276.幼なじみ

 ジークフリートが初めて遊びにやってきた時と同じ台詞である。似たもの夫婦でほのぼのするね……って、そんなワケあるかっ!


「黙って抜け出してきたって……、大丈夫なんですか、それ?」


 当然の疑問を投げかけるオレに、王妃は断言した。


「大丈夫じゃないわね」

「ダメじゃないですか」

「そうなのよ。どうしたものかしら?」


 他人事のようにあっけらかんとしているけれど、騒ぎになったらどうするつもりなんだろうか? 立場を考慮しないフットワークの軽さは国王ジークフリートとそっくりである。


 というか、前々から思っていたんだけど。


 ジークフリートにしろエリザベートにしろ、わざわざここにくる必要があるのかな? いえね、ちょいちょい忘れがちだけど、オレ、一応は国王の臣下ですし? 連絡をもらえたならこっちから出向くって話なんだよな。


「嫌よ、そんなのつまらないでしょう?」


 エリザベートは口をとがらせる。


「貴方がお城に来たら、ジークがきっと手放さないもの。執務を放り出してでも、将棋を指すに決まっているわ」


 ガッハッハーという国王の豪放な笑い声まで真似て、想像できうる光景を演じるエリザベート。お義父さんには悪いけど、まったくもって同感だな。


 苦笑いを浮かべるしかないといった体で返答に窮していると、「それにね」と付け加えてから王妃は語を継いだ。


「貴方が来たら、国中大騒ぎになるわよ」

「大騒ぎ、ですか?」

「考えてもご覧なさい? 二千年ぶりに現れた異邦人なんてレア中のレアよ? 争奪戦が繰り広げられるに決まっているわ」


 争奪戦て。いやいや、例えが極端すぎやしませんかねと訝しがるこちらとは対照的に、エリザベートの表情は真剣そのものである。


「争奪戦なら、まだ生ぬるいほうよ。貴方を狙って権謀術数を張り巡らす連中だって出てくるだろうし……」

「……冗談でしょう?」

「冗談なものですか」


 はっきり断言されてしまった。冗談話として聞き流そうと思っていたんだけどなあ……。こちとら、どこにでもいる普通のオッサンなんですけどねえ?


 まあ、そんな普通のオッサンにプレミアがついてしまうほど、異邦人の先輩にあたるハヤトさんの活躍が凄まじかったってことなんだろう。


「……そういう事情でね?」


 先ほどまでとはうって変わり、穏やかな表情に戻ったエリザベートは、近所のおばちゃんさながらに声を上げた。


「結局のところ、どっちがマシかっていう話になるのよ。貴方が城に来るのと、私が黙って城を抜け出すのと」


 比較対象とするにはバランスが釣り合わない気がするけど……。こちらの心境を気に留める様子もなく、眼前の王妃はご機嫌に笑ってみせる。


「大丈夫よ。黙って抜け出したとはいえ、何かあったらゲオルクがもみ消してくれるだろうし……」

「誰がもみ消すって? 誰が?」


 背後からの声に振り返ると、肩をすくめた壮年の男性が図書館の戸口に現れたところだった。赤色の長髪をゆらすようにかぶりをふるったゲオルクは呆れがちに続ける。


「まったく……。毎回毎回、厄介ごとを押しつけられるこちらの身にもなってくれ。私はお前たち夫婦の問題処理係ではないのだぞ?」

「幼なじみでしょう? そのぐらい頼ってもいいじゃない。カミラも久しぶりね!」


 エリザベートの視線がゲオルクの肩越しに移った。背後に控えた戦闘メイドはうやうやしく一礼し、持参した紅茶セットでお茶の支度に取りかかる。


 ……あの、何事もなかったかのようにさらっと流そうとしてますけど、幼なじみって?


「おや、タスク君には言っていなかったかい?」

「何をです?」

「私とジークとエリザベートは旧知の間柄でね。二千年前、ハヤトと一緒に冒険をした仲間でもあるのだよ」

「懐かしいわねえ……。ハヤトやジーク、ゲオルクが前衛で、私は後衛だったの」

「シシィには『くれないの魔女』という異名があってね、知らない者はいないほどの有名人だったのさ」

「それよ! 思い出したわ!」


 感慨にふけるゲオルクを見やって、王妃は抗議の声を上げる。


「よりにもよって、どうして私だけ『魔女』なの? みんなもっと素敵な異名で呼ばれていたのに!」


 聞けば、ジークフリートは『豪腕の黒斧龍こくふりゅう』、ゲオルクは『真紅の聖槍せいそう』と、それぞれに中二心をくすぐる二つ名があったそうで、エリザベートは未だにそれを不満に思っているらしい。


「なんなの⁉ 私だけ安直すぎない⁉ 『紅』っていうのも赤髪をしてるから、そう呼んでいただけでしょう⁉」

「まあまあ……。大衆にはわかりやすいほうがいいこともあってだな……」

「わかりにくくてもいいのですけれどっ! 超高度な魔法も使えますしっ! 魔女っていうくくりでまとめないでいただきたいなってっ!」


 表情豊かにプンプンと怒り出すエリザベート。なるほど、よく理解した。高貴さや威厳は感じられるけれど、根は愉快な人らしい。ジークフリートにお似合いの似たもの夫婦なんだな。


「どうだい、タスク君。この夫婦ときたら、いつもこんな調子なんだよ。私の苦労がわかるだろう?」

「はあ……」

「聞こえてるわよ」


 ゲオルクのささやきに、矢のような眼差しが向けられる。軽口が言い合えるところを見るに、なんだかんだで仲はいいようだ。幼なじみだからこその関係ってやつなのだろう。


 なにせ相手は王妃様。オレが気さくに接していいかどうかというのは別の話である。エリザベートが代表を務める『夫人会』には何かにつけて尽力していただいているし、失礼がないようにしないとな。


「いいのよぅ。国王あの人と同じように、気楽に接してちょうだい」


 そう言われて今更ながらに気付いたけど、国王相手にフレンドリーな態度とか、ちょっと理解しがたいよな。結構な頻度で『将棋のおじさん』と思ってしまうオレを許してください、お義父さん。


「あっ! そうだわ! ニーナは元気でやってるかしら?」

「……え? ええ、元気ですよ。呼んできましょうか?」

「いえ、あの子もあの子の仕事があるでしょうし、邪魔したら悪いわ。でもよかった、貴方が受け入れてくれて安心したのよ」


 どうやら多彩な"口撃"を得意としているらしい。ニーナの話を早々に切り上げた王妃は、漂ってくる香気に興味を移した。


「いい香りね、カミラ。初摘みの茶葉かしら」

「はい、ハイエルフの国のものをご用意しました」

「楽しみね。貴女が淹れてくれた紅茶は絶品だもの」

「恐れ入ります」

「そうだわ、紅茶といえば……」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 矢継ぎ早に展開していく光景についていけず、オレはたまらずストップをかける。まさか、このままずっと雑談し続けるつもりじゃないだろうな? リアの妊娠祝いに来てくれたって話だけど、当の本人は置いてきぼりを食らっている感じだし。


 黙って城を抜け出してまでやってきたって事実を踏まえた上でも、重要な要件があるのではと考えるのが普通なんじゃないか? それとなく伝えてみると、エリザベートはキョトンとした眼差しで、


「特にないわよ?」


 と、一言だけ呟いた。……え? マジで雑談を目的に城を抜け出してきたの?


「……あっ。思い出したわ、お願いしたいことがあったのよ」

「ですよね? ああ、よかった。ビックリしました」


 庭を散策する感覚で城を抜け出す王妃様とかどこの世界の話だよと思ったけど、実際、将棋を指すために遊びにやってくる国王がいるわけで……。


 そんな賢龍王ジークフリートの姿が、一瞬、頭をちらついたものの、特殊なケースとして一旦は忘れることに。


 ともあれ、『夫人会』にはお世話になりっぱなしなのだ。できる限りの要望には応えるつもりでいたのだが、エリザベートの口から発せられたのは、お願いというにはささやかすぎるものだった。

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