278.呼称
友人が戻ってきた旨を告げにやってきたのはカミラで、その報告に喜ぶ間もなく、クラウスは執務室に現れたのだった。
「オイーッス。帰ってきたぞー」
銀色の長い頭髪を後ろで束ねたハイエルフの前国王は、長旅に出ていたにしては荷物も持たず、小綺麗な格好である。
「ああ。一度、自宅に戻って風呂入ってきたんだよ。嫁さんの顔も見たかったしな」
「それはそれは、仲がよろしくて何よりだ。さぞかし感動の再会だったんだろうな」
「ところがどっこい。ソフィアのやつ、執筆作業がノリに乗ってるらしくてよ。おかえりの一言で追い出されちまった」
相変わらずのイケメンフェイスに爽やかな笑顔をたたえながら、クラウスはソファに腰を下ろした。
「というわけで、カミラ。俺の分の夕飯も用意してくれないか?」
「かしこまりました」
「それとワインを二本頼む。赤でな?」
「それはよろしいのですが、お酒はお食事が終わってからにしてくださいませ」
空腹時の飲酒がいかに健康を害するかという、説教交じりの小言を漏らすカミラに、クラウスはつまらなそうな表情とつまらなそうな声で応じ返す。
「食事の前に焼き菓子を要求する子どもじゃねえんだ。酒ぐらい好きに飲ませてくれよ」
「酔い潰れたお姿でご自宅に戻られては、ソフィア様も残念に思われるかと」
「あのな……。酔い潰れる前提で話を進めるなよ。自分の酒量ぐらいは弁えてるつもりだ」
「はて? お花見の席でも同じ事を仰って、数時間後に泥酔されていたのはクラウス様では?」
「……お前さん、論法が段々とハンスに似てきたな」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
降参の体で両手を挙げるクラウスに、戦闘メイドはうやうやしく頭を下げた。
「グラスワインでよろしければご用意いたします。メイン料理はエビですが、赤でよろしいですか?」
「……白で頼む」
「かしこまりました」
執務室を後にするカミラの後ろ姿を見やってから、大きなため息を漏らすと、ハイエルフの前国王はやれやれといった様相でソファの背もたれに身体を沈める。
「まったく……。酒すら自由に飲ませてもらえないとはな」
「お前の身体を気遣ってるんだよ。夕食の後なら、オレも付き合うから」
「おう、そうしようぜ。アルも呼んでよ、男同士語り合おうや」
旅先での話もしたいしなと付け加えるクラウスを見やりながら、オレはオレで、事前に聞かされていた予定よりもずっと早くクラウスが帰ってきたことが気になってしまった。本来なら、あと三ヶ月は戻らないはずだったのだ。
「おお、それよそれ。俺もそのつもりだったんだけどな」
「何かあったのか?」
「『何かあったのか?』じゃねえよ。リアが妊娠したって妖精たちから教えてもらったからよ、これはめでたいって話で帰ってきたんじゃねえか」
「そうなのか?」
「なんだよ、反応が鈍いな。お前さん、一応は当事者なんだぞ?」
こちとら妊婦と会うのに汚れた格好じゃいけないと思って、わざわざ風呂まで入ってきたんだ、と、恩着せがましくクラウスは語を継いだ。そうじゃなかったら、ウチで風呂まで済ませるつもりでいたらしい。
「しっかし、あのおてんばが妊娠とはねえ……。ついこないだまであんなに小っこかったってのに……」
右手をローテーブルの高さにまでやりながら感慨深く呟いて、クラウスは目線を移動させる。
「……んで、ちっとばかり聞きたいんだがな、タスクよ?」
「なんだよ?」
「こっちの小っこいお嬢ちゃんは誰なんだ?」
……ああ、よかった。さっきから話題に上らないから、てっきり無視してるんじゃないかと心配になったんだよな。クラウスの視線の先には反対側のソファに腰掛けているニーナがいたのだ。
ようやく話しかけられた事など気に留める様子もなく、ウェーブがかった薄紫色のロングヘアとコバルトブルーの瞳を持つ天才少女はその場に立ち上がると、始めた会った時と同じように、優雅さと可憐さが完璧なまでに調和した挨拶を披露するのだった。
「はじめまして、ニーナと申します。クラウス様のご高名はかねてから存じ上げておりましたわ。タスクお兄様からも、いろいろとお話は伺っております」
外見と不釣り合いの大人びた態度に、流石のクラウスも面食らったようだ。パクパクと口を何度か開閉させた後、こちらを見るなりこんなことを呟いた。
「……お前さんに龍人族の妹がいたとはなあ」
「そんなわけあるかい」
「冗談だ、冗談。しっかし、こんな小っこいお嬢ちゃんがどうしてこんな場所にいるんだ?」
その疑問はもっともなので、ニーナがここに来るまでの経緯を説明すると、クラウスは微妙な表情を浮かべてみせる。
「……事情はよくわかった。ニーナだったか? お嬢ちゃんも若いのに大変だねえ」
「とんでもないですわ。私、フライハイトに来てから毎日が楽しくて! タスクお兄様をはじめ、皆様にもよくしていただいてますし」
「とはいえねえ? お嬢ちゃんはまだ子どもだろ? 大人に交じって働くってのはいかがなもんかと、俺なんかは思っちまうなあ」
渋い口調のクラウスに対し、ニーナの返答は明晰そのものだ。
「肉体労働をしているわけではありませんし、今の仕事もあくまで補佐で留まっております。ご心配には及びませんわ」
「まあ、お嬢ちゃんがそれでいいなら、俺としては何も言うこたぁないけどよ」
それよりもだ、と、話題を転じるようにクラウスは端正な顔に微笑みをたたえると、天才少女へ軽くウインクしてみせた。
「タスクのことをお兄様って呼んでいるぐらいだ。俺のことも、気軽に『クラウスお兄様』って呼んでくれよな?」
あるいは『クラウスお兄ちゃん』でもいいぞと主張する、
「ありがたいお申し出ですが、その……」
「お嬢ちゃんの気持ちはよくわかる。急にそんなことをいわれても困るわな? 俺ってば、スーパーウルトラ偉大なハイエルフの国王だったわけだし?」
「ええと……」
「だけどよ、同じ土地に暮らす、いわば家族同然の仲みたいなモンじゃん? 変に気を遣われるより、フレンドリーに呼んでもらったほうが、俺としても嬉しいっていうかさ!」
「クラウス様のお気持ちは嬉しいのですが……」
「いいんだいいんだ。ほら、気軽にいってみろって、『クラウスお兄様』って」
「ご高齢の方を兄と呼ぶのは、私としてもちょっと……」
ニーナがそう応じた瞬間、無形の剣がクラウスの心臓を貫いていくのがわかった。なんていうの、「グサー!」って効果音まで聞こえたからな。まあ、十代のような外見でも、中身はお爺ちゃんという事実には変わりようがないわけだし……。
とはいえ、よほどショックだったのか、クラウスはローテーブルに突っ伏したまま動かない。そんなハイエルフの友人の姿に笑いを押し殺していることしばらく。「なにかお気に障るようなことを申しましたか?」という、天才少女のダメ押しに堪えきれず笑い声を漏らすと、クラウスはようやく顔を上げて恨めしそうにこちらを見やった。
「笑ってられるのも今のうちだぞ? お前さんだって数年後には、
「いや、流石にそれはないわ。あと二十年は余裕だね」
「二十年後もお兄様って呼ばれるつもりか? そりゃ欲深いってもんだ」
失笑交じりに応じるクラウスだったが、不意に何かを閃いたのか、ニヤニヤと人の悪い顔を浮かべてみせる。
「なんだよ、急に。気味悪いな」
「いや、ふと思い出したのさ。行く先々で、フライハイトは相当に評判がよかったって話をな」
「評判が良いなら何よりじゃないか」
「もっともだ。ただまあ、お前さん、自分がどう呼ばれているか、知ってるか?」
……はあ? 呼ばれ方だあ?
「『異邦人』とか『レアキャラ』とか、そういうやつじゃないのか?」
「違う違う、そんなつまんねえヤツじゃねえよ」
ケラケラと笑い声を立てて、クラウスは続けた。
「知らねえみてえだし、教えてやるよ。いいか、タスク。お前さんがどう呼ばれているかっていうとな……」
――
確かめるように、二度、同じ言葉を繰り返す友人の愉快そうな顔を見ながら、オレは二の句がつげず、ただ口をつぐんだ。
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