287.合意と種明かし(前編)

「た、タスクさんっ! それはあまりにも」


 驚きを隠そうともしない声に視線をやると、身を乗り出したアルフレッドを制しているクラウスを視界に捉えた。龍人族の商人に向けて、「ここはアイツに任せておこうや」とアイコンタクトを送っているようにも見える。


 オレンジ色をしたベリーショートの麗人は、二人に一瞥をくれてから、それでも何事もなかったように話を戻した。


「『遙麦はるかむぎ』と『七色糖ななしょくとう』は、我が国でも生育を試みたいと願っていた作物です。当方としても魅力的なご提案だとは思うのですが……」


 マルグレットの歯切れの悪い返答を補うように、エリザベートが口を挟む。


「タスクさん。貴方は知らないかもしれないけれど、魔道国は過酷な土地が多いのよ」


 貴重な作物の技術を譲ったところで育たずに枯れ果てる可能性がある。そう付け加えた王妃の穏やかな顔を見て、オレは悟った。それだけでは足りないぞ、ということか。


「でしたらロングテールシュリンプの養殖についてのノウハウも教えましょう。綺麗な水と餌さえ用意しておけば、比較的容易に育てられますよ」

「いいじゃない。ロングテールシュリンプは宮中でも好んで食されているもの。きっと人気が出るわよ」


 ようやく要求の水準に達したのか、話はまとまったとばかりに王妃は魔道士陣営が座る席へと視線を動かした。


「……他でもないエリザベート様がそこまで仰るのなら、私としても異論はございません」

「はいっ! それじゃあこのお話はここまでにしましょう! ……あら、いやだ。みんな揃いも揃って紅茶に手を付けていないじゃない」


 せっかくの新茶が無駄になるわよと口にしながら、カミラに紅茶を淹れ直すよう注文したエリザベートは、ついでとばかりに小包を取り出すと、「これ、お土産のジンジャークッキー。一緒に出してもらえる?」と戦闘メイドに預けるのだった。


 はあ……。一時はどうなることかと思ったけれど、交渉が成立したなら一安心だ。まあ、こちらから提供するものは多くなったけれどさ。ここで変にケチっちゃうと、後々、痛い目にあいそうだから仕方ないとしておこうじゃないか。な? アルフレッド君や? 


 ……さっきから血の気の引いた顔になってるけど、大丈夫かなアイツ……? ま、ここは清濁せいだく併せ呑んでいこうぜ。


 っていうかね。そんなノリでいないと、隣にいる王妃様が何言い出すかわかんないっていうか。ほら、最初から技術提携の話題なんてなかったみたいに雑談をお楽しみあそばされているでしょう? ……威厳の欠片を微塵も感じさせない口調がひときわ恐ろしいよ、マジで。


 とにかく。


 これでようやくこの場から解放されるかと思うと、心も晴れやかってもんですよ。幾重にも緊張の糸が張り詰められた空間とか、精神的にもよろしくないし。


 喉につかえていた重圧感を押し流すように、オレはすっかりと冷え切った紅茶をゆっくりと口に運んだ。


 疲労からだろうか、カミラの名人芸によって淹れられたはずの甘露は、やけに渋みを感じる一杯だった。


***


 執務室ではソファに腰を下ろしたアルフレッドが、うなだれるようにして両手で顔を覆っている。


 並んで座るグレイスの慰めも耳に届いていないのか、ガックリと肩を落としたまま微動だにしない。


 来賓邸での会談から二十分と少しが経過した頃、王妃の話題に相づちを返すだけの置物と化したオレたちは、ようやく解放されると、技術提携における合意文書を作成するため領主邸に戻ってきたのだった。


 書面は三通作成される。オレとマルグレット、それにエリザベートを含めた三人で内容を確認し、それぞれで一通ずつ保管するという流れになったからだ。


 オレとマルグレットだけで合意文書を交換すればいいだけなのではと考えたのだが、王妃エリザベートが証人として名を連ねるというのが重要だそうで、「私が立ち会ったのだから、合意したからにはお互いキチンと履行しましょうね」という意味が込められているらしい。


「こういうのは形式が大事なのよ」


 雑談の終わり際にそう呟いたエリザベートは、魔道国の一行を引き連れて市場観光に出かけてしまった。ガイドと警護を兼ねて、ハンスとカミラを同行させたから問題ないだろう。


 むしろ、問題はこちらにあるというか……。落胆という谷底に転落したまま戻ってこないアルフレッドを執務机から眺めつつ、オレは助けを求めて視線を横に動かした。


 壁にもたれかかったまま腕組みしていたハイエルフの前国王は、軽いため息とともに銀色の頭髪をポリポリとかいては龍人族の商人に声をかける。


「アルよぉ。決まっちまったもんはしょうがねえだろ。落ち込んでたところで結果は変わんねえぞ?」

「…………」

「手打ちとしちゃあ、悪くない条件だったと俺は思うがな」

「わかっています。わかってはいるのですが……」


 ようやく顔を上げたアルフレッドの表情は暗い。


「『妖精桃』だけでなく『遙麦はるかむぎ』と『七色糖ななしょくとう』の供与と、エビの養殖技術のノウハウまで提供するのですよ⁉ フライハイトで独占していた交易品が、他国で生産されるのです! これが落ち着いていられますかっ⁉」

「あちらさんだって、同じ気持ちだろうさ。『魔法石』は魔道国の機密情報ともいえる知的財産なんだろ?」

「釣り合いが取れませんよ! エリザベート王妃が一枚噛んでいるとはいえ、これではあまりにも……」


 ……ちょっと待った。さっきから手打ちとか、一枚噛んでるとか、何の話をしてるんだ?


「……もしかしてぇ、たぁくん。お姉様たちの茶番に気付いてなかったのぉ?」

「茶番って?」

「まあ? 去年までぇ、魔道国歌劇団のトップ女優だったしぃ? 迫真の演技だったからぁ? ニブニブさんなたぁくんが気付かなくてもしょうがないかあ?」


 アルフレッドの対面のソファに腰を下ろしたソフィアは、やれやれといった具合で首を横に振っている。半ば感心、半ば呆れといった眼差しでクラウスはこちらを見やった。


「……お前さん。勘が鋭いのか鈍いのか、やっぱりよくわかんねえな……」

「しかしながら、適切なご判断だったという事実に変わりありません。いえ、こうなる原因を作り出した私が申し上げるのも恐れ多いのですが……」


 恐縮した様子でグレイスがフォローしてくれたみたいだけど、なんのこっちゃって感じである。こちらの戸惑いを察したのか、アルフレッドが口を開いた。


「マルグレットさんが怒っていたのは、あくまで見せかけのポーズを取っていたに過ぎません」

「……は?」

「要するにだ。シシィの姉さんと魔道国のお嬢ちゃんとの間で、前もって取り決めが交わされていたって話でな」


 面白くもなさそうな表情で呟くと、クラウスはさらに続けた。


最初ハナっから共謀者グルだったのさ、あの二人」

「……はあ?」

「で、まず間違いなく、計画立案者はシシィの姉さんだな」

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