【書籍第3巻発売記念SS】ある女騎士の苦悩

 ベッドに身体を起こし、窓に視線を向ける。外に広がるのは一面の花畑と、そこで舞うようにして飛び交う妖精たちで、一瞬、私は夢の中の世界にいるのだろうかという不思議な感覚に囚われた。


 樹海の中にあるという、この領地で目を覚まし、どれほどの時間が過ぎたのだろうか?


 兵たちが剣を突き合わせ、大地には血肉が飛び散り、至る所で炎と煙が立ちこめる――ついこの間まで、そんな中を飛び回っていたのが信じられなくなるほど、ここは平穏だ。


 大陸に無用な戦火をもたらした帝国。その国の竜騎士団に所属している身の上にもかかわらず、ここの人たちは私たちに温かく接してくれている。聞けばフローラも同様に良くしてもらっているらしい。本当に感謝しかない。


 先日もこの土地を治める領主殿から亡命を勧められた。これからは軍人としてではなく、いち領民として力を貸して欲しいそうだ。捕虜として扱うのが妥当だというのに、まったく不思議なお人だ。それとも異邦人ならでは発想なのだろうか。


 私はしばらく想像にふけった。領主殿のお言葉に甘え、ひとりの領民として開拓に従事し汗水を流す。その傍らには愛らしくしっぽを揺らすアイラ殿、花園を飛び交う妖精たち――。


 現実の世界に戻るため、私は頭を左右に振った。我ながら虫が良すぎる妄想だ。大量の血に汚れた手で草花や作物を育てるなど笑止千万。私にそのような資格などありはしないのに。


 ……帝国に帰るか。そして己の罪を償う、きっとそのほうがいい。ここで暮らす人々に迷惑はかけられない。


 問題はフローラだ。せめてあの子だけでも、平穏無事な人生を送ってもらいたいが……。私が帰ると言い出せば、あの子はきっとついてくるだろう。


 あの子まで罪を被る理由など、どこにもない。あの子は私に従っただけ、いわば強制された身だ。だからこそ、ここに留まってほしい。


 ……駄目だな。どう説得しても、私についてくる未来しか想像できない。ああ見えて、頑なな一面もあるし、どうしたものか。


 妙案が浮かばないまま、私は再び窓の外を見やった。すると、散歩に来たのだろうか、花園の一角にアイラ殿の姿が見える。


 ふふ、可愛らしい猫耳だ。本人を目の前にしては言えないが、あのふかふかなしっぽもたまらないふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!??


 えっ!? なに!? あのアイラ殿の後ろをぴょこぴょこ歩く、二匹の愛らしい生き物はっ!?!?!? えっ!? 知らない! 私、あんな可愛らしい生き物見たことないっ!!!


 はぁぁぁぁぁぁぁ、遠くからでもわかる! 私にはわかるぞ! あの二匹のもこもこふわふわな毛並み! い、いったい何なのだ、あのけしからんまでに可愛らしい生き物はっ! て、帝国でもあのような生き物を見たことがないぞっ!!!


 それにしても、フフフ……一生懸命、よちよちと歩いているじゃないか……。アイラ殿を母親だと思っているのかな? フフ、実に愛おしく……可愛らしいでしゅねえ?


 あっ、そんなに慌てちゃ駄目でしゅよぉ? ころんだら痛い痛いでしゅからねえ? ちゃんと足元をよく見て歩いて……。


「……ヴァイオレット様?」


 はっ!? いかんいかん! 軽くよだれが流れ出ていた! 慌てて拭い取り、私は声の主に視線を転じる。


「フローラか。どうした? なにか急用か?」

「いえ、そういうわけではないのですが、お身体の具合はどうかと想いまして……」


 赤毛の少女はそう呟くと、ベッドに近づき、私と同じように窓の外を見やった。


「何を見ていらっしゃったのですか?」

「い、いや、別に?」

「ああ、もしかして、あの二匹の鳥ですか? アイラさんの後ろについて歩く……」

「知っているのかっ!?」


 いかん、欲望が抑えきれず、フローラの言葉尻を遮ってしまった。ここは努めて冷静に……。


「んんっ! その、見慣れない生き物だったからな。つい気になってしまい」

「ミュコランという動物だそうですよ。なんでもダークエルフの国から領主様に贈られた鳥だとか。名前は確か、しらたまとあんこだったような?」

「しらたま……。あんこ……」


 私は、再度、想像にふけった。しらたまたんとあんこたんのもふもふふわふわを堪能しながら、領民として暮らす日々……。めくるめく甘美な世界。


 悪くない。というより全然アリだな。うむ、このまま帝国に帰るところでフローラもついてくるだろうし。


「そういえば」


 思い出したようにフローラは呟いた。


「あとでアイラさんがお見舞いに来られるらしいですよ。しらたまとあんこを連れて」

「なっ!!!!!!」


 な、なんということだ! まさかこんなに早く、もふもふふわふわを堪能できる時が訪れようとはっ!


 しかし、あのもふもふふわふわ具合を一度でも味わってしまったら、私はきっと、この地から離れられなくなるのだろうなあ……。


 ……そうなる前に、亡命してしまおう。うん、そのほうがいい。そうすればフローラも安心するだろうしな。決めたぞ、そうしよう!


 その前に。


 まずはあのもふもふふわふわっぷりを堪能しなければな……! 待っていろよ、しらたまたん! あんこたん!

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