292.兆候

 領主邸の庭の一角にミュコランたちの住まいがある。


 ログハウスをイメージして作った建物で、領主邸ができあがると同時にオレが構築ビルドしたのだが、細部のデザインや装飾については美しいブロンドヘアを持つ『花の騎士』の意向が色濃く反映されている。


「あんこたんと、しらたまたんのお家なのだぞ、タスク殿。よもや粗末な小屋で済ますつもりはないだろうな?」


 まだ結婚前だったとはいえ、領主邸が完成した当時は領主と配下という関係だったのだ。にもかかわらず、割とガチ目に殺意の波動を向けられるのは、釈然としないものを感じてしまうが……。


 まあ、ファビアンにせよソフィアにせよ、推しのジャンルが異なれば、一家言ある人物も変わるよなあ、と、強引に自分を納得させた記憶が残っている。


 そんなカワイイ生き物を愛してやまない『元・花の騎士』ことオレの奥さんはどうしているかというと、ログハウス風の建物内で、いままさに二匹のミュコランへブラッシングを施しているのだった。


「ん~……。あんこたんもしらたまたんも、ふわふわしてまちゅねえ。気持ちいいでちゅかあ?」

「みゅ~……」

「そうでちゅかそうでちゅか。ヴァイオレットママがもーっとキレイにしてあげまちゅからねえ」

「みゅっみゅー」


 デレデレとして顔を浮かべながらも、職人のそれを彷彿とさせる手さばきを離れた場所で見守りつつ、はてさてどうやって声をかけたものかと悩んでいた矢先、同行者のひとりが口を開いた。


「……そなた、なにをやっとるんじゃ?」


 声の主は猫人族のアイラで、領主邸のエントランスでばったり落ち合うと、オレたちにそのままついてきたのだった。


「あん☆ ダメだよ、アイラっち♪ 声かけたらヤボってモンっしょ~? レッちんのカワイイ顔、もっと見ていたかったのにサー☆」


 もうひとりはダークエルフのベルで、こちらは執務室を出て早々、作業部屋から出てきたところを見かけたので、一緒にきてもらうことにした。


 声をかけられたほう――具体的に言えばヨダレを垂らしかねないぐらいほどに――口元のゆるんだヴァイオレットは、状況を把握できなかったのか、四秒ほど思考を停止させた後、途端にいかめしい表情を作っては頬を上気させ、お馴染みの台詞を吐き出すのだった。


「こっ、殺せっ!!! こ、こんな辱めを受けるぐらいなら、いっそ殺してくれぇぇぇ!!」


 気持ちはわかるが自暴自棄は良くない。っていうかさ、今更感が強いから、いちいち恥ずかしがらなくてもいいと思うわけだよ。


「こっ、こんな情けない姿を晒すとは末代までの恥っ……! 嫁にも行けぬっ!」

「そなた、すでに人妻ではないか」


 悲嘆に暮れる女騎士にアイラがツッコミを入れている。お約束となった光景に、イヴァンが戸惑いの眼差しをオレに向けるが、なんというか平常運転なのであんまり気にしないでくれ。


 そういうわけで、さりげない放置プレイを披露しつつ、オレは自然と近づいてきたあんことしらたまを優しく撫でてやった。


「キミ達、夫婦だったのか。いまのいままで気付かなくってゴメンな」

「みゅ?」

「ていうかサ★ タックンってば、ミュコランたちと仲良しさんなのに、どうして知らなかったワケ?」


 ギャルギャルしい格好に身を包んだダークエルフの妻が疑問を呈したものの、むしろオレのほうこそ聞き返したい。


「ベルこそ、なんで気付かなかったんだ? この子たち、ダークエルフの国の鳥なんだろう?」


 それなりの知識が伴っていて当然なんじゃないのという質問に、ベルは口をとがらせた。


「ウチ、ミュコランのこと詳しくないもーん。イッくんとか長老おじーちゃんたちが近づくなってうるさくてさっ」

「ベル姉さんはミュコランを服飾の『素材』として考えるだろう? 怖くて近寄せられないよ」


 苦渋に満ちた回答を発すると、イヴァンはあんことしらたまの全身を触診し始める。触れられるのを極端に嫌う子もいるそうで、「これだけスムーズにチェックできるのはありがたいですよ」と付け加えた義弟は、時折、あんことしらたまの人懐っこい性格を褒めてやると、程なくして二匹から離れた。


「うん。間違いなく繁殖の兆候が出てますね。問題がなければ、そのうち卵を産むはずですよ」

「そのうちって、具体的にいつ頃なんだ?」

「わかりません」

「……は?」

「ミュコランは産卵時期が決まっていないんですよ」


 イヴァンの話によれば、ミュコランたちの産卵はかなり運任せといった部分が大きく、繁殖の兆候が消滅するのも珍しいことではないらしい。


 上手くいけば春先から秋口のどこかで、一度に大体五個から六個ほどの卵を産むそうだ。それを約二ヶ月間、雄と雌が交代しながら暖め続けることでようやく孵化を迎える、と。いやはや、それは大変だなあ。


「生まれた後も大変ですよ。雛は極端なまでに寒さに弱いですからね。しっかりとサポートしてあげないといけません」

「アハッ☆ そんじゃウチが冷えないようにふっかふかのタオルケット作ったげるネ♪」

「みゅみゅー!」


 喜びの声を上げて、あんことしらたまはベルにすり寄っている。こちらの話している内容が理解できるほどに賢い子たちなのだ。心配するようなことはなさそうだけど、安心して産卵できるよう環境は整えてあげないとな。


「イヴァン殿……」


 ようやく立ち直ったらしいヴァイオレットが、気を取り直したように口を開いた。


「無事に孵化を迎えたとして、……その、雛とやらはどれほどの大きさなのだろうか? 色は親に似るのだろうか? 雛の状態からフワフワの毛並みを堪能できるのだろうか? いや、何も言うなっ! わかっている! 私には理解できるぞイヴァン殿っ! きっとあんこたんとしらたまたんそっくりの愛らしい子が産まれるに違いないとっ!」


 一方的にまくしたて、一方的に結論つけると女騎士は興奮のあまり、ハアハアと息を荒くさせている。ああ、そっか、あんことしらたまがまだ小さかった頃、ヴァイオレットはここに来ていないんだったな。それじゃあ雛がどんな姿なのかはわからないか?


「なにっ! も、もしや、だ、旦那様は知っているのかっ⁉ あ、あんこたんと、し、しらたまたんの幼少期をっ……!」

「幼少期……あれを幼少期といっていいのかどうかわかんないけど、確か、生後間もなく連れてきてくれたんだよな?」

「え? ええ。孵化してさほど日が経ってない頃にお渡ししたはずなので」

「いまも愛らしいが、あの頃のあんことしらたまも可愛かったのう」


 猫耳をピョコピョコとさせて、アイラが目を細めている。そういや、アイラの後ろをくっついて散歩に出かけていたっけ。猫の姿になったアイラのお腹の上で眠りについていた二匹なんか、反則級に可愛かったもんなあ……。


「なっ⁉ ね、猫の姿になったアイラ殿と添い寝していたのかっ⁉ あんこたんと、しらたまたんがっ⁉」

「う、うむ? そういう頃もあったという話での」

「猫になったアイラ殿、そして雛だったころのあんこたんとしらたまたん……」


 そう呟いたきり、ヴァイオレットは頬を緩ませたままピクリとも動かなくなってしまった。妄想の世界にトリップしてしまったのか、昇天したのか判断がつかないところだけど、鼻血が出る前には正気に戻しておこう。


「……ヴァイオレットさんはどうされたのですか?」

「いつものことだからそっとしておいてやれ」


 肩をすくめて応じると、コホンと小さく咳払いをしてからイヴァンは話題を転じた。


「まだまだ先の話になりますが、無事に雛が産まれたら、一度ダークエルフの国に連れてきていただければ幸いです」

「なにかあるのか?」

「いえ、将来の奥さんや旦那さん候補を引き合わせたいなと思いまして」


 聞けば幼少期の相性の良さが、つがいが成立する要素に大きく影響するそうだ。なるほど、それならいい相手を見つけるためにも、ダークエルフの国に行かないとな。


 それもこれも、あんことしらたまが無事に産卵を迎えてからの話になるけど。


 多少の気の早さを自覚しつつ、新たに増える家族に想像の翼を広げ終えると、元気な子が産まれるようにと願いを込めて、オレは再び二匹のミュコランを撫でるのだった。

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