339.統括府の建設

 魔道国からロルフたちが戻ってきたのは、それからしばらく経ってからである。


 翼人族の若きリーダーから報告を受けつつ、オレは執務机に広がった書類に目を落とした。


「……すると、魔道国歌劇団の公演は春ぐらいになる感じか?」

「公演前にヘルマンニさんが何度か訪問される予定です。劇場などの施設を事前に確認したいと」

「そうだな、不備があってもいけないからな。技術提供した作物とエビの生育状況はどうだ?」

「概ね順調といっていいでしょう。フライハイトのものに比べると品質の低下は否めませんが、それでも一級品の枠には収まります」


 遙麦も妖精桃も、魔道国の過酷な環境では育たないのではという不安があったため、上手くいっているのは嬉しい。もっとも、オレ以上に胸をなで下ろしているのは、技術提携締結に署名したマルグレット本人かもしれないが。


 国家機密というべき魔法石の技術を譲る見返りの作物なのだ。不作にでもなったら、責任問題に発展しかねない。まあ、それを踏まえた上で、保険にエビの養殖技術も付けておいたんだけど、現時点ではこれといった懸念はなさそうなので、とりあえずは一安心である。


 一通り話を聞き終えたオレは、机の上で書類の束をトントンとまとめながら、ロルフへ視線を向けた。


「そういえば、お菓子の普及活動はどうだった?」

「いやあ、前途多難といった感じですよ。固定概念を覆すのはなかなかに厄介ですね」


 そう言うと、ロルフはほろ苦い顔で肩をすくめる。魔道国でお菓子という存在は『保存の利く焼き菓子』でしかなく、パサパサとして美味しくないものというイメージが強いらしい。


 そんな状況を打破すべく、帰国の予定をずらしてまでお菓子の普及活動に尽力していた翼人族だったが、成果はといえば芳しくなかったようだ。


「そもそもお菓子というのは嗜好品の一種ですから。日常の食生活に満足した人たちが、手を伸ばす高級品……そんな考えが強く根付いていたもので」

「食うに困る状況だと、普及どころの話じゃないって感じか」

「そうですね。年末にケーキを振る舞ったのですが、これも贅沢品として必要以上に恐縮されてしまいましたから」


 なるほどな、まずは食料事情を改善しないことには始まらないってことか。そうなってくると、ますます作物類にかかる期待が大きくなるな。


 いっそ、稲作の生育技術も譲ってしまおうか。頭の中でそんな考えを巡らせていると、「ところで」といった具合にロルフが話題を転じてみせた。


「我々が不在の間、なにかしらの問題など起きていなかったでしょうか?」


 特にないかなあ、と、口を開きかけて、オレはあることを思い出した。


「そうだ。ロルフにも意見を求めたいと思っていたんだけど」

「なんでしょう?」

「いまの領主邸とは別に、国王の邸宅って必要だと思うか?」


***


 ――数日後。


 市場の近くに新たな施設が設けられることとなり、オレはその建設現場へと足を運んでいた。


 完成すれば、地上五階建て、地下二階という領内でも最大の規模を誇る建築物となる施設、それが『統括府』である。


 すでに建てられていた『行政府』に隣接するこの施設内には、七つの省――すなわち、財務・軍務・警務・教育・生産・工部・魔法――の部署が設けられ、国政に関するすべてが『統括府』で執り行われることになる。


「僕としては微妙な心境なんですよ、タスクさん」


 工事現場の見学に現れたアルフレッドは、建設中の様子を複雑な表情で見守っている。


「本来であれば、国政は国王の邸宅で行われるべきだと考えていましたし」

「そう言うなよ。人の出入りが激しいと、オレとしても落ち着かないからさ。このあたりで妥協してくれたのはありがたいね」


 なだめすかすように声をかけたものの、財務省トップの龍人族は相変わらず憮然とした感じで、こちらとしては内心、肩をすくめてしまう。やれやれ、アルフレッドも頑固なところがあるからな。


 さて、一体全体、どうして突然『統括府』が建てられることとなったのか、その経緯を話したい。


 発端は先日のロルフとの面会まで遡る。国王の新たな邸宅についての必要性を尋ねたオレに、ロルフは首を縦に振ってみせたのだった。


「それは必要かと思いますが……」


 ああ、やっぱりロルフもそう思うのかと思いきや、翼人族の若きリーダーはさらに語を継いだ。


「タスクさんはいらないとお考えなのでしょう?」

「……どうしてわかるんだ?」

「だって、そんなことをお聞きになる時点で、疑問に思われているのは明白ですから」


 クスクスと笑うロルフを見て、オレは髪の毛をかきむしった。


「わかってはいるんだよ、みんなの言ってることもさ。でもなあ? これ以上に大きくて新しい家は持て余すのが目に見えてわかるって言うか」

「国王の邸宅となりますと、人の出入りも激しくなりますしね。国政を取り仕切るために文官武官が集い、さらには来客の対応も行わなければなりません」

「うわー……。あらためて言われると、ますます面倒になってくるな。いや、執務はちゃんとするつもりだけど」


 だからといってプライベートと仕事の時間がごっちゃになるっていうのはいただけないなあ。『遊びは本気で、仕事はそこそこに』を信条とするオレには苦痛でしかない。


 せめて人の出入りだけでも少なくできないかなあ? カミラたち戦闘メイドが家の中にいる分には問題ないけど、あまり関わりのない人たちが滞在するのは、正直な話、落ち着かないのだ。


 なにかしらいいアイデアはないものか? 首をかしげるオレを見て、ロルフは会心の笑みをたたえるのだった。


「いっそのこと、発想を逆転させてはいかがですか?」

「発想を逆転させる?」

「ええ。皆さんが出向いてもらうのではなく、タスクさんが出向けばいいのです」

「……ん? どういうことだ?」

「私が魔道国に滞在している際に伺った施設があるのですが……」


 そうしてロルフの口から語られたのが『統括府』の存在だったのだ。もっとも、魔道国では国政統括府と呼ばれていたらしい。


 いわゆる行政府の拡大版で、内政・外交・軍事諸々の部署がまとまって政治を執り行う施設になっていて、責任者は毎日の施設に赴き、それぞれの仕事をこなす。


 元いた世界で言うところの省庁に通ずるものがあるなと思いつつ、ロルフの話を聞き終えたオレは、この提案に乗ることを決めたのだった。毎日、職場に通う程度なら面倒はないし、プライベートも守られる。


 それに部署がまとまっていれば縦割り行政の心配もなくなるだろう。広い視野を持ち、様々な観点から物事に取り組むことができれば、より良い国政ができるのではないだろうか。


 そういったわけで、早速アルフレッドを呼び出すと、オレは『統括府』について説明し、これを建てる代わりに新しい邸宅の計画は破棄してくれるよう頼むのだった。


「……なるほど。円滑に国政が進むのであれば、僕としても反対するわけにはいきませんね」


 渋々といった面持ちに、そうだろそうだろとオレは頷いて応じる。


「ですが、だからといって新しい邸宅をなくせというのはいかがなものかと」

「国政を取り仕切る施設なんだ。それに見合うだけの建物を作らないといけないだろ? だったら新しい邸宅分の予算も『統括府』に回したいところだね」

「……わかりました。その代わり、タスクさんに受け入れて貰わなければならない条件があります」


 条件? 穏やかじゃないなと思いつつ耳を傾けるオレに、アルフレッドは領主邸と統括府との往来には必ず護衛を同行させるようにと続けてみせる。身辺警護ってことね? それはまあ、受け入れるのが当然だな。


 ……と、こんな感じで話は進み、現在に至ると、そういった事情なのだ。住み慣れた我が家を引っ越す必要がなくなったことは喜ばしい限りである。


 アルフレッドなんかは最後まで「国王のもとに配下が赴き、執務を行うのが当然!」みたいな主張をしてたけど。こうなった以上、諦めてもらうしかないね。いいじゃん、王様が足を運んで行う国政も悪くないと思うぞ、オレは。


 とにもかくにも。


 建設工事は領民たちに任せることになった――というより、手を出すなといわれた――ので、完成を待つばかりだ。戴冠式はこれができあがってからになるかなあ。


 現場で働くみんなに激励の声をかけたオレは、くるりときびすを返し、今度は市場の反対側に足を運んだ。


 ロルフたちと相談していた、もうひとつの施設の様子を確認するためである。

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