294.それぞれの夏(中編)
ソフィアがどんな同人誌を持ち帰ってきてくれるかという期待は、胸に秘めておくとしておいて。
他の同人作家たちはどうするのだろうかと気になったオレは、エリーゼの仕事部屋に足を運んだ。いまや『黒の樹海出版』が発行するマンガの看板作家となったふくよかなハイエルフは、イラスト入りサイン色紙を執筆している真っ最中で、こちらを見るなり、作業の手を止めて柔らかく微笑んでみせる。
「た、タスクさん。ど、どうかされたのですか?」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってさ。……というか」
机に積まれているサイン色紙の厚さを眺めやり、オレは思わず肩をすくめた。
「前と比べて量が増えてないか?
「え? は、はい。で、でも、今回はこれでも少ないほうですし……」
そうなのだ。このサイン色紙はすべて『賢龍王』ことジークフリートの依頼によるものなのである。
エリーゼが描くマンガが宮中でも人気を博していることもあってか、ジークフリートはこんな調子で自慢げに触れ回っているそうだ。
「ガハハハハ! 何を隠そう、その傑作は我が娘が描いているのだ! 義父として、サインのひとつやふたつ頼まれてやらんこともないぞ?」
で、本人の承諾もなしに、あちこちから安請け合いしてきては、エリーゼに直筆サインを懇願するのである。
「……エリーゼ、スマンがまた頼まれてのう……。いや、そなたが忙しいのはわかっておる! わかっておるのだが……、ワシも国王としての面目があってな? 無下に断れんのだ」
強面に恐縮の色を浮かべ、最高級の紅茶と焼き菓子を持参するジークフリートの姿はどうやっても『賢龍王』と呼ばれるものではなく。オレとしては頭を抱えざるを得ないのだが、心優しいハイエルフは嫌な顔を見せることもなく、毎回、その依頼を快諾するのである。
「あんまり増えるようならオレが断るからさ。負担に感じたら遠慮なく言ってくれよ?」
「あ、ありがとうございます。で、でも、わ、ワタシなんかのサインで皆さんが喜んでくれるのなら、こ、このぐらいたいしたこともないですし……」
穏やかな笑顔に癒やされつつも、これが際限なく続くようなら、お義父さんにも釘を刺しておかなければと心の中で決意を固める。まったく、自慢したい気持ちはわかるけど、少しは自嘲してもらいたいよ。
「そ、それで聞きたいことって、何ですか?」
「ああ、そうそう。いや、いまさっきまでソフィアとグレイスと話してたんだけど……」
そう切り出して、オレはエリーゼに同人誌即売会に参加するかどうか確認を取るのだった。人気マンガ家、あるいはパン作りの名人として知られるエリーゼではあるが、BL同人作家としての一面を知る人物は領内でもごくわずかだ。
そういうこともあり、部屋に二人きりという状況にも関わらず、エリーゼは周囲を気にするように視線を左右に動かした後、消え入るような声で囁いた。
「こ、今回は参加を見合わせようかと……」
「都合が悪いのか?」
「え、えっと、そういうわけではないのですが。リ、リアさんの出産が控えていますし……」
姉妹妻に何かあったら大変だから、できるだけ側にいたい、つまりはそういうことらしい。本当にエリーゼは優しい子だなあ。そんな子がオレの奥さんとか、幸せ以外の何者でもないね。
こんな些細な褒め言葉でも初々しく頬を染めるものだから、こちらとしてもますます愛おしくなってしまう。抱きしめたい衝動をグッと堪えていると、エリーゼは顔を上気させたまま、触手同人誌というごくごく限定された界隈で有名な、とある同人作家の名を呟いた。
「そ、そういえば、マルレーネさんも参加されないと仰っていました」
「そうなのか?」
「は、はい。リアさんの事が気になるそうで、今回は止めておくと……」
うーん、気を遣わせてしまったのなら申し訳ないし、一声かけておこうかと勤務先の病院を訪ねようとした矢先、領主邸一階のエントランスで、ばったりとマルレーネと顔を合わせることになった。
「これはこれはタスク様、ごきげんよう」
「マルレーネ? 今日はどうしたんだ」
「リア様の定期検診に伺ったのですわ。お忘れでしたの?」
「あ~……。言われてみたら今日だったな……」
「もう。お忙しいのはわかりますが、もう少し奥様を気にかけてくださいまし」
面目ないと頭を下げつつ、リアの体調を聞くついでに同人誌即売会について聞くべく、オレはマルレーネを誘って食堂へ赴いた。
***
「リア様なら心配なさることはございません。至って健康そのものですわ。栄養と睡眠をしっかり摂って、ご出産に備えていただければと存じます」
紅茶で満たされたティーカップに手を添えて、マルレーネが所感を述べる。
「あえて懸念事項を申し上げるのであれば、以前にも話したとおり、龍人族と人間族との間で子が産まれたという前例がないことです。恐らくは問題ないとは思いますが……」
そこまで口にするとマルレーネは考え込むような表情を浮かべ、ティーカップから離した手をそのまま顎へと持っていった。
「何か気になることが?」
「いえ。一瞬、思考が想像の範疇を超えてしまったものですので。どうかお気になさらず」
「そう言われるとますます気になるじゃないか」
あいにくカミラが不在とあり、別の戦闘メイドが紅茶を淹れてくれたのだが、こちらも鼻腔に心地よい芳香を届けてくれる。それを一口すすってから受け皿に戻すと、オレはマルレーネに話を続けるよう促した。
ご不快に感じられるかと思いますがと前置きすると、柔和で知られる黒髪の女医は、いつになく声を低めた。
「混血における弊害というものを考えたのです」
「弊害?」
「先天異常、いわゆる奇形児の可能性ですわ」
純血種同士の交わりではない子が、何らかの異常性を持って産まれてくる。もちろん、空論にしかすぎませんがと強調した上で、マルレーネはさらに続けた。
「医学書を調べてみたのですが、異種間における妊娠の場合、流産、あるいは死産の割合が高いという記録が残っております」
「…………」
「もちろん、そのようなことにならないよう、万全を尽くす所存ではありますけれど」
「ああ、よろしく頼む」
こればかりはその時になってみないとわからないけど、一応の覚悟はしておいたほうがいいぞということなのだろう。なるほど、マルレーネが即売会の参加を見合わせてまでリアの面倒を見てくれるはずだよ。医者としても不安を覚えるだろうからなあ。
「とはいえですね」
室内に漂う思い空気を入れ替えるように、マルレーネは柔和な表情を作ると、努めて明るく声を上げた。
「異種間における妊娠で、もうひとつ興味深い記録が残されておりまして」
それは天才児の誕生というものらしい。幼少期から極めて明敏、利発的であり、そういった素質を持った子どもらは、いずれも何らかの分野でひとかたならぬ業績を残してきたそうだ。
「タスク様とリア様のお子様ですから、可能性としてはむしろこちらのほうが極めて高いかと思われますわ」
「どうかな。リアに似たら賢い子になってくれそうだけどね」
オレとしてはとにかく母子共に健康であるのが一番なのだ。天才児じゃなくても、元気で健やかに育ってもらえたら、それだけで十分ってなもんですよ。
「ご心配には及びませんわ、タスク様」
「なにが?」
「どのような御子であれ、このマルレーネ。由緒正しき触手学については手ほどきできるという自負がございます。性癖も学問の一種でございますし、相応の年齢になった暁には学んでおいて損はないかとっ!」
「あ、ゴメン。それはとりあえず遠慮しておいてくれ」
わにわにと両手指を器用に動かす女医を手で制し、引き続きリアのことをよろしく頼むと頼み込んで、オレは席を立った。産まれてくる子どものためだけでなく、次世代の領民たちのためにも、フライハイトの未来を明るいものとしなければいけない責任があるのだ。
相変わらず空席のままである魔道国へ派遣する人物の選定を再考するため、オレはそのまま踵を返すと、執務室に戻るのだった。
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