311.命名
難産とはいわないまでも、リアが長時間の出産を終えた後、オレたちはといえば仮眠を取っていた。
全員が全員、緊張という鎧を全身にまとい、一晩中起きていたのだ。それから解放された途端、程なくして襲いかかってきたのは睡魔だった。
リアだけでなく、オレと四人の姉妹妻が等しくベッドとの時間を共有する最中、眠気と無縁の面々もいた。カミラたち戦闘メイドと、クラーラにマルレーネだ。
クラーラとマルレーネは、産後の経過と赤子の様子を看る必要があり、「これも仕事のうち」とばかりに、ところどころ血に染まった白衣を取り替えてはリアに付き添ってくれている。ありがたい話だ。
駆け出し医師のジゼルは疲労困憊といった感じで、クラーラから追い返される体でフラフラと自宅に戻っていった。長時間、ジゼルも気を張り詰めていたことだろう。ゆっくりと休んで欲しい。
特異性を感じたのはカミラをはじめとする戦闘メイドだ。まるで睡眠の必要性を感じさせないほど、普段と変わりない機敏な動きと明晰さは、もはや感心を超えて、異常さを覚える。
「ご安心ください。戦闘メイドたるもの、日々鍛錬を重ねておりますので」
心配するオレにカミラは一礼して答える。……何の鍛錬だよ、一体……。徹夜は身体に良くないぞ?
とはいえ、誰かしらが起きていなければならないのもまた事実なわけで、交代交代で休息を取るようカミラに命じ、オレは寝室に足を伸ばした。思考がぼやけて、目がシパシパする。最低でも二時間ばかりは眠りたい心境だ。
「かしこまりました。ジークフリート様や関係各所には、妖精を遣わせて一報を届けさせます」
ああ、そうか。色んなところに連絡しないとな。特にお義父さんなんか、産まれてくるのを今や遅しとムチャクチャ楽しみにしていたみたいだし、ココに頼んで真っ先に知らせてあげてくれ。
指示を与えてベッドに潜り込み、夢の世界の住民になろうとしていた、その矢先のこと。やけにバカでかい衝撃音が寝室中に鳴り響き、オレは不本意ながらも現実の世界に引き戻されてしまった。
やがてその衝撃音がドアをノックしている音だとわかると、オレは重たい身体を引きずるようにして寝室の扉を開ける。
「カミラ? 何かあったのか……?」
だがそこに、見目麗しいメイドの姿はなく、代わりに視界を支配したのは厳ついオッサン――つまりはジークフリートの極上の笑顔で、こちらを見るなり義父は両手を広げると、力一杯にオレを抱きしめたのだった。
「でかした! でかしたぞ、タスク!!」
一切の加減を知らない腕力で、ジークフリートはバンバンと背中を叩いている。そりゃもう、眠気なんか一気に覚めるさ。すぐ隣には恐縮の面持ちで控えるカミラがいて、表情から察するに、お義父さんを止められなかったんだろうなあと一瞬のうちに理解した。
「お義父さん、痛いですって!」
「ガハハハハハハハハ!!!! スマンスマン!!! 喜びのあまり力が入ってしまったわい」
オレを解放したジークフリートは豪快な笑い声を上げ、ついうっかりといわんばかりに片手を頭にやった。
「それでっ! ワシの孫はどこにいるのだ!?」
「そんなに急には会わせられませんよ。産まれたばかりなんですし」
「そのぐらいワシとてわかっておる! なにも赤子を抱こうというわけではないのだ、一目見るだけでも良いから、なっ?」
とはいえ、リアも疲れているだろう。寝室に入るのは気が引けるなと考えていると、カミラが「恐れながら」と間に割って入った。
「ジークフリート様のご訪問により、リア様もお目覚めです。わずかなお時間でよろしければ」
……ああ、なるほど。多分だけど、賑々しくやってきたおかげで目が覚めちゃったんだろうなあ……。お義父さんの喜ぶ気持ちはわかるけど、そこらへん、もうちょっと配慮してくれてもいいんじゃないか?
「うむ、流石は一流の戦闘メイドだ。配慮も行き届いておるっ」
満足の声を上げるジークフリートに、こちらがいま、配慮を求めているのはアナタなんですけどねとは言えず、先頭を切って階段を降りていく義父の後を追うように、オレは渋々と後に従ったのだった。
***
真っ白な布に包まれた赤子が、マルレーネに抱かれて、すやすやと寝息を立てていた。
血色を取り戻しつつあるリアが穏やかな瞳でそれを眺め、ジークフリートはこれ以上ないほどに目尻を下げては孫の様子を伺っている。
「かわいいのう……。目元なんかワシそっくりじゃ」
「お父様」
「ん? 何じゃ、リア?」
「それだけはないです」
にこやかに一刀両断する妻と、それでも「いやあ、ワシに似ておると思うがのう?」と譲ろうとしない引き下がらない義父との関係性に、血筋は争えないなあとしみじみ考えてしまった。やっぱり親子なんだなあ。
「ボクはタスクさんに似ているかなって思うんですけど」
「オレにか?」
「はい、口元のあたりとか」
そうかなあ? オレとしてはむしろリアに似ていると思うんだよなあ。瞳なんてクリクリしてるし、整った顔は中性的な雰囲気を感じさせる。出会って間もない頃のリアそっくりだ。
結論、オレとリアの子、超絶カワイイ。
共通の見解を一致させたことで妥協点を見いだしたオレたちは、改めて赤子を見やった。
「の、のう? ちょっとだけ、ちょっとだけ抱くわけにはいかんかの?」
「ダメですよ、お義父さん。見るだけって約束したじゃないですか」
「そうですよ、お父様。そのうち、好きなだけ抱っこできますからガマンしてください」
オレとリアの言葉に、無念さを滲ませたジークフリートは、いつになく肩を落とし落ち込んだ顔をしている。……そんなに、そんなにですか、お義父さん?
この分だと"将棋おじさん"という異名も、そのうち"孫バカおじさん"に取って変わりそうな様子に内心で苦笑を漏らしていると、ジークフリートは表情を改め、思い出したように呟いた。
「そうだ。名前だ、この子の名は何というのだ?」
……あ~、やっぱり尋ねてきたか。やけに期待に満ちた目をしてるなあ。自分が挙げた候補の中から選ばれている自信しかないって顔だもん、あれ。
オレは視線を転じ、リアが頷いたのを確認してから、再びジークフリートを見やった。
「オレとリア、二人で相談して決めました」
「そうかそうか」
「お義父さんが挙げてくれた名前も候補だったのですが」
「……選ばなかったのか?」
しょんぼりとした呟きに若干の罪悪感を覚えながらも、オレは胸を張って義父に応じた。
「お気持ちは嬉しいのですが、やはり自分たちで決めたいな、と」
「ふむ、そうか……。いや、ワシも押しつけるような真似をして悪かった」
それで、どのような名を付けたのだ? と、ジークフリートは言葉を続ける。促されるように、オレは口を開いた。
「『風薫る』から取って、薫――カオルといいます」
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