじゃ」

「ご忠告、ありがたく受け取りますよ」


 そう言ってオレはゴードンに別れを告げると、ふたりを伴ってその場を後にした。老師の友人と会いたかったけれど、それはまた別の機会にするとしよう。


「治安面はどうなっている?」


 ずっしりとした重みの書類を抱え直し、オレはアルフレッドに問いかけた。人口が増えれば、当然、防犯についての懸念も生じることになる。個人的には性善説を信じたいところなのだが、統治者としてはよろしくない。


 周知の通り、フライハイトは他民族・多種族で成立する土地である。いままでは特に目立った問題もなく、住民たちはそれぞれを尊重して生活を営んでいたが、それは決して約束されたものではないのだ。


 異なる文化、生活圏から新たな住民がやってくれば、摩擦が生じることもあるだろう。移住は慎重かつ配慮を重ねて進めなければならない。


 やがてオレの真意を察したように、メガネを手で直しながら、アルフレッドは口を開いた。


「ご心配には及びません。兎人族の長、移住者の代表にもフライハイトでの暮らしについてはあらかじめ説明をしています」

「いまのところ、犯罪など違法行為も見受けられませんわ。兎人族は従順で働き者として知られておりますし、ここでの生活に順応するのも早いかと思われます」

「それならいいけど、引っ越してしばらくは戸惑うことも多いだろう。周りがうまいことサポートしてやってくれ」


 承知しましたというふたりの声を聞きながら、オレはわずかばかりに胸をなで下ろした。できれば今後とも平穏無事でいってくれると嬉しいんだけどね。平和が一番だよ、うん。


 ……そんなオレの思いとは裏腹に、兎人族の移住は、このあとちょっとした騒動を巻き起こすことになる。


***


 翌日。


 執務机で片肘をつきながら、オレは書類に目を通していた。『即位式兼戴冠式における予定表』と題されたそれは、国家樹立の記念すべき一日のスケジュールが事細かに記載されていて、あまりのハードスケジュールっぷりに軽くめまいを覚えるぐらいである。


 なにせ、おはようからおやすみまでビッシリと予定が埋め尽くされているのだ。起床時間も決められていて、誰が書いたか知らないけれど、ご丁寧に「寝坊厳禁」という注意書きまで添えられている。ちゃんと起きるって。


 それで? 軽い食事を済ませてから着替えや身を清める儀式を終える、と。それから戴冠と即位の儀、国家樹立の宣言、各国からの祝言を終えてからのパレード……etc。流れを全部把握しなければいけないから大変だぞ、これは。


 パレードが終わってからも儀式は続くみたいだしなあ。午後は国民による祝祭しゅくさいの儀があって、夜にはパーティが控えているみたいだし。


 と、そこまで目を通して、オレは首をかしげた。国民による祝祭の儀っていうのはなんだろうか? 他の項目はびっちりと詳細が書かれているのに、そこだけは一言だけ『未定』としか書かれていないのだ。


 う~ん? なんなんだ、これ? まあ、これからアルフレッドとニーナがやってくるし、その時に確認すればいいかと考えていると、執務室の扉をノックしてカミラが姿を現した。


 うやうやしく一礼した見目麗しい戦闘メイドは、「予定にはありませんが」と前置きし、面会を希望している人物が尋ねてきた旨を告げるのだった。


「こんな朝早くから?」

「はい、熊猫族のゴードン殿がお目にかかりたいと」

「ゴードン老師が?」


 もしかすると蒸気機関について重大な事案が発生したのかもしれない。そう考えたオレは、「お時間を調整なさいますか?」という申し出に首を振り、老師を執務室に通すようカミラに頼んだ。

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