331.義父と説得
「準備を頼むぞ、じゃねえよ、オッサン」
我に返ったようにしてクラウスは首をすくめてみせる。
「龍人族の国はどうする。退位したばかりの前国王が他国に引っ越しとか前代未聞だぞ」
「それを言うならそなたも変わらぬではないか。ハイエルフの国の前国王であったろう?」
「オレは退位して結構経ってるから問題ねえんだよ。しかも、アンタんとこは世襲制だろうが。実の息子より義理の息子の顔を立てるような真似は控えろって」
クラウスの指摘はまさに正鵠を射ており、ジークフリートが引っ越してくることで混乱が生じるのは想像に容易いのだ。それがわからないお義父さんではないと思うのだが、何がどうして『賢龍王』を引っ越しへと駆り立てるのか?
「ここに住まいを構えれば、いつでも好きな時にカオルと会えるではないか」
真剣な面持ちで呟くジークフリートに、オレとクラウスは再び絶句した。嘘偽りなく本気の口調である。
「それにだ。大陸将棋協会の本部もここに移そうと考えておってな。フライハイトは交易都市であるから、他国へ将棋を普及するのにも都合がよい」
つまりはこういうことですか。天秤の片方にカオルと将棋、もう片方に龍人族の国の未来を乗せた結果、前者のほうがより重かったと。お義父さんはそう言いたいんですね?
「うむ。わかってくれて
ガハハハハという豪放な笑い声を耳にしつつ、無言で視線を横にずらした先に、今度は肩をすくめてみせるクラウスの姿が見えた。本当に『賢龍王』と呼ばれた傑物なのかと言いたげな表情で、首を左右に振っている。
いやはや、どうしたもんかなあ? 若干のうざったい気持ちがなきにしもあらずだけど、義理の父親が引っ越してくる分にはこちらとしても問題ないのだ。
この際、大問題になるのはお義父さんの立場である。仮に引っ越しが実現したとして、周りはどのように考えるだろうか。実の息子が王の座を継ぐにもかかわらず、これから国を興そうとしている義理の息子こそ、真の後継者であるという印象を与えるに違いない。
結果、オレはますます殿下から嫌われ、龍人族の国との関係も悪化する、と。まったくどうして建国前から敵を作らにゃならんのだというのが本音であって、とにもかくにもお義父さんに引っ越しを思いとどまってもらうべく、オレは脳細胞をフル回転させたのだった。
そうして説得の糸口を探すこと数秒の後、人物録の一ページにたどり着いたオレは、楽しげにこれからの日々を語っている義父に向き直って、尋ねるように口を開いた。
「引っ越しについて、エリザベート王妃はどのようにお考えなのですか?」
呟いた固有名詞に、一瞬、戸惑いの色をにじませたものの、ジークフリートはそれをかわそうとするように語気を強めた。
「あれは関係ない。これはワシの問題だからな。考えるも何もないだろう」
「いやいや、そういうわけにはいきませんよ。王妃も以前からカオルと遊びたいと仰っていました。いずれはここに住居を構えたいお考えでしょう」
前半は本当だが、後半はもちろん嘘である。『夫人会』の代表でもあろうお人が、そう易々と引っ越しをするとは考えにくいからな。……もっとも、これまでの行動からするとそれもわからないが。
「そうだぜ、オッサンよ。シシィの姐さんもこっちに来たがってるんだからよ、夫婦揃って引っ越すのが筋ってもんじゃねえか?」
口車に乗るようにしてクラウスが続ける。『夫婦揃って』という言葉を強く発していたようにも聞こえたが、オレの勘違いか、それとも意図的だったのだろうか。
いずれにせよエリザベートの名前はこれ以上ないほどの効力を発揮し、ジークフリートは額に汗をにじませながら、それでも反論に転じようとしている。
「いや……、シシィも多忙の身ゆえ、相談せずともよいと思ったのだ。引っ越しを終えた後、事情を打ち明ければわかってくれるだろう」
「それはどうでしょう? 長年連れ添った相手が突然引っ越すんですよ? 別居と思われても仕方ないんじゃないですか」
「シシィの姐さんもショックだろうなあ。大切に思っていた旦那が勝手にどっかいっちまうんだもん。いわば裏切りだよな」
「違うっ! 断じて裏切ってなどいないのだ! ワシはただよかれと思ってだな……」
「よかれと思ってなら、王妃も引っ越しに誘うべきなのでは?」
「あ、あやつは……、ほら、国で仕事があるから……」
「夫人会代表の座を譲ってしまえば問題ないでしょう。国王が退位され、王妃もそれに倣う。譲位としてはこれ以上なく理想的な形ですよ」
「むう……」
「それともなにかい、オッサンよ? シシィの姐さんと一緒に引っ越しをしたくない理由でもあるのかい?」
「断じてそんなことはないっ! ないのだ! ただ……」
いろいろと煩わしい。そんな言葉を続けようとしたのかどうかはわからないが、ジークフリートは口をつぐむとそっぽを向いてしまった。ようするに図星だったのだろう。
とにかく、「引っ越しをするんだったら王妃と相談をしてからでお願いします」と続けるオレに、お義父さんは面白くなさそうに小さな頷きを返して席を立つと、
「……カオルと会ってくる」
そう言い残して、再びリアの寝室へと足を運ぶのだった。
荒々しい足音を響かせて立ち去る後ろ姿を見送りながら、オレとクラウスはどちらともなく顔を見合わせては、肺が空になるほどの深いため息を吐いた。
「まったく、人騒がせなオッサンだぜ」
友人の声に首肯して、オレは椅子の背もたれにもたれかかった。今日に限ってはなんとか説得できたけど、これで諦めるような人じゃないからな、あのお義父さんは。
ともあれ、火種を抱えるような事態は回避できたわけで、オレは心の中で祝杯をあげた。建国を前にして胃薬を常用するようになるのはゴメンだからなあ。
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