316.エリザベートの訪問

「よしよし。いい子ねぇ、カオル」


 エリザベートが胸元に抱いた赤子に慈しみの眼差しを向けている。


 毎回なんやかんやと騒がしくやってくる王妃だが、今回は『夫人会』を代表しての公的な訪問ということで、随行者を伴ってやってきた。来賓邸の外には十数名の兵士が、屋内には数名の武官が警護の目を光らせている。


 もっともエリザベートにしてみればそれが気に入らないらしい。毅然とした態度で、鉄壁よろしく、応接室の外を守る武官の耳に届かないぐらいの声でぼやくのだった。


「可愛い孫の顔を見に行くだけなのに、いちいち大げさなのよ」

「お言葉ですが、これでも護衛が少ないぐらいですわ」


 ウェーブがかった紫色の髪を揺らすように、ニーナがかぶりを振ってみせる。小さく漏らしたため息は、随行者に対する同情の色を帯びていた。


「陛下もシシィ様も、お立場をお忘れになられることが多うございますもの」

「あらいやだ、ニーナったら。まるで私が周りに気を遣わせているみたいじゃない」

「気を遣う側の立場で申しあげたまでです。いま一度、お心に留めておいていただければ幸いですわ」

「言うようになったじゃない。宮中から離れて、少しはたくましくなったかしら?」


 含み笑いの表情で応じたエリザベートは、抱きかかえていたカオルを慎重にリアに預け渡し、あらためてその顔を覗き込んだ。


「それにしてもおとなしいわねえ? 厳つい男が大人数押し寄せているっていうのに、泣き声ひとつあげないだなんて」

「普段から賑やかな人たちに囲まれていますから」


 ねー? と、同意が求めるようにリアがカオルに声をかけた。もちろん返事の声が発せられるわけもなく、カオルは母親そっくりのつぶらな瞳を祖母に向けている。


「ああ、そうそう」


 胸元で両手をあわせたエリザベートは思い出したように呟いて、「色々と言付けを預かっているわ」と続けるのだった。


「まずは魔道国にいるマルグレットから。『ご子息の誕生おめでとうございます。歌劇団の公演を披露できる日を楽しみにしております』ですって」


 なんでもカオルの生誕記念公演となるような、特別なプログラムを考えてくれているとのことで、マルグレットとヘルマンニは連日協議を重ねているそうだ。その知らせに、誰よりも強く反応したのはニーナで、興奮から瞳を輝かせてはエリザベートに詳細を尋ねている。


「知らないわよ。貴女ほど歌劇団の演目にくわしくもないし」

「そう、ですか……」

「こういうのは楽しみに待っていたほうが、ありがたみが増すってものよ」


 しょんぼりとした様子を慰めるように、エリザベートはニーナの肩に軽く手を置いた。誰よりも歌劇団の公演を楽しみにしている熱狂的なファンだからな。気になって仕方ないのだろう。


「それともう一人、伝言を預かっているわ」

「どなたです?」

「ウチの旦那、つまりはジークね。近いうちに遊びに行くから待っていろですって」


 本当はお祝いの品を持ってきたかったのだけれど。エリザベートはそう続けると、軽く肩をすくめるのだった。


「ほんとうはね、私も出産祝いを持ってきたかったんだけれど。あの人の張り切りようを見たら、少し気が引けてしまって」


 この部屋に入りきるかしらねえと、応接室を見渡すエリザベート。……ええ? そんなに大量の贈り物が届くんですか?


「子供用の衣類とか木馬の玩具とか、カオルが喜びそうなものを見かける度に次々と買ってくるの。保管するのも一苦労よ」

「それはなんというか、かえって申し訳ないといいますか……」

「いいのいいの。ジークにしてみたら、待望の男の孫が産まれたんですもの。せいぜい派手に祝わせてあげてちょうだいな」


 そういえば。前にもお義父さんから直接聞いていたっけな。孫はたくさんいるけど、全員女の子だって。


「そうなのよ。おかげで、宮中はちょっとした騒ぎになっているというか、ね」


 言葉を濁すエリザベートは、ややあってからこちらを見やり、そして決意を込めた声で問いかけたのだった。


「タスクさん。いい機会だからハッキリさせておきたいのだけれど」

「……? なんでしょう?」

「カオルはこの領地の後を継ぐ、そう考えていいのよね?」


 ずいぶんと唐突な質問だなあ。


 オレとしてはいまのうちからカオルの未来を縛るような真似はしたくないんだけど。この子だって、大きくなればやりたいことが見つかるだろうし、であればその希望を汲んでやりたいのが親心というものじゃないか?


 しかしながら、リアとニーナの考えはオレとは異なるようで、どちらともなく「もちろんです」と応じてはそれぞれに賛同を示すのだった。


「カオルが次の領主になれば、フライハイトの未来も明るい。ボクはそう思います」

「正統な後継者はお兄様の血を引くものであるべきだと私も考えます。この子が次の領主になることに、反対はございません」


 二人とも、どことなく焦った口調に聞こえるのは、オレの気のせいだろうか?


 いや、気のせいじゃなかった。程なくして王妃の口から語られる事実にオレは仰天する事となる。


「ええ、私としても、是非そうしてもらいたいのよ。そこでタスクさんの考えを聞こうと思っていたのだけれど……」

「どうしてですか?」

「龍人族の国の王は男系継承なのよ。でもほら、ウチの孫たちに男子はいないじゃない?」

「そうですね」

「そういった事情で、生まれながらにしてカオルは王位継承権を持っているの。それも、現時点で第二位」


 ちなみに第一位はジークフリートの嫡男であり、リアの異母きょうだいでもあるアーダルベルト殿下だそうだ。……え? ちょっと待って。


「……それってもしかして」

「そうなの。アーダルベルトの後に龍人族の国王となるのが、カオル――この子になるのよ」

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