330.孫バカオジさんの来訪

 領主邸にやってきたジークフリートはリアの寝室に直行したっきり、しばらくの間出てこなかった。


 お茶を淹れに行ったカミラの話によれば、カオルを抱きかかえては離そうとしないそうで、あの厳つい顔が、孫の前だとどのような表情に変わっているのだろうかと想像を膨らませるオレとは対照的に、クラウスの反応は素っ気ない。


「だらしない顔になってるに決まってるだろうが。デレデレと目尻を下げてよ」

「そうだよなあ、そうなるよなあ」


 大陸の実に三分の二を支配下に納める大国の王なのだが、いまやその面影は皆無である。カオルに対する溺愛っぷりに肩をすくめていた矢先、噂をすればなんとやらといった具合に、“孫バカオジさん”は執務室にその姿を現した。


「タスクよ。ワシが贈った玩具が見当たらなかったぞ? あれではカオルが遊べないではないか」


 開口一番これだもんなあ。こちらとしては「贈ってくるのはいいんですけど、内容を把握していますか?」と問い詰めたい心境である。


「いやはや、大陸中にその名をとどろかす『賢龍王』も、赤子の前では形無しだなあ。みっとねえとは思わないのかい?」


 毒素を交えたクラウスの声にジークフリートは棘を含んだ口調で応じ返す。


「何とでも言うがよい。年端もいかぬ青二才には、家族が増える喜びがわからぬであろう」

「オッサンよ、ほどほどにしておいたほうがいいぜ? 愛情も過ぎれば毒になるからな。構い過ぎて挙げ句、カオルが駄目な大人にでもなってみろ。目も当てらんねえぞ」

「ワシとてわきまえておる。かわいがるのもいまのうちだ。成長するにつれて厳しく接するからな」


 近い将来、撤回するに決まっているであろう台詞を呟いて、ジークフリートはソファに腰を下ろした。


「で? ワシが贈った玩具類はどうした?」

「児童館を作って、そこに保管していますよ」


 児童館建設に至るまでの事情を説明するオレに、お義父さんは微妙な角度に眉を動かして、不満げに声を漏らした。


「カオルのためを思ったのだがなあ」

「お気持ちは十分理解していますよ。児童館があれば、同じ年代の子どもたちと一緒に遊べるじゃないですか。カオルの友達作りに役立ちますよ」


 そういうものかと首をかしげるジークフリートを見やって、らちがあかないと察したのか、クラウスはさりげなく話題を転じてみせる。


「そういやオッサン、退位間近で忙しいんだろう? 孫の顔見たさに抜け出してきていいのかい?」

「そうですよ。年末に退位の式典があるって言ってたじゃないですか。そっちは大丈夫なんですか?」

「ああ心配いらん。ワシが身を引くのがよほど嬉しいのか、文官どもが張り切って準備しておるのでな。ワシの出る幕はない」


 退位式は形式通りに進められ、式の間はほとんど動かない物置と化すのだ。自嘲気味に応じたジークフリートは、さらに語をついだ。


「それよりも息子アーダルベルトの即位式のほうが大変だろうな。各国から賓客を招いてもてなさねばならん」

「それって、当然オレも参列したほうがいいんですよね?」

「いや、それには及ばぬ」


 第一、招待状は発送済みだしなと苦笑いを浮かべるジークフリート。……発送済みって?


「額面通りに受け取れば、お前さん、あの坊やに相当嫌われてるな」

「誤解するな。国興しで大変だろうと、あやつなりに気を遣った結果なのだ。そういった低俗な判断ではない」

「口では何とでも言えるよなあ」

「クラウスもお義父さんも、そのぐらいで」


 なんだかんだで当事者はオレなんだし。しかしまあ、嫌われるような真似はしていないと思っていただけにちょっとだけショックというか、前に聞いた『殿下と相性が悪い説』が真実味を帯びてつらいというか。


 結局は知らない間に様々な思惑が複雑に絡み合っては、それぞれの立場を難しくさせてしまうのかね? 達観の気持ちでため息を漏らすと、ジークフリートは思い出したように口を開いた。


「即位と言えば、タスクよ。そなた、王笏おうしゃくと王冠の用意はできておるのか?」


 ……おうしゃく? 王冠はわかるけど王笏ってなんだ?


 頭上に疑問符を漂わせていた矢先、あっと声を上げたのはクラウスで「そういやすっかり忘れてたな」と続けるのだった。


「名前の通り、王様が持つ杖のことだよ。国興しも大事だが、これだけは前もって作っておかねえとな」

「そんなに大事なものなのか?」

「あったり前だろ? 国王の証だからな」


 なるほど、いわゆる玉璽ぎょくじみたいなものか。それは作っておかないといけないなと思ったものの、クラウスからするとぼんやりしていると思われたようで、


「マジで頼むぞ。国王になるって本人がしっかりしなくてどうするよ」


 と、苦言を呈されしまった。いやいや、ちゃんと考えてるから大丈夫だって。


「ふむ。まあ、建国までまだ日もある。慌てて事を運ばなくともよいだろう」


 フォローするように相づちを打ったジークフリートは、「それよりも、だ」と、改めてこちらを見やった。


「タスクよ、そなたに急ぎ頼みたいことがあってな」

「……? 急ぎ、ですか?」

「うむ。『来賓邸』なのだがな、いまあるものとは別で、早急にもう一軒用意してもらえないだろうか」


 来賓邸をもう一軒? しかも急ぎ? え……? 大勢のお客さんが来る用事があるんですか?


「いやいや、そうではない。現状の来賓邸はワシ専用で使っておるようなものだろう?」

「ええ、頻繁にお見えになるのでそうなってますね」


 実際、結構な量のお義父さんの私物が運び込まれているしね。と、しみじみ考える間もなく、「それだ」と会心の笑みをたたえてジークフリートはうなずいた。


「ワシは思ったのだ。すでに別邸となりつつある住まいがあるからには、新たな住居を建てるまでもなし。そこで暮らせばよいとな」

「ちょ、ちょっと待ってください。話が飛躍しすぎて何が何だか……」

「難しい話ではないのだ。単にワシがここに引っ越してくるので、来賓邸を住まいにするぞと。それだけの話よ」


 ……はい?


「引っ越し? え? お義父さん、ここに引っ越してくるんですか?」

「そう言っておろう」

「いまの来賓邸にはオッサンが住むから、もうひとつ来賓邸を作れ。そういうことか?」

「その通りよ。付き合いが長い分、理解が早くて助かる」


 ……なんか、ものすっごいデジャブなんですけど。数年前にも似たような話をした覚えが……。あの時はゲオルクが止めてくれたんだっけ? 国王たるものが国を離れてどうするだなんだと。


「それよ、もはや足かせがなくなるのでな。ワシも自由にさせてもらおうと考えたのよ」


 絶句である。オレもクラウスも、揃って口を開けたまま言葉をなくしている。ただひとり、上機嫌な賢龍王は、おそらく脳内で描き上げたであろう未来予想図の上を想像の羽を広げて飛び回ると、これ以上ないほどの喜びに満ちた口調で続けてみせた。


「退位式を終えたらすぐに引っ越すからな。それまでに準備を頼むぞ」

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