284.魔導国のマルグレット
目の前で怒気を放つ女性の声に首をかしげそうになった矢先、その後方から「ちょ、ちょ、ちょっと待って! ストップ! スト〜ップ!!」という言葉とともに、エリザベートが慌てふためいた様子で駆け寄ってくる。
女性とオレとの間に割って入った王妃は、軽く息を切らしながらも穏やかな表情で、こちらを見るなり謝罪の言葉を口にした。
「ゴメンナサイねえ、タスクさん。いきなりで驚いたでしょう? そんなこと急に言われても困っちゃうわよねえ?」
ご近所付き合いといったテイストに「はあ、まあ」と曖昧な返事をすると、王妃は身体の向きをクルリと一八〇度変えて、今度は麗人に向き直った。
「あのねえ、マルグレット。相手は伯爵位を持つ領主なのよ? 突然やってきた上でそんな口を聞いたら失礼だと思わない?」
諭すような口調に、マルグレットと呼ばれた女性は毅然と応じる。
「私も魔道国で伯爵位を持つ身です。対等な立場であれば、礼を失したとは思えません」
「う~ん……。血は繋がってないとはいえ、タスクさんは私とジークの息子でもあるの。それってつまりは、龍人族の国の、ひいては王族の一員ってことなのよねえ……?」
……あっ、そっか。リアと結婚した時点で王族の一員になったのか、オレ。
まったく自覚なんかないんだけどな、なんてぼんやり考えていると、その場の雰囲気が徐々にひりついていくのがわかった。微笑みを浮かべたまま、エリザベートが氷点下を彷彿とさせる瞳でマルグレットを見据えていたのだ。
「そういった事情を"理解"してもらえるとありがたいわ。もちろん、貴女は大切なお友達だけれど。……親しき仲にも礼儀は必要だと思わない……?」
地響きすら起きかねないといった面持ちを眺めやりながら、オレはクラウスが話していた「あのお姉様はおっかねえんだぞ?」という言葉の意味を噛みしめていた。いやはや、まさかこんなに早く思い知らされるとは思ってもみなかったけれど。
一方で王妃の凄みを肌で感じとっているだろうマルグレットは、一歩も引かずという姿勢を崩さない。魔道国で伯爵位を持つって言っていたし、貴族の意地や誇りみたいなものがあるのだろうか?
静かなにらみ合いは、だがしかし、五秒も経たずに終わった。全身に怒気をまとっていたマルグレットが、大きく息を吐くと同時に、それを脱ぎすてたのだ。
「……確かに無礼でした。かくなる上はどのような罰をも受ける所存」
「いいのよ~。私と貴女の仲じゃない。そう言ってくれるだけで十分だわあ」
頭を下げる麗人を見やってから、何事もなかったかのようにニコニコとした表情に切り替わるエリザベート。……ええっと、なんと言ったらいいのかなあ。
疑ってゴメンな、クラウス。これは怖いわ。
お偉方同士の付き合いとか、貴族たちのパワーバランスとかはよくわかんないけど、こんなのが日常茶飯事に繰り広げられているんだったら胃に穴が空くわ! ムリムリ、絶対に宮中暮らしなんかできないって!
辺境とはいえ、城から遠く離れた場所で暮らしていて本当に良かった。心の底から実感していると、エリザベートの柔らかな眼差しが再びオレを捉えた。
「騒々しくしてしまって、ゴメンナサイね?」
「い、いえっ。全っ然、気にしないでくださいっ!」
「そう? それならいいけれど」
普通の会話なんだけど、さっきのやりとり見ちゃうと身構えるよなあ。恐らく、そんな態度はとっくに見抜いているんだろうけど、それを気にするそぶりは微塵も感じさせず、エリザベートは続けるのだった。
「改めて紹介するわね。こちら、魔道国の」
「マルグレット様っ!!」
熱のこもった少女の声が、王妃の言葉を遮った。すっかりと上気したニーナが、爛々とした瞳で麗人を見入っている。
「魔道国歌劇団のマルグレット様ですわね!?
「おや? 私を知っているのですか?」
「もちろんですわっ! 定期公演はもちろん、昨年催された最後の舞台も拝見しましたものっ! 筆舌に尽くしがたいほど素晴らしかったですわっ!」
「それはどうもありがとう。愛らしいレディ」
ニーナの手を取ったマルグレットは、ファンサービスとばかりにその小さな手にそっと口づけしては、ウインクをしてみせた。瞬間、天才少女は声にならない声を上げ、何が起きたのか理解できないとばかりに手足をバタバタさせている。
「……いいかしら?」
興奮冷めやらぬニーナはさておきといった様子で、エリザベートは続けた。
「こちらは魔道国のマルグレット。私の大事なお友達なの」
「マルグレットと申します。改めて非礼をお詫びします、領主殿」
「ああ、いえ。お気になさらず」
「そしてこちらがタスクさん。前に話していた異邦人よ」
どうぞよろしくと一礼してから、オレはマルグレットを見やった。魔道国歌劇団とか、
なるほどニーナが興奮するわけだよと頷きかけて、オレは当初の発言を思い返した。
「それで、その愚妹……でしたっけ?」
「ええ。お恥ずかしい限りですが、厚かましくもこちらにお邪魔していると伺いまして」
そんなことを言われてもな? ここで暮らしている魔道士なんか数えるほどしかいないぞ? 第一、マルグレットに似ているような人物なんて思いつかないし。
名前を聞いた方が早いな、これは。……と、口を開きかけた、その時だった。
「待ちなさい」
呼び止めるようなエリザベートの声の先――二十メートルほど離れた場所には、この場から立ち去ろうとしているクラウスの姿がある。……いつの間にあんな場所までいったんだ、アイツ?
「どこへ行こうとしているのかしら?」
王妃の穏やかな、それでいて圧のある口調に、ばつの悪い顔を一瞬だけ浮かべたクラウスは、銀色の頭髪をボリボリとかきながら渋々といった様子で戻ってきた。
「いやあ、シシィ姉さん、お久しぶりです。今日も相変わらずお美しい」
王妃をあだ名で呼びながらも、その口調はどこかよそよそしく、親しみが一割、遠慮が二割、面倒くささが七割といった感じである。いたずらがばれてしまった子どものようなクラウスの面持ちに、エリザベートは呆れ半分で呟いた。
「心にもないお世辞なら結構です。それが久々の再会にも関わらず、黙って立ち去ろうとしている友人なら尚更」
「いえいえ、黙って立ち去るだなんて滅相もない。俺はただ……」
「ただ? なんです?」
「麗しい花々を前にして、そのまばゆさに水を差すのがあまりにも忍びなくて。これでも気を利かせたつもりなんですがね」
「あら、遠慮しなくてもいいのよ? むしろ同席してくれないと困るの、クラウス。今回に限っては貴方も関係者なのですから」
真意を察したのか、諦めの体でクラウスは応じ返す。
「……はあ……。そういうことかよ……」
「察しが良くて助かるわあ」
「わかったよ、連れてくりゃあいいんだろ? 連れてくりゃあ」
憮然とした返事とともに踵を返すクラウスの後ろ姿を眺めやって、オレはハッと思い至った。魔道国、伯爵位、オレンジ色の髪……。
目の前にいる人物とは似ても似つかないが、該当する人物がひとりだけいる。
マルグレットが口を開いた。
「お気付きの通りです、伯爵殿。ソフィアは私の妹なのですよ」
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