295.それぞれの夏(後編)

 初めて関わりを持とうとしている他国への派遣である。行政府に所属する人員から候補者をリストアップしようかと思案を巡らせていると、執務室のドアが勢いよく開き、オレの耳を高らかな笑い声がつんざいた。


「ハーッハッハッハッハー! 話は聞かせてもらったよ、タスク君っ! 随分とお悩みのようじゃあないかっ!」


 赤い長髪をかき上げながら登場したファビアンは執務机に歩み寄り、大仰にポージングを取ってみせる。


「お悩みって……、何のことだ?」

「決まっているだろう⁉ 魔道国への使者についてサ!」


 ……どうしてそれを知っているんだと尋ねるよりも早く、ファビアンの背後から足音も立てず、もうひとりの人物が姿を現した。


「申し訳ございません、タスク様。私が不覚にもこのナルシシストに情報を漏らしてしまいまして……」


 そう言うと、戦闘メイドのカミラは『後悔』という題名のついた彫刻さながらに全身をこわばらせ、眉間に見事な縦皺を一本刻んでみせる。


くだんにつきましてハンス様にご相談していた折、ファビアン様ド変態めがどこで聞き耳を立てていたのか、我々の会話へ勝手に割って入り」

「アーッハッハッハー! カミラは相変わらず照れ屋さんだなあ! 妙な当て字などせず、その愛らしい声でボクの名前を囁いてくれていいんだよ⁉」

「大変失礼いたしました。『マゾヒスト龍人族』もしくは『勘違いクソ野郎』とお呼びした方がよろしいでしょうか?」

「ハッハー! これは辛辣っ! しかしわかっているよ! それも愛情の裏返しだってねっ!」


 はぁぁぁぁぁと一際大きく深いため息を漏らし、カミラは頭を振った。なるほど、事情はわかった。……で? オレが悩んでいると知ったファビアンは名案でも持ってきてくれたのか?


Exactlyイグザクトリーだよ、タスク君! 魔道国への使者だがね、このボクがその任を受けようじゃないかっ!」

「……はい?」

「みなまで言わなくていいんだっ! 心の友であるボクに負担をかけないよう、遠慮して声をかけなかったというキミの気持ちは痛いほどよくわかるともっ!」

「いや、最初から候補にしてな」

「しかぁし! ボクも誇り高き龍人族の一員!」

「話を聞けよ」

「何を隠そう、ボクと魔道国には浅からぬ縁があるからねっ! 使者の役割はうってつけというワケさっ!」


 いま一度、話を聞けよというツッコミを入れるべく口を開きかけたものの、ファビアンの発言には聞くべき点があり、オレは先程とは異なる言葉を赤毛のイケメンに返した。


「ちょっと待て。浅からぬ縁があるっていうのは、知人や友人がいるとかそういうことか?」


 それなら事情が変わってくる。ファビアンを窓口に魔道国との折衝せっしょうを一任するのがベストなのではと考えたのも束の間、白い歯をキラリと覗かせながらファビアンははっきりと言い放った。


「誤解しないでくれ、タスク君! いくらボクが華麗で優雅であっても、魔道国に知り合いがいるはずないじゃないか!」

「はあ?」

「考えてもみたまえ。龍人族の国と国交があるとはいえ、向こうはほぼ鎖国状態の国家なのだよ? ボクが気軽に出入りできるわけがないだろう?」


 同時にカミラから、「コイツ、一発殴ってもよろしいですか?」というアイコンタクトが送られてくる。気持ちはわかるが早まるな。


「しかぁしっ!」


 戦闘メイドとの些細なやりとりには気がつかない様子で、ファビアンはさらに続ける。


「歌劇団の公演は何度か足を運んだこともあるし、こと芸術分野にかけてはフライハイトの中でも指折りの知識を持っているという自負があるのだよっ」


 つまーり! と、その場で一回転した後、ファビアンはビシッという効果音を響かせるが如く、オレを指さした。


「タスク君が望んでいるフライハイトでの歌劇団公演の件も、相手側の理解を得られる自信があるわけだねっ!」

「それはまあ、嬉しいけどさ。あくまでメインの役目は技術提携についてのやりとりだぞ? そこらへんは問題ないのか?」

「愚問だねえ! 忘れたのかい? ボクは優れた芸術家であると同時に美しくかつ優秀なビジネスマンでもあるのだよっ? 技術提携など些末な事だねっ!」


 自信満々なのはいつものことなのでいいとして、暴走しないかどうかが心配なんだよなあ。……とはいえ、いつになくやる気になっているのは珍しいことでもあるので、ここは一旦ファビアンに任せるのもアリかもしれない。


 ともあれ単独で行かせるわけには行かないので、行政府の人材を何人か同行させよう。それと農業とエビの養殖の担当者を数名。そして何より、忘れてはいけない人物をひとり。


 早速、準備に取りかかろうじゃないかと上機嫌で立ち去っていくファビアンの後ろ姿を眺めやりながら、オレは一緒に出て行こうとするカミラを呼び止めて耳打ちした。


「ハンスに同行するよう伝えてくれないか? あ、ファビアンには出発直前まで内緒で頼む」

「かしこまりました」


 やり手の老執事が監視役になってくれるなら安心だ。カミラも正しく意図を理解したのか、穏やかな笑みをたたえてうやうやしく一礼してみせる。


 出発当日、ハンスがついてくることを知ったファビアンがどんな反応をするのか想像に難くなかったけれど……。いささか気の毒でもあるので、止めておこう、うん。


***


 王妃エリザベートの来訪以降、義父であるジークフリートが遊びにやってくる頻度は少なくなった。


 平均すると二週間に一度である。もっともハイエルフの前国王に言わせれば、二、三日に一度といういままでのペースを考えれば、あのオッサンも、国王としての立場をようやく弁えたんだろうぜ、とのことである。


「偉そうに、あの青二才めが。自分は国王の立場を一度たりとも弁えたことなどなかったではないか」


 来賓邸の食堂兼応接室に足を運びながら、この場にいないクラウスに反論すると、思い出したかのように表情を改めた。


「……そういえば。今回も頼まれてしまってな」


 宙に魔法のバッグを出現させて、中から色紙の束を取り出した『賢龍王』は、国王らしさを微塵も感じさせない表情と態度で、エリーゼのサインをねだるのだった。


「またですかぁ? 本業に支障をきたす量になったら困りますよ?」

「わかっておる! これっきり! 今回だけだ!」


 まったく同じ台詞を二週間前にも聞いたんですがね……? そう応じようとするオレの機先を制し、「おう、そうだ。こちらも渡しておかねばな」とジークフリートは一枚の書面を差し出した。


 それには男性の名前が十四個書かれていて、義父曰く、この秋に出産を控えるリアの子どもの命名案なんだそうだ。聞けば最近は一日必ず一つは――男子が産まれてくる前提で――命名案を考えるのが日課だそうで、来訪の度にその成果を渡してくるのである。


 で、ジークフリートだけならまだしも、「閃いたぞ、こんな名前はどうだ⁉」と、クラウスまで一日に一回は命名――こちらも男子が産まれてくる前提――の相談を持ちかけてくるものだから、赤ん坊が誕生するまでに数百個の名前が候補に挙がりそうだ。


「というか、そもそもですね」


 テーブルの上に将棋盤を広げながら、オレはぼやきにも似た苦情を漏らした。


「オレとリアの子どもなんですよ? 両親の意見を取り入れてもいいのでは?」

「同時に、我が一族の血を引く子でもあるわけだ。王族の血統を」


 王将の駒を盤面に並べ、ジークフリートは即座に応じ返す。


「王族の一員であれば、相応の地位に就く者が名付け親になるので慣習でな。そなたには悪いが諦めろというほかない」


 以前にクラウスが話していた冗談話というわけではなく、事実、ジークフリートという名をつけたのは祖父だったそうだ。時の権力者が名付け親となることで、赤子に箔付けをするという意味合いも込められているらしい。


 それにしても、だ。


 お義父さんにせよクラウスにせよ、女の子が産まれてくる可能性を一切考慮しないというのはどういう了見なのだろうか? 王族たるもの男児を産むべしという古からの伝承があるのだろうか? どっちでもいいじゃないとため息をつきたくなるね。


 あー、いかんいかん、気分が沈んできた。話題を変えよう。


「そういえば最近はなかなかお見えになりませんけど、執務がお忙しいんですか?」

「ああ、そういうわけではないのだが。年末に向けて雑務が増えてな」

「年末に何があるんです?」

「大した事ではない。ワシの退位式だ」

「……むちゃくちゃ大事おおごとじゃないですか」

「いや、あらかた予定は決まっておったからな。言うほど大層な話ではないのだ」


 確かに、息子さんに継がせるって話は聞いていたけど、具体的な日時までは知らなかったからなあ。改めて聞かされると驚いてしまうというか。


 聞けば、お義父さんの退位式が年末にあって、息子さんの即位式は年明けだそうだ。オレも参列しないとマズいよなとか考えていると、察したようにジークフリートが口を開いた。


「参列しなくともよい。そなたはここを治める役目があるのだからな。アルフレッドあたりに名代でも任せれば良かろう」

「これ以上、あいつに負担をかけたくないんですけどねえ」

「であればクラウスでもよかろう。とにかく、そなたが直接来る必要はないからな」


 ことさらに強調しなくても……。オレだって面倒なイベントは避けて通りたいし、参加しなくていいなら参加しませんよ。


「それよりだ。タスクよ、来年から大忙しになるぞ?」


 盤面に駒を並べ終えた義父は、強面に意味深な笑みをたたえてこちらを見やった。


「なんでです?」

「ようやく王位から離れられるのだぞ? これでようやく『大陸将棋協会』終身名誉会長としての手腕が発揮できるのだ! そなたにも手伝ってもらうからな?」


 まじまじとジークフリートの目を見やった。う~む、ヤバイな、ガチなヤツだぞ、これ。


 まずは将棋を普及させるため、大陸中を旅して回りつつ、各地に将棋会館を設ける……気の遠くなる話を聞きながら、オレは思ったね。それこそクラウスを同行させるのがベストなんじゃないかって。


 格式高い式典に参加しなくてもいいのに、事が将棋に及ぶと、領主の役割とかどうでも良くなるのは『賢龍王』として、いかがなものだろうか? ま、そこがお義父さんらしいといえば、お義父さんらしいんだけどさ。


 とにもかくにも、そんな目に遭わないためにも、いまのうちから手を打っておかなければ。とりあえずはエリザベートに事情をしたためた手紙でも送っておこうかな。あとできることは何だろうか? クラウスに相談するのは逆効果な気もするし……。


 ……と、余計な思案を巡らせながらの対局はやはり芳しいものとはならず。この日は見事なまでの完敗を二連続で喫し、いつになく上機嫌な義父の帰宅を見送る結果になってしまったのだった。

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