293.それぞれの夏(前編)

 一日ごとに日の暮れる時間が遅くなり、軽やかな服装の領民が大半を占めつつある。乾いた熱を帯びた風が、時折、樹海から吹き込んでは、移りゆく季節の流れを身体に感じさせた。


 今年も夏がやってきたのだ。


 領主邸の一階にあるリア専用の寝室と化した応接室には、サキュバスの医師と助手のダークエルフが毎日のようにやってきては、賑やかな光景を作り出している。


「あっ! いま、赤ちゃんがリアちゃんのお腹を蹴ったわよっ!」

「エヘヘヘヘ。痛くないから大丈夫だよ」

「それにしても最近よく動くわねえ? これだけ元気だったら男の子かしら?」

「どうかな? ボクみたいにおてんばな女の子かもしれないし」


 ベッドサイドに腰掛けたリアは愛おしげな眼差しで、すっかりと目立つようになった腹部をそっと撫でた。中性的な顔立ちだった龍人族の王女は、ここ最近、柔和さを帯びた表情を見せるようになり、なるほどこれが母性というものかと思わず感心してしまうほどだ。


「あのね……。感心してる場合じゃないのよ? アンタも父親になるんだから、しっかりなさいな」


 リアを見る時とは一転、針でつつくかの如く、非難がましい視線がこちらに向けられる。


「わかってるよ。オレだって、父親になるぐらいの自覚はあるんだぞ?」

「どうかしら? そもそも、このリアちゃんのパーフェクトな姿を見て、なんとも思わないっていうのがおかしいのよ!」

「パーフェクトな姿って……」


 いや、そりゃ、オレにとっては元々パーフェクトですしね、妊娠したところでそれは少しも変わんないんだけどさ。ベルの作ったマタニティウェアだってよく似合ってて可愛らしいし。


「もうっ、もうっ! タスクさんってば! 恥ずかしいですっ!」


 キャーと赤面するリアをお構いなしに、わかってないわねとクラーラは深くため息を吐きながら、頭を左右に振った。


「いいこと? 美少女かつ天使のリアちゃんに、母親という新たな一面が加わるのよっ⁉ 神秘と神秘のマリアージュ! これぞまさにパーフェクトッ!」

「さいですか」


 ……そういやパーフェクトなんて言葉、滅多に聞かないよなあ。ガンダムでいうところの『パーフェクトジオング』ぐらい? なんて、ほんの一瞬だけ思ったりしたけど説明するのも面倒だし、なにより不謹慎なので黙っておく。


 クラーラの演説は続いた。


「いえ、これはもはやパーフェクトなんて言葉では収まりきれない奇跡の誕生といっても過言ではないわ!!! そうっ! 例えるならば女神っ! 我々はいま女神を目前にしているのよっ⁉」


 ふーむ、そろそろ頭上にチョップのひとつでもかまして正気にさせておこうかなんて考えていた矢先、師の高説に耳を傾けていたダークエルフの少女は爛々と瞳を輝かせては、サキュバスめがけて飛びついた。


「お姉様っ!」

「ゲフっぅ!!」

「私にとってはお姉様こそが女神っ! 唯一の存在なのですっ!」

「ジ、ゼル……体当たりするときは加減しなさいとあれほど……」

「え? なんですって? 自分もリアお姉様のように身ごもることで、新たな一面を発見したいとそう仰っているのですか⁉」

「ち、ちが……」

「わかってます! 皆まで言わないでください! お姉様の事は私が一番よくわかっていますから! そうと決まれば、さあ早速子作りを……」

「ちょ、アンタ、どこ触って……っていうか、どこ連れてこうとしてるのよっ!」

「へ? 研究所ですよぉ? あそこなら邪魔も入らず二人っきりになれますし♪」

「行くわけないでしょ離しな……アンタ、なんでこういう時だけバカみたいに力強いの⁉」

「それじゃあお姉様、レッツラゴーです!」

「話を聞けぇぇぇぇぇぇぇ……」


 白衣をつかまれ、ジゼルに連れ去られていくクラーラを温かく見送ると、オレとリアは顔を見合わせて笑った。まったく、来る度に同じ事を繰り返して飽きないのかな、あの二人。


 というか。


 こうなることは目に見えてわかっていたし、あまり騒がしいのは母体に良くないのではないかと思ってだね。クラーラとジゼルが頻繁にやってくるのは反対していたわけだよ、オレとしては。なるべくだったら、ご遠慮いただきたいと。そう考えていたんだけど。


 しかしながら二人の来訪を誰よりも望んでいたのはリア自身で、龍人族の妻曰く、


「ボクにとっては、クラーラたちがいるのが当たり前ですし。騒がしいだなんて思ったことはありませんよ」


 ……と、穏やかに言われてしまっては反論しようがない。リアの世話を買って出ているアイラからも「過保護は良くないぞ、過保護は」なんて具合にお説教されてしまい、立つ瀬がなくなってしまった。


 加えると、リアから「できるだけ医療に従事したい」という強い要望があり、領主邸でも薬学の研究を進められる準備を二人に依頼したのだ。


 なんだかんだ言ってクラーラも医者だし、突発的に体調が悪くなった時でも安心して任せられるかなと最終的には了承したものの、あの光景を見るからに、若干の不安を覚えてしまう。……大丈夫だよな? おい、マジで信じてるからな?


 ま、それは一旦置いといて。


 夏に入ってから領内で起きた大小様々な出来事について話しておきたい。まずは大きなトピックとして、先日行われたマルグレットとの会談にあった、技術提携の話題からいこう。


***


 遙麦やエビの養殖など技術伝搬することは決定済みだったものの、誰を使者として魔道国に派遣するかは未だに決まっていなかった。


 当初、この役目をフライハイトで暮らす魔道士たちに頼もうと考えていたのだが、魔道士グループの代表であるソフィアとグレイスに反対されたのだ。


 亡命してきたとはいえ、祖国には変わりないわけだし、他の種族が行くよりかはコミュケーションが図りやすいのでは?


「……あ~。もしかしてアレか。祖国で法を破った罪悪感で、いまさら顔を出せないとか、そういうやつか?」


 確かにその手の配慮には欠けていたなと、自分のうっかりさ加減を反省していたところ、ソフィアは肩をすくめて応じた。


「何言ってるのよぉ、たぁくん。そんなくだらないこと気にするわけないでしょぉ?」


 一蹴である。……くだらないか?


「まったくもぉ。たぁくんってば、いまがどういう時期だかわかってるわけぇ?」

「どういう時期って……夏だよな?」

「ええと、大変申し上げにくいのですが、我々には毎年、夏と冬に必ず参加しなければならない行事がありまして……」


 恐縮した様子のグレイスが補足してくれたおかげでようやく気がついた。夏場と冬場に必ず参加する行事、つまりは同人誌即売会である。なるほど、仕事どころじゃないな、それは。


「そういうことぉ。こっちは連載抱えながら同人誌作っているんだからぁ。これ以上負担を増やしたくないのぉ」

「そうか。追い込みの時期だもんな」


 ソフィアとグレイスはうんうんと激しく頷いてみせる。グレイスに至っては、目の下にうっすらクマが出来てるけど、進捗は大丈夫なんだろうか?


 現時点でグレイスがこんな調子だったら、他の魔道士兼同人作家たちも大変だろうと、魔道士たちを派遣する案は取りやめておく。仕方ない、人選は再考だなと髪の毛をポリポリかいていると、意外そうな眼差しでグレイスがこちらを見やった。


「その、……よろしいのですか?」

「なにが?」

「タスク様は領主で私たちはその臣下です。一度申し上げた手前恐縮ですが、ご命令に従うのは当然かと」

「仕事も大事だけど、趣味はもっと大事だしなあ」


 生活に張りがなければ、いい仕事も出来ないってもんですよ。生きがいは超大事。そういうわけで、何も心配せず、即売会を楽しんでらっしゃいな。


 ツインテールの魔道士が声を弾ませる。


「さっすが、たぁくん。話がわかるぅ! 持つべきものは話のわかる領主よねぇ♪」

「お褒めにあずかり光栄ですよ」

「お礼にぃ、お土産持ってくるからねぇ。エッチぃ同人誌! たぁくんが好きそうなやつぅ」


 表情の一点の曇りもないことから、おそらくは心からの善意の申し出に違いないことが伺える。……が、ちょっと待ってほしい。


 オレもね、健全な男子ですから? その手の本に興味がないわけじゃないけれど。万が一、万が一だよ? 奥さんたちに見つかったらシャレにならない予感しかしないんだよなあ……。


 苦渋の面持ちを浮かべていると、今度はよこしまな要素を四十九パーセントほど含めた口調で、ニマニマとソフィアは口を開いた。


「えぇ? いらないのぉ?」

「……い、いらない」

「ほんとにぃ?」

「…………」

「いまならまだ間に合うんだけどなぁ」

「…一冊ダケ、オネガイシマス」


 おっけぇおっけぇ任せておいてぇと満面の笑みで頷く魔道士から視線を外し、オレは若干、後ろめたい気持ちを覚えるのだった。


 だがしかしっ! エロには正直でありたいっ!


 ……はあ、本当、いくつになっても男ってホントバカね……。

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