328.年の瀬と……(前編)

 壁に掛けられたカレンダーが十二月を過ぎたことを無言のうちに主張しているというのに、オレはといえば移りゆく時の流れを把握できずにいた。


 大小問わず、様々な出来事の連続が日付の感覚を狂わせていたのかはわからない。実際問題、ソフィアとグレイスが領主邸を訪ねてこなかったら年の瀬を実感できずにいただろう。


 執務室に姿を見せた二人の魔道士は「今年も例年通りに遠征許可をもらいたい」と告げた後、何かあったっけと言わんばかりに首をかしげるオレを見やっては深いため息をつくのだった。


「ちょっとちょっとぉ、たぁくんってばぁ。もうボケちゃってるのぉ? 夏と冬! 年に二回の遠征といえば目的はひとつしかないじゃない」

「……あ~。そうか、同人誌即売会か」


 いやあ、すっかり頭から抜け落ちてたな。カオルの誕生やら国興しやらでてんやわんやだった分、他のことに考えが至らなかったというか。


 とりあえず、遠征については問題ないので二つ返事で承諾しておいたのだが、気になる点がひとつ。


「エリーゼとマルレーネから、そういった話を聞かないんだけど。二人とも参加しないのかな?」

「私も気になって、話を伺ったのですが……。お二人とも今回も参加を見合わせるとのことでした」

「今年の夏も参加してなかったしぃ、ちょっと寂しいけどぉ、状況的には仕方ないかなぁって感じぃ?」


 妊娠中のリアを残して即売会に参加できない。そう言って、夏の即売会を回避してくれた二人なのだ。リアが出産を終えたいまとなっては、安心して参加できる立場にあると思うんだけど、どうやらカオルの世話をすることに重きを置いてくれたらしい。


「即売会は逃げないしぃ、エリエリもマルマルもそのうち戻ってくるでしょ」


 そう言って領主邸を去って行く魔道士たちを見送りながら、オレはその足でエリーゼの元に足を運んだ。カオルの件で気を遣わせてしまっているようなら申し訳ないなと考えたわけだけど、ふくよかなハイエルフはいつも通りの柔らかな笑みをたたえ、静かにかぶりを振ってみせる。


「も、申し訳ないなんて思わないでください。ワ、ワタシが勝手に出ないと決めただけなので……」

「でもさ」

「そ、その、いまは同人誌よりもカオルのお世話をするほうが楽しいといいますか。ワ、ワタシが産んだわけじゃないですけど、実の息子みたいに思えるっていいますか……」


 ほわわと表情を崩したハイエルフの妻は心の底から嬉しそうに呟いた後、両手をもじもじさせて頬を赤らめた。


「そ、それに、今のうちに赤ちゃんのお世話に慣れておいたほうが、ワ、ワタシとタスクさんとの間に赤ちゃんが産まれたときにも困らないかなって」


 そう言って、チラチラとこちらを伺うエリーゼってば、もう超絶カワイイ以外の何者でもないわけですよ。思わず抱きしめちゃったもんな。


 医師であり、その筋では高名な触手系同人作家マルレーネも、エリーゼと同様、カオルのケアのために即売会の参加を見合わせてくれたのかと思いきや、こちらはまた事情が異なるそうだ。


「げ、原稿、間に合わなかったそうですよ。つ、ついこの間、直接、話を伺いましたし」


 毛布にくるまりつつベッドに横たわったエリーゼの声に、オレはマルレーネが遅筆でも有名だということを思い出していた。同人誌を作成する模写術士が悲鳴を上げるほど入稿が遅く、期日に間に合った際には奇跡とまで言われてたからなあ……。


 なるほどそうか、いわゆる原稿を落としたというやつなら不参加も仕方ないかと思いやりながら、オレは内心で少しだけほっとしていた。一人でも多くの医師に常駐してもらえるのは、領主としても安心できるからだ。


 ……ん? それについてはどうでもいい? なんでベッドの上で話を聞いてるのかって?


 …………。


 ……。


 ……まあいいじゃないか! いろいろあるんだよ、いろいろっ!


 コホンっ! それはさておき、だ。


 赤子つながりで、ミュコランの五つ子についても話しておきたい。しらたまとあんこの間に産まれた雛たちである。


 五匹とも健康そのもので、最近は住処から行動範囲を広げるためのトレーニングにいそしんでいる。当面は領主邸周辺を散策する程度にとどめているが、外は危険が伴うこともあって監督役が必要だろうと、ヴァイオレットが名乗りを上げてくれた。


 しかしながら、ストレートに表現するとポンコツとしか言いようのない監督っぷりに、オレは早々と後悔を覚えてしまったわけだ。帝国軍では名の知れた女騎士であったヴァイオレットが、ミュコランの雛たちに関わった途端、無能と化してしまうとは。


 一例としてあげると、雛たちがみゅうみゅうと鳴き声を上げているので、なにかあったのかと慌てて様子を見に行ってみたら、そこには鼻血を流しながら恍惚の表情で失神しているヴァイオレットがいたとか……。そういった場面に遭遇することが多く、これはよくないとヴァイオレットを解任しては、そのバトンをアイラに引き継がせたのだった。


 しらたまとあんこの面倒を見てきた経験もあってか、アイラの監督役は満点と表現するにふさわしいもので、おまけに雛たちが昼寝をする際には三毛猫の姿に変身してから寄り添うという光景も拝められることもあり、猫好きのオレとしては言うことなしである。


「私はそんなに乗り気ではないんじゃがな、猫になったほうがあやつらも落ち着くというんじゃ。仕方なしじゃ、仕方なし」


 食堂でビスケットを頬張る猫人族の妻はそう漏らしたものの、まんざらでもないと言った様子でおなかを満たすと、リアとカオルが待つ寝室へと足を向けた。いまのうちから親しんで貰おうと、今度はカオルの前で三毛猫に変身してくれるらしい。


 ちなみに。


 監督役を解かれた女騎士は当初こそ抗議を表明していたのだが、三毛猫になったアイラと雛たちが寄り添って昼寝をするのを目の当たりにすると、


「旦那様は素晴らしい判断をされたっ!」


 なんて感じで、見事なまでに手のひらを返すのだった。カワイイもの好きとして気持ちはわからなくもないけどね。


 ……そういえば。


 イヴァンから雛が産まれたら一度ダークエルフの国に連れてきてほしいって頼まれてたっけ? 雛たちのパートナー探しがどうとか……。気が早いと思うんだけどなあ?


 いずれにせよ、もう少し時間がかかるだろうけれど、その時が来たらヴァイオレットに護衛役を任せよう。なにせ『花の騎士』という異名を持つのだ、監督役が務まらなくとも、警備ならしっかりとその任務を果たしてくれるに違いない。


 もっとも、ダークエルフの国に着いて早々、ミュコランたちに囲まれてデレデレになるとかそういう心配がないでもないけど。……大丈夫だよな、たぶん……。

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