300.漆黒幻影樹海軍

「アーダルベルト殿下のことですわね」


 誰よりも早く反応したのはニーナで、頷いて応じたクラウスは再びソファに腰を下ろした。


「ガッチガチの保守派だからな。相性も良くないだろ」

「クラウス様のお考えはもっともだと思います。殿下は守旧派である重臣たちから信任を得ているようですし」

「な? そう考えるのが妥当だろ?」

「しかし、だからといって締め付けが厳しくなるという話は突飛すぎるのでは?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話題についていけない」


 そもそも、そのアーダルベルト殿下って誰だよってところから説明してもらわないと、こっちはワケがわかんないんだって。


 オレの問いかけに、クラウスは紅茶で喉を潤してから、渦中の人物について教えてくれた。


 『賢龍王』ジークフリートと王妃エリザベートの間に生まれた嫡男であり、王位継承権筆頭でもある人物。それが第一王子アーダルベルトだそうだ。……なんだ、義理のお兄さんにあたる人なんじゃないか。


 率直な感想を漏らすオレを見やって、ハイエルフの前国王は苦笑いを浮かべた。


「それ、間違っても本人の前で言わないほうがいいぜ?」

「なんで?」

「向こうが、お前さんを義理の弟だなんて考えたことがねえからだよ」


 保守思考と伝統重視。アーダルベルトという人の性格を表現するには、この二言で事足りるらしい。


 父親であるジークフリートが開明改革の人であったにも関わらず、血を分けた実の子がなぜそのような考えを持つに至ったのか? 専属の家庭教師が重度の前例尊重主義者だったのだとか、側近を担う古参の重臣が実は古典的伝統主義者だったのだとか、色々と噂が絶えないものの、クラウスはそれらの見解を否定した。


「反面教師ってやつだな。ほら、肝心の父親がアレだろう?」


 脳裏に厳つい顔で将棋盤に向き合うジークフリートの姿を思い描くと、クラウスもそれに感応したようだ。


「自由奔放な父親を持つと、子どもが苦労する。いつの時代も理屈は変わんねえよ」


 そう言って、かぶりを振って見せるのだった。えぇ~? オレからすると、ジークフリートは相当にいい父親だと思うけどなあ?


「皇太子の立場となりゃ、また違うだろ。偉大な賢龍王の跡目を継ぐなら、父親以上の実績を残すか、父親の築いた財産を守らにゃならん」

「保守的な考えを持つようになったのは、その辺りが原因なのか?」

「さあな。ただひとつ言えるのは、父親に似ず、幸いにもクソ真面目に育っちまったってことでよ」

「はあ」

「ま、性格がそのまま人格形成に直結したんだろうさ。創造性や柔軟性に欠けるっていうか、とどのつまり、つまんねえヤツなんだわ」


 友人の子どもを酷評した挙げ句、ハイエルフの前国王はため息交じりで呟いた。


「ここだけの話だがな、タスクよ。お前さんに対するアーダルベルトの評価も、正直あんまりよくねえぞ?」

「なんでだよ? 何もしてないだろうが」

「それがよくない。かつての異邦人ハヤトのように、お前さんが知勇兼備の人だったら、アーダルベルトも信仰の対象として尊敬していたんだろうが……」


 微妙な表情のクラウスに、アルフレッドたちが同意する。


「できることなら、のんびりだらだら過ごしたい。それがタスクさんの本心ですからねえ?」

「権力に固執しない。それが我が主の美点ではないですか」

「そうです。お義兄様にはお義兄様の良さがありますわ。伯爵位にいながら堂々と怠けたいと宣言されているのですよ? いままでの貴族社会ではあり得なかった、斬新なお考えだと思われませんか?」


 いやはや、こんなにもさんざんなお褒めの言葉をいただいてしまうと、感涙を禁じ得ないね。どれもこれもあってるだけに言い返しようがないけどさ。


「まあ、そんなワケでだ」


 一同の言葉を受けて、クラウスは総括する。


「保守派の次期国王と相性はよろしくないだろうなってのが、俺の結論。ジークのオッサンが相手だったら、フリーハンドで好きなようにやらせてくれるんだけどなあ」

「それが軍隊の増員を急ぐ理由か?」

「アーダルベルト当人だけならまだしも、取り巻きがなあ……。古くからの重臣たちが後ろ盾についてるのがよろしくないんだわ。あいつら、なんとなく気に食わないって理由だけで、イチャモンつけてくるような連中だし」


 対照的にジークフリートは若い文官や武官に支持を得ているらしく、なるほど本当に対極的なんだなという事情が垣間見える。


 銀色の長髪をかき上げて、クラウスはさらに続けた。


「シシィの姐さんに関係を取り持ってもらうってのも考えたんだがなあ」

「ああ、夫人会か。それもいいじゃないか、きっと助けになってくれるだろう」

「魔道国の一件を忘れたか? 貸しを作ったら作ったで、あの姐さん、遠慮なく面倒事持ってくるぞ?」

「対応に追われるのだけは避けたいですねえ」


 アルフレッドは首肯するものの、「それでも、現状、割ける人員は限られますよ」と念を押すのだった。


 ふ~む、なるほどねえ? とりあえず、政治が絡むと色々厄介になるって事はわかったわ。クラウスが焦る理由もな。


 しかしまあ、そういった事情を踏まえた上でも、個人的にはガイアの要望を聞き入れてやりたいってところではあるんだよね。前々から相談を受けてたしさ。


「アルフレッド。無茶を承知で頼むけど、治安警察と軍隊に割ける人数を百人に増やしてもらえないか?」

「……本当に無茶なお願いですね」

「その内、五十人を治安警察の増員にあてて、残りの五十人を軍隊に回そう」


 オレがそうまとめると、治安警察の長であるガイアは御意と頷き、軍隊の長となるクラウスは声を荒らげた。


「おいおいおいおい! マジかよタスク! たった五十人で何が出来ると思う? ピクニックにでも行けっていうのか?」

「気持ちはわかるけど、ウチが軍事行動を起こす理由もないだろ? 量より質。当面は少数精鋭でやってくれ」

「クラウス様……。領主であられるお義兄様が判断を下されたのです。ここは従うべきかと……」


 諭すような少女の声に不満をあらわにしながらも、クラウスは引き下がってくれた。少なくて申し訳ないとは思うよ、オレも。でもさ、出来ることの限界っていうのがあるわけじゃんか? しばらくは辛抱してくれよ。


「そうと決まれば、軍の名称を付けねばなりませんな」


 話題を転ずるように、『黒い三連星』の異名を持つワーウルフが口を開いた。あ~、そういや前にも話していたな、そんなこと。


「はい。軍の名称は格式と威厳に満ちたものでなければなりません。できれば領主たるタスクさんが直々にお決めになるのがよろしいかと」

「オレが?」

「ええ。僕としては、以前提案された『蛇王炎殺黒龍軍』というのがよろしいかと」


 それだけは色々な方面から怒られそうなのでカンベンしてくれ。ネーミング、ネーミングねえ……?


「単に『フライハイト軍』じゃダメなのか」

「クソだせえ」


 すっかりと拗ねた口調でクラウスが断じた。そういうお前には何かいい案があるのか?


「この俺が率いるんだぞ? 『疾風』を取り入れたいところだな」

「恐れながら、それでは私兵団と変わりないかと思いますわ」

「あんだよ? それじゃあ、お嬢ちゃんに名案があるのか?」

「お義兄様の領地の軍なのですから、ここはやはりお兄様の名前を付けるのがよろしいかと。『タスクお義兄様をお慕いする親衛隊』というのはいかがでしょう?」

「却下だ却下。俺の『疾風』よりタチが悪い」

「『マッチョ道を追求する強者たち』というのはいかがでしょうか?」

「治安警察でやってくれ。軍隊にはいらんっ」


 ……クラウスに意見を求めたつもりだったのに、収拾がつかない様相を呈してきたな……。この様子だと名称を決めるだけども相当な日数がかかりそうだ。


 危機感を覚えたオレは、白熱する議論の中に、ひとつの提案を放り込んだ。


「たとえばだけど、領民から意見を募ってみるのはどうだろう? 自分たちで名前を決めたほうが、領民たちも親しみを持てるんじゃないか?」


 苦し紛れの発言だったにも関わらず、この意見はごくごく限られた一部ハイエルフの前国王を除き、多数の賛同を得ることとなって、早速、意見箱を用意する運びとなったのだった。


 ――数日後。


 意見箱の中は大量の紙で埋め尽くされ、大量の名称候補が集まる結果になった。


 その中でも特に人気だった名称がふたつある。『樹海軍』と『漆黒軍』がそれで、奇をてらわない名称に好感を抱いたオレは、そのどちらかでいいんじゃないかと思ったのだが、五十人の件をまだ根に持っているのか、クラウスは頑なに首を縦に振ろうとはしない。


「五十人って決まったもんはしょうがないんだから、規模についてはひとまず納得しろって」

「それについてはとっくに納得してるっつーの」

「じゃあ、なにがそんなに不満なんだよ?」

「俺の書いた意見が、候補に入ってない」

「……例の『疾風』か? そもそも意見箱に入ってなかったぞ」

「ちげーよ! 別の候補を出したんだって!」


 憤りにも似た声を上げ、クラウスは抗議の色を表情に滲ませた。……わかったよ、候補として聞いてやるから教えてくれ。


「『黒き闇より出ずる幻影戦士団』、どうだ? いい名前だろ?」


 ……名前の前と後に十字架マークがつきそうな軍隊名だな、おい。そんな中二病全開のネーミングを満面の笑みで披露されましても、ああハイそうですねとしか答えようがない。いや、クラウスが率いる軍隊だし、ちょっとは意見を反映させてやりたい気持ちもあるんだよ?


 でもねえ、それを受け入れちゃうとさあ、そもそも領民たちに意見を募った意味がなくなるわけでね。どうしたもんかなと思い悩んだ結果、オレは冗談半分に呟いてみせた。


「いっそのこと、全部混ぜちゃうとかどうだ? 例えば『漆黒幻影樹海軍』みたいな感じで……」

「タスク……」


 ゆらりと立ち上がり、クラウスはオレの肩を掴んだ。あ~、やっぱり怒るよなあ。語呂も悪いし、なにより適当だし……。


 そんなオレの予想を裏切って、クラウスは瞳を爛々とさせている。


「いいな、それ!」

「……はい?」

「ムチャクチャかっこいいじゃねえか! いやあ、流石は俺のダチだけあるぜ。決めるところはバシっと決めるもんなっ!」

「ええっと……?」

「よし、決まりだ! 今日から軍隊名は『漆黒幻影樹海軍』にするぞ! 早速みんなに知らせねえとな!」


 おおう、マジか、自分で言い出しておいてなんですけど、なかったことに出来ませんかね?


 考えてみればこれも十分すぎるほどに中二病なネーミングだし……って、あっ、すっげーいい表情で駆けだしていったな、クラウスのヤツ。そっかー、これはもう手遅れだなあ……。


 というわけで。


 クラウスが長を務めるフライハイト正規軍、『漆黒シュバルツ幻影ファントム樹海ヴァルトメーア 軍』が設立される運びとなったのだった。発足規模は五十人、「軍隊名に恥じない、精鋭たちにしてみせるぜっ!」とハイエルフの前国王は息巻いている。


 決定してから言うのもなんだけど、こんなノリで決めちゃっていいのかなあ?


 ……まあ、気に入ってるみたいだし、ヨシとするか……。

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