283.西からの来訪者

 ある日のこと。


「アレは売れるぞ」


 畑仕事の最中、そう言って姿をあらわしたのはクラウスで、見せつけるように銀色の長髪を片手でかきあげると、こちらの反応を伺っている。


「アレって何だ?」

「……お前さん、勘が鋭いのか鈍いのか、イマイチよくわかんねえ時があるな。ドライヤーだよ、『魔法石ドライヤー』」


 呆れ半分の声を受けながら、オレは意外な驚きを覚えていた。クラウスからドライヤーの感想を聞けるとは思っていなかったからだ。


「なんだよ、俺が髪の手入れをしてたらおかしいか?」

「悪い悪い、そんなつもりじゃないんだ。大陸中を飛び回っているイメージがあったからさ、そういうことまで手が回らないと思ってね」

「エルフにとって髪は命も同然だからな。長旅だろうが手入れは欠かさねえよ」


 とはいえ、出先で髪を乾かすのには相当な労力が必要になるそうで、どうしたものかと毎回頭を悩ませていたらしい。


「その点、アレはいいぞ。持ち運びが出来るからよ。荷物がかさばるが、この際、仕方ねえな」


 些細なことだと断言するハイエルフの前国王に、オレは思わず首をかしげた。作っておいてなんだけどさ、持ち運ぶにしては結構な大きさだぞ、あのドライヤー? しばらく持ってると腕が疲れるもんな。


 魔法石がビー玉程度にまで小さくなれば、小型化と軽量化が出来るんだけどね、なんて応じていると、クラウスは並び立つ少女の頭に手を置いた。


「そりゃ、このぐらいの嬢ちゃんが気軽に使えるなら上等だけどよ。いまのヤツだって十分だと思うぜ。なあ?」


 ウェーブがかった薄紫色のロングヘアをくしゃりと撫でたクラウスは、畑仕事の見学中だったニーナに同意を求めている。


「きっと、タスクお兄様にはお兄様なりのこだわりがあるのですわ」

「こだわり、ねえ? 俺としては、一日でも早くハイエルフの国に持っていってやりたいところなんだけどな」

「相当、気に入ったみたいだな」

「まあな。嫁さんより、俺のほうが使い込んでるぐらいだしよ」


 ケラケラと笑い声を立てるハイエルフの前国王。うーん、それならそれで、もう一個渡しておいたほうがいいか。旦那が愛用していたら、ソフィアも使いにくいだろう。


 ちなみに我が家も、ドライヤーは二個常備している。女性陣が多いのでこれでも少ないかと思ったのだが、奥さんたちから「自分たちより、他の人を優先してあげてほしい」と断られてしまったのだ。


 お風呂上がりにお互いの髪を乾かし合っている、姉妹妻の仲睦まじい光景を見られるとあって、オレとしては嬉しいんだけどさ。やっぱり数はあるに越したことはないよなあ。


 ましてや髪に一家言ある、エルフのご家庭ならなおさらだろうとか考えていると、クラウスは瞳に期待の色を滲ませた。


「で? 『魔法石ドライヤー』はいつ卸せるようになるんだ? 当然、ダークエルフの国よりハイエルフの国を優先してくれるんだろう?」

「……そんな決定事項みたいな感じで言われても」

「いいや、この件についてはハイエルフの国ウチより大事な取引相手なんて、どこにもいねえはずだぞ」


 断言してもいいと言わんばかりに、ずいと身を乗り出すハイエルフの前国王。オレはなだめるようにして、卸せるだけのドライヤーの在庫がないこと、仮に卸せたとしても相手が決まっていることを説明した。


「んだよ……。まさかダークエルフの国じゃねえだろうな?」

「違う違う」

「はあ? じゃあ一体どこの誰が取引先なんだよ?」

「クラウスも知ってる相手だって。エリザベート王妃の『夫人会』だよ」


 エリザベートと夫人会という単語を発した次の瞬間、クラウスは全身を硬直させた。そして空気が抜けてしぼんでいく風船のように、見る見るうちに神妙な面持ちへと変わっていく。


「そいつは……、大事な取引先だな……」


 丁寧に手入れを施しであろう銀色の頭髪をかき回し、クラウスは絞るような声を漏らした。つい先程までの勢いはどこに消えたのか、すっかりと気勢をそがれたその様子に、オレだけではなくニーナも不信感を抱いたらしい。


 声に出してはストレート過ぎる疑問をハイエルフの前国王へぶつけるのだった。


「……王妃様のこと、お嫌いなのですか?」

「嫌いじゃあないっ。……ただっ! ほんのっ、ほんっっっっっっの! すこ~~~~~~~~~しっ!! ニガテなだけだっ」


 ぶっきらぼうな返事を聞きながら、オレは脳裏にエリザベートの姿を思い描いた。麗しい容姿はともかく、性格としてはどこにでもいそうなおばちゃんみたいな感じだし、人付き合いだって悪くないと思う。


 苦手意識を感じる要素は、どこにもなさそうだけどなあと呟くオレに、クラウスはため息交じりで応じた。


「わかってねえな、タスク。あのオバサ……じゃなかった、あのお姉様はおっかねえんだぞ?」

「気のいい人だと思うけど」

「そりゃお前さん、知り合って間もないからそんな風に思えるんだよ。ガキの頃から何百年も顔を合わせたオレにはわかるっ」


 ジークのオッサンやゲオルクのオッサンもそう思ってるぜと付け加え、クラウスはぶるりと身体を震わせている。事情は飲み込めないけれど、トラウマになるような何かがあったのだけは理解できた。


 とはいえ、だ。


「そんなに苦手苦手言ってる場合じゃないと思うぞ」

「あ゛? なんでだよ?」

「だって、また遊びにくるって言ってたし。エリザベート王妃」

「……ガチで?」

「うん、ガチで」


 露骨に嫌そうな顔を浮かべたクラウスは、これまた露骨に嫌そうな声で続けるのだった。


「あのお姉様が来る時があったら、俺は席を外すからな。対応はタスク、お前さんに任せる」

「そういうわけにはまいりません。クラウス様はタスクお兄様を補佐する要職にあられます。であれば、賓客を迎えた際、同席するのは当然かと」

「アルのヤツに任せときゃいいんだよ」

「これ以上、アルフレッドの仕事は増やせられないんだって……」


 話を続けようとした矢先、クラウスの長い耳がピクリと動いたことに気がついた。程なくして片手で顔を覆ったハイエルフの前国王は、深く、そして長いため息をつくと、後悔の微粒子を声に混ぜて呟いてみせる。


「……するんじゃなかったぜ、噂話なんてよ……」


 どういう意味だと聞き返すよりも前に、クラウスは西の空を指し示した。導かれるまま視線を動かした先には、真紅色をした見事なドラゴンの姿が見える。記憶違いでなければ、あれはエリザベート王妃のはずだけど……。


 それよりも気になったのは王妃の同行者だ。前回はゲオルクを伴ってやってきたエリザベートだが、今回、並ぶようにして飛行しているのは、黒いローブに身を包んだ集団である。


 かつてソフィアたちがやってきた時と同じように、それぞれが杖にまたがっているのを視界に捉えながら、まさかまた魔道士が亡命しにきたんじゃないだろうなとか思っていると、驚いたようなニーナの声が耳元に届いた。


「ウ……、ウソ、ですわ……、しっ、信じられませんっ……」


 頬を紅潮させる天才少女に、オレは問いかける。


「信じられないって、何が?」

「あ、あそこにっ! あそこに、私がお慕いする、憧れのお方がおられるのですっ!!」


 よほど興奮しているのか、まくし立てるような口調のニーナを見やって、オレは再び問いかけた。


「憧れのお方って、エリザベート王妃じゃあないよな?」

「違いますっ!! お兄様には魔道士たちの先頭をいく、あの見目麗しいお方がわかりませんか⁉」


 と、いわれましても……。全員黒いローブをまとっているので、正直見分けがつかないといいますか……。ぶっちゃけ、距離が離れてるから、顔まではわかんないんだよなあ。


 ……え? っていうか、この距離で顔までわかるもんなの? 凄くない? なんて、どうでもいいことを考えているうちにエリザベートを始めとする黒装束の集団は揃って地面に降り立った。


 ニーナが口にしていた見目麗しいお方であろう人物は、目深にかぶったフードに手をかけ、陽光の下にその素顔を晒してみせる。


 視界に捉えたのはオレンジ色のベリーショートが特徴的な麗人で、その長身と佇まいから、ただ者ではないという印象を受ける。もしかして、以前にニーナが話してくれた歌劇団の関係者だろうか? 役者だったとしても不思議じゃないルックスだし。


 そんなオレの考えはさておき。涼しげな目元に不釣り合いな、怒りとも決意とも受け取れる色を滲ませた麗人は、つかつかとオレの目前まで歩み出て、開口一番に切り出した。


「ここにいるのはわかっているのです。いますぐ愚妹ぐまいに会わせなさい」

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