279.命名

「『疾風』と比べりゃ、いまひとつばかり優美さと華麗さに欠けるがな。『樹海王じゅかいおう』も悪かねえだろ」


 自分につけられた二つ名を引き合いに出して、クラウスは論評した。


「どうだい? 周りからそう呼ばれていることだし、いっそ、本当の王様になっちまうってのは?」

「絶っ対に嫌だね」


 無責任かつ適当な提案に、オレはようやく声を上げることができた。まったくもって冗談じゃない。周りの人たちがオレについてあれこれ言うのはしょうがないとして、『樹海王』なんて異名を付けられるのはありがた迷惑である。


 大体、『樹海王』とか、いったい誰が言い出したんだ? ……と、そこまで考えて、ふと思い至った。


「……まさか、お前が言いふらしてるんじゃないだろうな?」


 散々、独立しろだ国王になれだと焚きつけていたのはクラウスなのだ。話を広めて、外堀を埋める気なのかもしれないと疑ったのだが、ハイエルフの友人は即座にそれを否定した。


「アホか。そんなにヒマじゃねえよ」


 ないないと、片手を宙で振って、クラウスは異名の出所は商人たちだと話を続ける。


「これといった税もかけられず、自由に交易が出来る都市なんざ理想郷みたいなもんだからな」

「治安も整っておりますし、役人に賄賂を渡す必要もないですものね。商人の皆さんがお兄様を称えるのも当然ですわ」


 納得の面持ちで頷くニーナ。とはいえ、不本意なのは変わらないわけだ。初志貫徹、オレの目標は気軽なのんびりスローライフなのである。市場を作ったのだって、将来的にラクをするためだったんだけどなあ。


「今のところ、見事なまでに裏目裏目に事が運ぶな」


 愉快そうに笑うハイエルフを見やって、オレは深くため息をついた。まったくだ。こんなつもりじゃなかったんだけどね。


「ま、あんま難しく考えるこたぁねえよ。なるようにしかならねえんだからな」


 そう言うとクラウスは立ち上がり、話題を転じるように軽く肩をすくめてみせた。


「とりあえずメシにしようぜ。リアの顔もまだ見てないし、他のお嬢ちゃんたちとも話がしたいしな」


***


 そして迎えた夕食の時間。


 せっかくだからソフィアも一緒にどうだと誘ってみたのだが、「超絶、妄想力がブーストしてるからぁ、ジャマしないでぇ」と目をバッキバキにさせた状態で断られてしまった。……ちゃんと食事と睡眠摂ってんのかね? 専属の戦闘メイドがいるから問題ないとは思うけど。帰り際、クラウスに差し入れでも持たせるかな。


 クラウスが早めに帰ってきたことは、オレの奥さんたちも予想外だったみたいで、一足早くテーブルについてはワイングラスを傾けるハイエルフを見るなり、一様に驚きの声を上げていた。


 唯一の例外はアイラで、クラウスに視線を送っては開口一番、「土産はないのか?」という不満そうに呟いている。


「相変わらずだなあ、アイラの嬢ちゃんは。少しばかりは俺の心配をしてくれたっていいんだぜ?」

「阿呆ぅ。そう易々とくたばるほど軟弱でもなかろうが。であれば、心配するだけムダじゃろう?」

「そりゃそうだ」


 ケラケラと笑い声を上げてから、クラウスはアイラと並び立つリアへと視線をずらし、妊娠について一通り祝いの言葉をかけるのだった。考えてみれば、オレより長く親交のあった二人なのだ。それぞれに思うところはあるのかもしれない。


 当然、夕飯の席上もリアの妊娠が話題の中心となり、牡蠣のクラムチャウダーを食べ終えると、クラウスはナプキンで口元を拭ってから、瞳に興味の色を浮かべて切り出した。


「赤ん坊は男かな? それとも女かな?」


 ロングテールシュリンプのニンニク炒めを口元に運ぶ手を止めて、オレはクラウスを眺めやった。食傷気味の質問だけど、こういうことは当事者よりも他の人のほうが気になるのかもしれない。


友人ダチの子どもだぞ? 気にしない方がどうかしてる」

「そりゃあそうだろうけどさ」

「なんにせよ、今から真剣に考えないとなあ。男だったら勇敢な名前、女だったら可憐な名前がいいだろうし」


 祝福とか幸運とか栄光とか、そういった意味を持つ古代エルフ語がいいんじゃないかといって、クラウスはいくつかの命名案を呟き始めた。……もしかして、名付け親になるつもりか?


「当たり前だ。タスクとリアの子どもなんだぞ? 俺が名付けなくて、誰が名付けるっていうんだ?」

「オレとリア、ふたりで考えればいいんじゃないの?」

「あっ。そうかそうか、お前異邦人だから知らねえのか」

「?」

「こっちの世界だと、子どもが生まれたら、親しい友人に名付け親になってもらう習慣があるんだよ」


 得意顔のクラウスにそうなのかと応じようとした瞬間、割って入ったのはアイラの声である。


「つまらん嘘をつくな、つまらん嘘を。そんな習慣聞いたことないわ」

「いやいや、アイラの嬢ちゃんは猫人族だから知らないんだって。他の種族では普通っていうか」

「人間族にそのような習慣はないが?」

「龍人族にもありませんよ?」


 ヴァイオレットとリアが続けざまに口を開き、遠慮気味にエリーゼが続ける。


「は、ハイエルフの国でも聞いたことがないです……」

「ウチもウチもー☆ ダークエルフの国にもそんな習慣ないよー♪」


 最後にベルがご機嫌に応じると、矢のような視線がハイエルフの前国王に集中した。


「ハイハイ! どうせウソですよ! 悪かったな、つまんねえウソついて!」


 投げやりなクラウスをなだめながら、どうしてそんなに名付け親になりたいのか聞いてみると、いささか拗ねた返事がハイエルフの口からこぼれた。


「うちには子どもがいねえんだもんよー。名付けさせてくれよぅ。俺たち親友だろぉ?」


 そりゃ随分とムチャクチャな理由じゃないか、おい。それならそれで、自分たちの子どもが生まれた時の楽しみに取っておけばいいだろう?


「よくよく考えてもみろよ? フラフラとしょっちゅう旅に出ている俺にだ、まともな父親が務まると思うか?」

「自覚があるなら旅に出なけりゃいいんだ」

「いやいや、そこはそれ。自分の人生だし、楽しみたいじゃん?」


 悪びれることもなく言ってのけるクラウスに、オレはため息で応じ返した。やれやれ。この分だと、どうせまたすぐ旅に出かけるんだろうなあ。


 ……と、そんな風に考えていたのだが。


 これから後、クラウスが旅に出ることは二度となかった。

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