315.美観地区の建設

 ある日のこと。


 カオルを抱きかかえたオレは、中庭の一角に足を運んだ。ミュコランたちの様子をうかがいがてらに、カオルを紹介しておこうと思ったのだ。


「ほら、カオル。しらたまとあんこだぞぉ。かわいいだろう?」


 桜色をしたつぶらな瞳が、まっすぐに二匹のミュコランを捉えている。何を見せられているのか理解はしていないだろうけど、自然と親しみを持ってもらえるように、いまのうちから見慣れておいてもらおう。


 交代交代で卵を温めているしらたまとあんこは、互いに首を伸ばし、カオルに顔を近づけては瞳をパチクリと瞬きさせた。こちらはカオルがオレとリアの子どもだと理解しているようで、揃って「みゅっ」と鳴き声を上げた。相変わらず賢い子たちだ。


 その光景に安堵を覚えているのは、ついていくと言ってきかなかった猫人族の妻である。もしも暴れたらどうするのじゃというのがアイラの主張で、


「しらたまもあんこも聡いが、デリケートな時期だからじゃのう。カオルになにかあったら一大事じゃ」


 と、万が一の可能性を提示するのだった。


 一方で、「あの二匹に限ってそんなことをするわけがないだろう?」と、逆転裁判よろしく「異議あり!」の声を上げたのは、女騎士である。


「しらたまたんとあんこたんが、そんな狼藉をはたらくわけがない! よろしい! 私が付いていって見届けようではないかっ!」


 そういった事情で、ヴァイオレットも同行することになったんだけど。ヴァイオレットにかんしては、ミュコランと会いたい一心からなんだかんだと理由をつけたんじゃないかと思われる。


 というのも、しらたまもあんこも卵を温める行為で精いっぱいだろうと。ヴァイオレットにかまっている余裕なんてないだろうと。そういう配慮から、「顔を出すのは極力控えてくれよ」とお願いしていたのだ。

 うん、これ以上なくガッカリしてたよね、ヴァイオレット。もう、しょんぼりって効果音が聞こえてきそうなほどの落胆っぷりですわ。


 で、そんな女騎士がいまどうなっているかと言えば、感極まったのか、静かに涙を流しては立ち尽くしている。なんかブツブツ言っているなと聞き耳を立てていると、


「我が生涯に一片の悔いなしっ……!」


 ……お前はラオウか? そんなにか、そんなにだったのか? う~ん、もう少し会わせる頻度を増やしてあげたほうがいいかなあ……。


「しらたまもあんこも、なにか困っていることはない?」


 気を取り直すように、ミュコランへ声をかけたのはリアである。出産を経験した影響なのか、ここ最近のリアは以前のような少年を思わせる闊達さではなく、女性らしい優美さが目立つようになった。


 穏やかなまなざしを向けられて、二匹のミュコランは「みゅみゅっ」と応じる。アイラの通訳によれば、「ご心配なく。大丈夫」ということらしい。


「なにかあったら遠慮なく言うんだぞ?」


 そう声をかけてから、オレはいつの間にか背後にたたずんでいる赤髪のイケメンを見やった。


「……で、なんでここにいるの?」


「おやおや、酷い言いようじゃないか、タスク君。美しい僕にふさわしい、美しい光景だなと感動を覚えていただけなのだがね?」


 前髪をかきあげてから、ファビアンは白い歯を覗かせてみせる。……まさか本当にそれだけのために来たんじゃないよな?


「もちろんジョークに決まっているだろう? 報告がてら立ち寄ってみたら、偶然美しい場面に出くわしたと、そういうわけサ」

「報告?」

「忘れたのかい? 僕は美観地区の建設責任者だよ?」


 ああ、なるほど、途中経過の報告かと諒解したオレは、抱きかかえていたカオルをリアに預けると、ファビアンを伴って執務室に足を運ぶのだった。


***


 美観地区の進捗は順調そのものといった感じで、すでに一部は領民たちに開放されているらしい。


 桜の樹木を受け付けた大公園と、パンの焼成施設、飲み物や軽食を販売する売店。先行して建てられたこれらに続き、公衆浴場が作られる予定だそうだ。


 ちなみに、売店の制服はベルによるデザインである。妖精や翼人族のカフェと同様に、可愛らしいものに仕上がった。この制服を着たいがために、働き手が殺到したという話も聞いている。


 おっと、いけない。話が逸れてしまった。肝心の歌劇オペラ座についてだ。


「オペラ座も建設に着手しているよ。もっとも、一番こだわりが強い施設だから、建て終わるのは一番最後になるだろうね」


 オペラ座の規模は領主邸よりも大きく、地上四階建てで、地下設備も兼ね備えている。巨大なホールはヘルマンニの要望によるもので、「このぐらいの規模が欲しいですな!」ということらしい。


 正直なところ、そんなに大きくしちゃって大丈夫かという不安がぬぐえない。領内で暮らしているは観劇に不慣れな人たちばっかりだぞ? 客席がスッカスカになったりしないかね?


「心配いらないさ。環境さえ整えば、自然と足を運ぶものだよ」

「そういうもんかねえ?」

「観劇に慣れる頃には、領内でも歌劇団が立ち上げられるかもしれないよ? その時が来た際にはこのファビアン、喜んで立会人として名を連ねようじゃないかっ!」


 可能性としてはありうるけれど、ずいぶんと気の早い話だな。とにかく、いまのところは美観地区を無事に完成させてほしい思いでいっぱいなので、事故がないよう気を付けて作業にあたってほしいとだけ応えておく。


 そうそう、オペラ座の建設にはニーナがサポート役についている。演劇に対する造詣が深いことから任せることにしたんだけど、「大いに助かっているよ!」というファビアンの返事を聞く限り、適任だったようだ。


 おかげでアルフレッドの負担が増えたらしく、愚痴をこぼす頻度も増加傾向にある。人材育成も併せて強化していかなければ。


 執務に育児に忙しい最中、フライハイトに珍しい客人がやってきた。


 王妃エリザベートが姿を見せたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る