346.先達として

「……それで、快諾なさったのですか?」

「まさか。さすがに返事は保留したさ」


 安堵しつつも、眉間にしわを刻ませたままのアルフレッドを眺めやると、オレは軽く肩をすくめた。


 ヘルマンニとの会談を終えて間もなく、アルフレッドとニーナ、それにランベールを執務室に招いたオレは、骨人族から持ちかけられた提案について打ち明けたのだった。


 財務省、国王補佐、工部省という関係各所に意見を聞いた上で、改めてヘルマンニに返事をしようと考えたからである。しかしながら、アルフレッドだけは、すでに約束を取り交わしていたものだと勘違いしていたらしく、それが冒頭のやりとりにつながったわけだ。


「魔道国側だけに利があると言わざるを得ませんね。買い手のつかない、いわく付きの金属資源の購入、並びに稲作の技術供与。我々にはデメリットしかありません」


 メガネを指で直すアルフレッドの表情は渋い。財務省トップとしては収支をプラスにしておきたい心境なのだろう。それは十分に理解できるんだけど。


 一概に帳簿だけで判断してはダメな案件だとも思えるわけで……。オレの胸中を察したのか、ニーナは口を開いた。


「稲作の技術供与だけで言えば、特に問題はないのでは?」


 国王補佐を務める天才少女の一言に、アルフレッドは鼻白んでいる。


「ニーナさんらしからぬ発言ですね」

「そうでしょうか? 元々、米は大陸の食糧事情を改善させるための作物だと聞いておりますわ。であれば、魔道国に融通するのも道理ではありませんこと?」

「仰るとおりです。しかしながら、フライハイトは国家樹立目前なのですよ。手元には多くの外交のカードを持っておいたほうがよいと思われますが」


 それに、と、付け加えて、アルフレッドはこちらを見やった。


「稲作の技術供与は、ダークエルフの国とハイエルフの国に融通する段取りがついています。これを無視して魔道国を優先するとなっては、国家としての信用にかかわります」

「そもそもの話なのだが……」


 沈黙を守っていたランベールは腕組みをほどき、その強面に疑問の微粒子を漂わせ、割って入った。


「採掘できる金属類の品質を確かめないことには、私も判断ができかねないな。見本はあるのだろうか?」

「送る手配を整えてくれるそうだ。とりあえず、銀鉱石・鉄鉱石・銅鉱石の三種類が来ることになっている」

「ふむ。交易についての判断はアルフレッド殿やニーナ殿に任せるとして、工部省……いや、職人の立場で言わせてもらえれば、品質さえ良ければ、私はそれでかまわん」


 ダークエルフの国において『名工』と称えられた鍛冶職人はそう言うと、驚きの表情を見せるアルフレッドへと視線を送った。


「財務省としては我々が作ったものが売れなくては困るとお考えなのだろう。しかしながら、いわく付きの鉱山で採れようが、聖なる山から採れようが、鉱石は鉱石。品質さえ変わらなければ、仕上がりに差はないものだ」

「風評の問題は残りますよ。皆が皆、ランベールさんのような識見を持つとは限りませんからね」

「良い物は重宝され、悪い物は買い手がつかない。それだけの話ではないかな? つまらないこだわりで逸品を買い逃すとあっては、正すべきはその不見識だろう」

「お話はもっともなのですが、商人の中には呪いやら祟りやらを信じる者が多いのです。忌避される可能性があるにもかかわらず、職人たちに作業をさせるのは時間の浪費だと考えませんか?」

「兄様のお考えは?」


 白熱の様相を呈する議論を抑えるかのように、穏やかな口調でニーナが尋ねた。その絶妙なタイミングに感嘆を覚えつつ、オレを三人を見回した。


「個人的な考えだけど、条件付きで提案を受け入れたいと思っている」

「条件つき、ですか?」

「魔道国から仕入れる金属資源は、蒸気機関以外には使用しないことにする」

「武具などを増産できる、またとない好機だが……」

「アルフレッドが指摘してくれたけど、取引するのはいわく付きの代物だからね。名工の腕を持ってしても、売れない可能性は捨てきれないよ」


 ヘルマンニが言っていたとおり、異邦人の名前が効力を発揮するのであれば、あるいは売ることも問題ないかなと考えたりもしたんだけど。


「当面の間は研究開発用と割り切ってしまおうじゃないか。時間が経てば、世間の評価も変わってくるだろうし」

「変わらない場合は?」

「蒸気機関車を完成させて、評価を変えてしまうのさ。革命を起こせるだけの代物だとわかれば、おのずと買い手もつくだろう?」


 ふぅむとランベールは考え込み、代わってアルフレッドが問いかける。


「稲作の技術供与はいかがされます?」

「ダークエルフの国とハイエルフの国と併せて並行的にって感じになるかな。こちらから人員を送るのではなく、向こうから作業員を受け入れてレクチャーすれば、ある程度の手間も省ける」

「外交のカードが一枚なくなりますが」

「むしろ、ここで切っておくべきだろうね。魔道国の権力争いはかかわりたくないけど、有力者に恩を売っておく分には問題ない」

「ヘルマンニさんの提案を受け入れた後で、今度はマルレーネさんのばつが、別の要求をしてくるのでは?」

「その時はその時だな。取引できるものがあれば受け入れるし、なければ突っぱねるさ」


 むしろ、これを機に魔道国には自由競争へと方針を転換してもらいたいと考えているのだ。中継交易地であるフライハイトは開かれた物流と経済を売りにしているし、そのほうが鎖国しているよりも健全だと思うからな。


「そんなわけで、公益についての金銭的なやりとりについては財務省に一任するよ」

「やれやれ、仕方ないですね、一任されましょう。ヘルマンニさんから『買い叩かれた』と泣きつかれても応じないでくださいよ?」

「お手柔らかに頼む。今度の信頼関係につながるからな」


 今頃、ヘルマンニはファビアンの案内でオペラ座の建設現場を見学しているはずだ。戻り次第、提案についての詳しい話し合いをすることにして、協議の場はいったん解散した。


 ただし、ニーナだけはこの場に残ってもらった。終始、なにか言いたげな眼差しでオレを見ていることに気付いたからである。


 カミラに紅茶を淹れるよう頼んでから、オレはあらためて天才少女に発言を促した。


「単純にこう考えただけですわ。この手のご提案は兄様の判断だけでよろしいのではないか、と」


 カップから立ち上る香気が鼻腔をくすぐるのを感じながら、オレは言葉の続きを待った。


「国家が樹立した後、政治体制は国王親政となるのですから。周りに意見を求める必要性はないのではありませんか?」

「それじゃあダメなんだよ、ニーナ。一歩踏み間違えば独裁になってしまうだろう? 面倒だけど、案件のほとんどすべてに関係各所から意見を募る理由はそこなのさ」


 口元に運びかけたカップをテーブルに戻し、オレは続ける。


「判断が間違っていた場合、きちんといさめてくれる人物が周囲にいないというのは、国家として健全な有り様じゃない。王の言うことに唯々諾々いいだくだくと従うのは、ニーナにとっても面白くないだろう?」

「それは、そうですが……。兄様のようなお人が判断を誤るとは思えませんわ」

「買いかぶられては困るな。こちらは政治についてのノウハウはゼロに近いんだぞ? むしろ、有識者から忌憚のない話を聞きたいぐらいだ」


 それに、政治運営に不慣れな人材を育成していく必要性もある。現場主義であるランベールにしろ、今後はその責務も違ったものになっていく。であれば、早いうちに慣れてもらうしかない。


「たとえばオレが死んだとして、カオルが跡を継いだとする。そういった際に、閥がない一枚岩の政治運営ができるようになっているのがベストだな」

「たとえとしても、不吉な話は困ります」

「悪い悪い。まあ、周りが口やかましく苦言を呈しても、それを当然と受け入れる土壌を作っておきたいのさ。先達として、未来を担う世代にはベストな環境を残してやりたいしね」


 開かれた経済を謳っておきながら、政治体制が閉じられているとなってはお笑いだ。よりよい国にしていくためにも、やれることはやっていこうじゃないか。……試行錯誤しながらだけどさ。

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