312.跡継ぎ
「……オッサンよぉ、遠慮ってモンを知らねえのか?」
領主邸の食堂に顔を覗かせたクラウスは、大きなため息とともに開口一番呟くと、食後の紅茶を堪能しているジークフリートを見やった。
「出産が大変だってぇのはオッサンだってわかるだろうに。時間をずらしてくるとか、ちょっとは考えないのかね?」
心外と言わんばかりに孫バカおじさん……じゃなかった、賢龍王は反論する。
「なにを言う。身内相手に遠慮をするなど、それこそ水くさい話ではないか」
「時と場合を選べってんだよ。……ったく、俺だって気を利かせてたってのによ」
黒地に緑のラインが入った軍服に身を包み、クラウスはテーブルの一角に腰を落ち着かせた。艶のない銀髪を後ろで束ねると端正な顔立ちがより強調されて、少女マンガに登場する王子様感が七割増しになるなとか、ぼんやりと考えては、オレはあくびをかみ殺した。
「嫁さんたちはどうした?」
「寝てるよ、夜通し起きてたからな」
「お前さんも眠いだろ、タスク。今日は休んでリアと赤ん坊の側にいてやれや。執務は俺とアルでまとめておくから」
「ほう、珍しく殊勝な心がけではないか」
「こう見えても俺は人格者でね。
「ふむ。クラウスがこう言っておることだし、どうだタスク。執務がないなら、ワシと一局……」
「いやあ、さすがに頭がぼんやりしてますし、今日は止めておきますよ」
「そうだぞ、オッサン。将棋だったら俺だって指したいんだ。今日ぐらい休ませてやれよ」
ティーカップに紅茶が満たされていくのを眺めやりながら、クラウスは戦闘メイドにビスケットとナッツを頼んでいる。朝食がまだなら用意するけどと続けるオレに、ハイエルフの友人は首を左右に振った。
「いや、軽くつまむ程度でいい。それより、お前さんのそりゃ何だ?」
黒色の液体で満たされたカップに視線をやって、クラウスは怪訝そうな表情を見せる。
「コーヒーだよ。ほら、この前、焙煎機とミルを作ってもらっただろ? 早速、使ってみようと思ってさ。良かったら飲むか?」
「いらんいらん。人の味覚にケチをつけたかねえが、それだけはカンベン願いたいね」
紅茶に口を付けるクラウスを一瞬見やって、オレは視線を落とした。
味わいも舌触りも格段に良くなったそれを口に運び、カフェインの力を借りて眠気を追い払おうとしていた矢先、ティーカップを受け皿に戻したクラウスが、興味の色を瞳にたたえて口を開いた。
「んで? 子どもの名前は決めたのか?」
言い終えるのとほぼ同時に、戦闘メイドが運んできたお茶請けの皿から、ナッツを摘まみ口に放り込む。満足そうに頬張りながら、ハイエルフの友人は語をついだ。
「親友の俺を差し置いて、このオッサンを名付け親にしたとか、そんなこたぁねえだろ? なあ、タスク?」
……
子どもの名前は
「そうか、お前さんとリアの嬢ちゃんが決めたんだったらそれでいいさ」
予想外の反応だ。オレはてっきりお義父さんみたいに残念がるのかなと思っていたけれど、どうやらそういう気持ちはないらしい。
しかしながらお義父さんは自分と同じように無念の思いに浸ると考えていたのか、意外そうな表情をクラウスに向けると、賛同を求めるように呟くのだった。
「おい、クラウスよ。タスクとリアの子どもなのだぞ? 我々どちらかが名付け親になってしかるべきだと思わぬのか?」
「んなこといってもなあ。結局は当人同士が決めることだしよぉ。そこらへんの引き際は弁えているっつーか」
この件については年長者よりも年少者のほうが大人の考えを持っているようで、クラウスの返事を聞いた後、お義父さんは口の中で何かを呟くとそれらを飲み込むように紅茶を喉に流し込んでいる。
そんな賢龍王の姿には一瞥もくれず、クラウスはビスケットを手に取り、それをヒラヒラと動かしながら話を続けた。
「それで? カオルだっけ? その名前にはどういう意味があるんだ?」
「ああ、風薫るから取ったんだ。樹海の中の都市だからさ、自然と縁のある名前がいいかなって思ってね」
他にも候補として
そう付け加えて説明すると、「俺はいい名前だと思うぜ」とハイエルフの友人は感想を漏らした。
「カオル、いい響きじゃねえか。それに風薫るから取ったっていうのがいい」
「そうか?」
「おうよ。俺の『疾風』に通じるものがある。流石はダチだな、そこらへんよく考えてるじゃねえか」
友人の二つ名についてはまったく考えもしなかったもしなかったんだけど、まあ、本人が満足そうならそれでいいかとなにも言わずにコーヒーをひとすすり。
もてあそんでいたビスケットを皿に戻したクラウスは、頭の後ろで両手を組んで、思案するように宙へと視線をやった。
「しかしなんだな、これからが大変だな」
「育児だろ? 協力してやっていくよ」
「ちげえって。いや、それもあるけどよ。とりあえず、まずは赤ん坊のお披露目をしなきゃなんねえだろ」
「……お披露目? 誰に?」
「お前さんね……。領主の第一子だぞ? 領民たちに知らせなくてどうする」
呆れ半分に口を開いたクラウスは、数を数えるように指を折り、次々にやらなければいけないことを口にする。
「あとは生誕祭だろ? 関係各所から祝いの品が届くだろうからそれの返礼、『精霊式』に沿って祝福の儀を執り行わなきゃなんねえし……」
「まてまて。……え? そんなに慌ただしいのか?」
「当たり前だろ? いい加減、自分の立場を理解しろよ」
うーん、親しい人には連絡する必要があるとは思っていたけど、ここまで仰々しくなるとは完全に想定外だったな。そっとしておいてくれるのが一番のお祝いなんだけど、流石にそうもいかないか。
クラウスがやらなければならないことリストを次々と挙げていく中、それまで黙っていたジークフリートは割り込むようにして口を挟んだ。
「夫人会と宮中にはワシが知らせておこう。もっともシシィには妖精たちが知らせにいっているかもしれんが」
「おう助かるぜ、オッサン」
「なに、大事な跡継ぎなのだ。このぐらい造作もない」
「それもそうか、なんせ跡継ぎだからなあ」
示し合わせたように笑みを含ませる二人を見ながら、オレはオレで若干肩をすくめる思いに駆られたのだった。
産まれたばかりなんだし、領主の跡継ぎとかいくらなんでも気が早いだろ? それにこういうことは本人の気持ちが一番大事っていうか、他にやりたい仕事があれば、それをやったらいいんじゃないかと思うんだよな。
そんなわけで、現時点ではカオルを領主の跡継ぎにするつもりなどさらさらなく。盛り上がっている中、せいぜい水を差さないよう黙っていたんだけど。
程なくして、オレは思い知らされる。
二人が口にした跡継ぎとは、『領主の後継者』という意味ではなく、『龍人族の国王としての後継者』であるという事実に。
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